十五話


フィルが誓いを立ててから一週間が経つ。



あの日からフィルは一度も俯いていない。何かに取り憑かれたように努力していた。



そんなフィルを心配するエラだったが、幼い子が父の死を乗り越えている瞬間を邪魔できないでいた。



フィルの朝は早い。日の出と同時に活動を始める。朝支度を終えて、基礎体力を鍛えるために身体強化術を使用せずに村の外周を走り始める。



体感で二里弱のコースを走り終えると、筋力を鍛え始める。


無駄な筋肉は身体のキレが悪くなると考え、ダンケルに相談すると柔と剛が均一になるような筋力をつける修練方法を教えてくれた。



そして木刀で敵をイメージして素振り、『龍陣流』の基礎の型の反復をする。


剣を持つようになってから何度も手に血豆ができては、潰れた。



家族で朝食を食べた後、フィルはすぐに畑に向かう。

父の代わりに収穫を目前として小麦畑の手入れをする。



この時期は昼過ぎにはフィルは畑仕事を終え、時間に余裕がある時にはエラに習った弓で野鳥を狩って帰る。


タンパク質を摂取するために胸肉やササミを昼時に食す。

他の部位は全て家族の夕飯になるのであった。



フィルが家に帰ると一息せずにダンケルに剣士としての実践を学ぶようになった。


やはりダンケルの見立て通りフィルは筋が良く、剣を振るうほど天凛が見えてくる。

そのため、ダンケルはフィルの修行に全身全霊を注いで教え込んでいた。


フィルも頭に怪我を負っても、泣かず弱音を吐かない。

弱い自分は捨て去ろうと努力していた。




夕飯後、フィルは薬学に励んでいた。魔力薬学と並行してマーリーの書を頭の中で整理して、材料があるものは試しに調合もしていた。



フィルは10歳になったので、魔術を修得したいと考えていたが、村に魔術師なんて存在しない。



母から『水術』を習ったが、フィルにはあまり適正がなく、生活用の飲料水を湧き出すくらいしか行使できなかった。




そんな日々が続いていたある日、フィルは村に行商人ブラネスが来ているとエラから聞く。


村にいて遠方の情報を知れる機会は年に数回来るこの行商人からしかないのだ。

慌てて村の広場に向かう。



トトスを含む子供達や数人の大人がブラネスの商品を見て囲っていた。



フィルはそんな人だかりの隙間を縫って入ってブラネスに話しかける。



「ブラネスさん。クレモベルトと北部三国との戦いってどうなりました?」


「...。なんだぁ、このガキ。知りたきゃなんか買え」


「ええと、一番安いものはどれです?」

ブラネスは熟れた真紅の林檎を指を指す。


「林檎三つください」

「はいよ、銅貨三枚」

「はい。で、どうなりました?」


「クレモベルト王国軍団はあんま知らねーな。ただ、両軍痛手を負ったらしい。

北部三国は状況は良くないらしいな。

荒野戦では敗北。何せ北部三国だけでなく、北東部からクレモベルト王国が援軍を出したらしい。

北部への増援は西部の伯爵軍団と民兵くらいなもので、北部防衛戦力は敵の半分程らしい。あっちは地獄だったらしいな。

タライタ要塞もすぐに陥落するんだとさ」


「なんでラヴディ伯爵軍団は帰って来たんですか?」


「なんでも、ラヴディ伯爵の息子が敵の魔術をもらって重体になったらしく、慌てた伯爵が退き際を間違えて半壊させちまったらしい。そんで、あの親馬鹿伯爵が我が子可愛さに治療のため命令を無視して勝手に帰還したんだと噂だよ」



──もしかして、ロバートはラヴディ伯爵のせいで死んだのか。



「まあ、クレモベルト王国が冬になれば撤退する。そしたら帝国軍団が北部戦線に乗り込むだろ。そうなれば北部の猿共なんて片付くだろう」


「帝国軍団ってオルガノス軍団長の話か!?」

トトスがブラネスとフィルとの話に口を挟む。

ブラネスが嫌な顔をしながら答える。


「ああ」


「話聞かせてくれ!!」


「やだやだ、お前と話すと一刻は解放してもらえないだろ」


「なんだよ、ケチ!」


「へいへい、どっか行けよ。餓鬼と話しても儲けにならないんだよ」


「そーいえば、フィルの親父も軍団に入ったんだろ!?おれも入りてぇな!知り合い紹介してくれ!」


「やめとけよ、父さんも行方不明だ。戦にいいことなんてない」


「それはお前の親父が弱いからだろ!戦場は英雄が輝くとこだ!」


フィルの中で何かが切れた音がした。血が頭に上り始める。



「...。おい、トトス。今なんて言った?」



「おめえの親父が弱いかぁ...」


トトスは言葉の全てを言い切る前にフィルに右頬を殴られる。



「おめえ、何すんだぁ..」



その後フィルは勢いよく踏み込み、右拳で顎の先端を撃ち抜く。トトスは身体の力が抜けて気絶する。


周囲の村人達はフィルに注目するが一瞬の事で理解が追いついていない。



「ブラネスさん、加減したからすぐに起きると思う。それまでよろしく」


「え、え、お、おい!待て!」


フィルはブラネスの静止を聞かずに全力で家に戻る中、冷静になる。



──何であんな餓鬼にキレたんだろう。いつからあんな沸点が低くなったんだろ。



フィルは家に帰ると直様、庭で剣を振って心を落ち着かせる。フィルの帰りに気づいたダンケルが家から出てくる。



「剣が少し乱れている。何かあったのじゃろ」

ダンケルが顎髭を触りながらフィルに向かって言う。


フィルはどこか乱れてんだろうと考える。


「うん。」


「何があった?」


「...。トトスが父さんを馬鹿にしたから殴って気絶させた」


「そうか。加減したのか?」


「うん」


「なら、謝りに行くんじゃ」


「うん、今から行ってくるよ」



時間は夕暮れ前。


フィルは急いでトトスの家に向かう。トトスの家はフィルの家と割と近く、目視で見える距離にある。


トトスに家の前に着くと、扉を叩く。


「こんばんは。エラの息子のフィルです」


「あらこんばんは。どうしたの?」

フィルの眼前に茶髪の大らかな女が出迎える。

トトスの母ノノルである。


「僕、今日トトスと喧嘩したんですけど、聞いてません?」

「そうなのね。だからあの子右頬に青痣があったのね。」


「すいません。カッとなってしまいました。これ痣に効く湿布です。」

フィルは葉に包んだ湿布を渡す。


「いいのよ。どうせあの子が何か言ったんでしょ。あの子騎士に憧れてるのに、悪口雑言ばっかだからねぇ。家でも凄いのよ」


「はあ。トトスはいますか?会って謝りたいんですけど...」


「はいよ。トトッーー!!フィル君よ。玄関来なさい」


気まづそうにトトスが呼ばれて玄関にやってくる。

「何だよ」


「あんたって子は!」


「いいんですよ、トトス殴ってごめんな。反省してる。父さんがいなくなって気が立ってた」


トトスは少し黙り込み、言葉考えて話し始める。


「...。おれもひでぇこと言ったよな。ごめん。

お前がアリスちゃんを悲しませてるから...、なんかムカついてて、嫌なこと言っまった」


「アリスが悲しんでる?...、そ、そうか。ごめん」


フィルの胸の音が一瞬跳ね上がる。アリスを拒絶してしまってから一月会っていない。忘れていた訳ではないが、考えないようにしていた。


「いいよ。別に」


「じゃあ、また今度」


「おう、薬ありがと」


「うん」


フィルはトトス家を後にして、凸凹な道を重たい足で歩く。


心中は安堵していた。

数少ない友人の1人であるアリスと仲違いをして、トトスまで絶縁となると、

村の子供達の中で居場所がない。自分が人間関係を疎かにしすぎている感じる。



──フィルとして、ロベルとエラの子として、テルルト村の子としてしっかり生きていかなければいけないよな




「近いうちにアリスにも謝り行くか...」

フィルは蝋燭に火が灯り始めた家々が連なる道の中、誰ともなく一人でに静かに呟く。



******



テルルト村の木々の葉が朱色に染まり始めた頃、農民達は半年の労力が実を結ぶ時期がやってきた。


彼らの努力の塊である村の周辺の農地が麦穂の実り豊かに垂れ始める。



ナザビア帝国では春に播種して秋に収穫する春小麦を主流としている。

それは冬場は農民達が長時間の外での労働に耐えれないためであり、帝国内の収穫物の納期を一律で揃えるためでもある。



農民達はこの麦刈りを終えると、一年の終わりが目の前に感じ始める。




そんな麦の収穫を目前とした日に、テルルト村の農民達からすると奇天烈な格好をした5人組の男女が馬車で村に赴いた。


彼らの内の3人は純銀製の十字架を首から掛け、見慣れぬ滑らかな純白の生地に縹色の線が身体の輪郭に沿ったローブを着ている。


そして内2人は十字架が入った見慣れぬ異国の鎧を着込み、直剣を帯びいる。


荒地や土道を歩いてきたためか、足元の純白の生地に砂埃の汚れが目立つ。



呆気に取られている中年の村人に集団の先頭にいた艶やかなブロンド髪に大きな空色の瞳の見目麗しい少女が近寄り話しかける。



「初めまして。ルルトナ・アドルナートと申します。聖アルミス教に準じ、アルミス様の教えを説くために転々と村々を周っておりましす。このテルルト村にも同じ理由で参りました。

布教の許可をいただきたく、この村の長の場所を教えていただけませんか?」


「へ、へえ。わかりやした。案内いたしやす」


「はい。感謝致します」


聖アルミス御一行は中年の村人に村で最も広く見事な家屋に案内を促された。 


「ダトニス村長!!外からお客様でぇ!」


慌てて村長らしき禿げかかった初老の男が家屋から飛び出てくる。



「どうも、はじめまして。ルルトナ・アドルナートと申します。聖アルミス国出身で聖アルミス教に準じ、司祭をしております」



「は、はあ。テルルト村の長のダトニスと申します。大したものお出しできないですが。ええと、中へどうぞ」


有無も言わせないルルトナの秀麗な笑顔にダトニスは抗えず、中に促してしまう。


「ありがとうございます。お言葉に甘えて、失礼致します」


ダトニスがルルトナ達を部屋へと招き、席に座ってもらうように促す。ダトニスの義理娘のハニが果実水を配り始める。


「お口に合うかはわかりませんが、蜜柑を絞り砂糖でを混ぜた果実水です」


「ありがとうございます」


「アルミス教?の方々はどのようなご用向きでいらっしゃったのですか?」


「聖アルミス様の教えを説くためにラヴディ伯爵領の村々を周っており、テルルト村にもその理由で来訪いたしました。布教の許可をいただきたく長の方へとお話をと」


「は、はあ。何か我が村が神のお怒りに合うとかではないんですかな?」


「ふふふ。そのような御告げはございませんわ。純粋に布教のためでございます」


「そうでございましたか」


ダトニスは額に滑り落ちていた脂汗を手で拭う。


「安心致しましたか?」


「は、はい!元よりそのような無礼な考えなど...」


「いいのですよ。突然の訪問でございました。驚かせてしまいましたわ」


「あのぅ、ラウディ伯爵様から布教の許可は頂いているのでしょうか?」


「ええ。勿論でございます」


「でしたら、私が言うことはございません。辺鄙な村ですがお寛ぎください」


「ええ。ありがとうございます。もう一つ頼みごとなのですが、村の空き家を貸していただきたいのですが」


「は、はい。私達の隣の家が空き家になっております。お使いください」


「ご厚意感謝致します」


聖アルミス教の御一行は用件が終わり次第、颯爽と村長の家を出て行った。


臆病なダトニスは彼らの背中を見ながら胃が削られた気分になる。

我が村の民が粗相がないよう願うばかりであった。




ルルトナ達が与えられた家屋は3部屋と居間があった。中に入ると少し埃臭かったため掃除をすることにした。


一頻り掃除を終えると、ルルトナは4人の部下と居間で会議を行う。


「皆さん、お疲れ様です。少し身体を休める前にお話し合いをしましょう」


全員が席に着いて行く。


「先ずはお疲れ様でございます。私としても少々疲れましたわ。

ここでの活動は明日以降の五週二十五日とします。

この村もあまり識字率が高くないでしょうから紙芝居と朗読、演説で声で耳に入れてもらいます。

時折、私の治癒術で怪我を治せば村民達の心はこちらに傾くでしょう」


「「「「了解です」」」」


「して、北部諸国との戦はいつ頃終わるのでしょうか」


初老でありながら屈強な身体付きの男がルルトナに話しかける。


「わかりませんわ。私も早く帰国をしたいものです」


「そうでしょう。お父上であるガルトナ・アドルナート大司教様もルルトナ様をさぞ心配なさっているでしょう。しかし、ご安心してくだされ。

この神聖騎士団のグランベール、命に換えても貴方様を御守り致します」


「ありがとうございます、グラベール殿」


ルルトナ達の布教活動は雑に言うと暇潰しだ。


ナザビア帝国が北部の国境を制限しているため母国への帰還が困難になるが、敬虔なる聖アルミス教の信奉者である彼らは国境封鎖が緩和されるまで布教活動で時間を潰すことにしたのだ。



聖アルミス教の布教は若き司祭達が教会内で出世するためには必要不可欠である。


ルルトナの類稀なる臈たけた美貌と治癒術の才は布教活動において絶大な効果をあげていたため、ルルトナは最年少で司祭となる。


そして、14の時に祭司として一年と半年間外国を巡り布教活動に従事する任務を渡される。


以来、ナザビア帝国で活動を続けたが、北東部の戦のため帰宅困難になり一ヶ月が経過していた。


ルルトナは陰鬱な気分で心の中で愚痴を爆発させる。



──早く家に帰って、ふかふかなベッドで寝たいのに、どうしてこんな事に...。あー、もう!

クリームたっぷりの野苺ケーキや乾麺が食べたい!こんな辺鄙な田舎だと苺ジャムが精一杯じゃない!

これならラウディ伯爵領にいたかったのに!

少しでも領内に留まろうとすると、マルクス司教に追い出されるし!

あー、もうこんな田舎でなにすんのよ!!!




ルルトナの裏の顔は家族とお付きのマリアしか知らない。聖アルミス教で美貌を持つ女は我儘な年頃の娘であった。

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緋星で生ける者 ナザビア戦記 dub侍 @dubzamurai

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