在宅ワーク
工事帽
在宅ワーク
「おはようございます!」
元気が声が全体チャットに響く。
とは言っても自分で言っているわけではない。以前に録音した音声を再生しているだけだ。出社したら挨拶を、なんていう上司の指示で挨拶を強制させられているが、誰も挨拶を返してはこない、当の上司もだ。挨拶になんの意味もない証拠だろう。
今もVRグラスに映るオフィスルームには5人の同僚と上司のアバターがいる。
コーヒーを一口飲む間に、アバターは自動で席に着く。
この自席という場所にも意味がない。
仕事はVRグラスに投影された作業画面でやるのだから、自席だろうが立ったままだろうが何も変わりがない。昔のオフィスでは、自席に個人用の端末が置いてあったらしいが、時代劇くらいでしか見たことがない。だから、どこまで本当かも分からない。
今日の予定を呼び出し、作業途中のファイルを開く。
メッセージアプリを起動して視界の隅に配置する。ちらりと目に入るメンバーリストは5つ。アバターの数より少ないのは、誰かアバターを残したままログアウトしているんだろう。
VRグラスの本人認証が外れると自動的にログアウトされるシステムだ。トイレに席を立つだけでもログアウトになるから、別に変なことではない。しかも朝の始業開始前の時間だ。
本来ならログアウトと共にアバターも消えるが、その前にモーションキャプチャーを切ってしまえばアバターの固定が優先されて、ログアウト中もそのまま残る。
「おはようございます!」
どこかで誰かが挨拶をしている。当然、無視だ。
一々、アバターが消えたり戻ったりすると「あ、こいつトイレ行ったな」と分かったり「トイレ長いな」と思われたりするのが煩わしいから、自分もログアウトするときにはアバターを固定している。
そもそも、仕事をするのにアバターもオフィスルームも必要ないのだ。
ログインさえすれば仕事のファイルは開けるし、誰かに話があればメッセージアプリで済む。
それなのに無駄に金をかけてVR空間を運用しているのは、うちの上司を始め、会社のお偉方の意向だ。なんでも「勤務態度も評価のうち」だと言うが、そのくせ事あるごとに「うちは成果主義だから」なんて言ってくる。サボってないかチェックしているように見せかけて、実のところ、部下です、社員ですという名前のアバターを並べて偉くなった気分に浸りたいだけだと思う。
「おはようございますぅ」
いかにも義理で言ってますという控えめな挨拶が聞こえたら始業時間だ。毎日、タイミングを計っているようにギリギリの時間にログインしてくるのは、派遣されてきている協力会社の人だ。わざわざVR空間にログインさせられて、とても迷惑していることだろう。
無意味に露出の高い男女がポージングしているニュースサイトを閉じて、仕事に取り掛かる。
「おや?」
視界の隅にあるメンバーリストの数が少ない。
誰か休みかと思って見直してみれば、上司の名前が足りない。
だが、上司の席を見ればアバターは存在している。つまりアバターがあっても中身が居ない。
「始業時間に居ないってことは、遅刻だな」
一方的にそう決めつけると、上司のアバターに細工をする。
大した細工ではない。テクスチャをいじって服に「私は遅刻しました」というメッセージを表示するだけだ。
自分のアバターなんて普通に仕事してるとチェックすることはない。誰かに指摘されるまでずっとそのままだろう。
「よしっ、やるかー」
少しだけよくなった気分のまま、今度こそ仕事に取り掛かった。
在宅ワーク 工事帽 @gray
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます