電子のライバル【実験作】

カイ.智水

電子のライバル

 生成系AIが日本の各企業に導入されて早三年。すっかり事務の単純作業が自動処理されていき、DMも自動的に発送や返送の後処理までしてくれるようになった。

 鷹爪商事の経理課出納係にも、旅費の精算と支給を担うAI・スイトウさんが配備されている。


 係員の峯田俊作は、スキャナーへ申請書面をセットしてスイトウさんの読み込み機能をオンにした。

 すると高速でスキャナーに書面が吸い込まれ、ディスプレイにはみるみるうちにデータが入力されていく。

 すべての申請書を読み込ませたら、スキャナーから束を取り出した。


 ディスプレイの前に座って、マイクのスイッチを入れる。

「スイトウさん、読み合わせをお願いします」

〔峯田さんおはようございます。今読み込んだ書類の読み合わせでしょうか〕

 合成されたスイトウさんの音声が流れてくる。峯田の声色を記憶しているため、名前で返してくれるのだ。

「はい、そうです。それでは一枚目から行いますので、読み上げていただけますか」

〔かしこまりました。読み合わせモードに移行します。一枚ずつ読み上げますので、正しければリターンキーを、間違っていたらスペースキーを押して正しい情報を入力してくださいませ。準備ができましたらリターンキーを押してくださいませ〕


 束をほぐしてめくりやすくしておき、さっそくリターンキーを押そうとしたとき、薩田係長が近づいてきた。


「峯田くん、これからデータチェックね。急ぎの申請書が一枚あるんだけど、これもお願いできるかしら」

 係長が右手に握っていた一枚の申請書が見える。

 受け取るために席を立つと、香水がほのかに漂ってきた。薩田係長、今日はラベンダーの香りだろうか。嗅いでいると心が落ち着くような気がする。なにかいいことがあったのだろうか。


 いや、今は仕事に集中しよう。峯田はただちにスキャナーへ申請書をセットして席に戻る。


「スイトウさん、急ぎの申請書があります。スキャンモードに戻っていただけますか」

 その声に画面が再びスキャンモードへ移行し、スキャナーの準備が整った。そのまま読み込み機能をオンにすると、あっという間に急ぎの申請書が入力された。


〔峯田さん、今読み込んだ書面をいちばん上の文書に致しますか。それとも最後に回してよろしいでしょうか〕

 ディスプレイには左側に表示されている書類の束が、右側には今スキャンした申請書の画面が表示され、その間に上下の矢印が表示されている。


「急ぎの書類とのことですので、いちばん上に配置してください」

〔了解しました。新規書類をいちばん上に置きます。他の書類がございませんでしたら、読み合わせモードへ復帰致します。峯田さん、いかがなさいますか〕


 スキャナーから急ぎの申請書を取り出して机の上に積まれた書類の束の上に載せると、コンピュータの前に座り直した。

「それでは読み合わせモードに復帰してください。これから読み合わせを始めます」

〔かしこまりました。準備ができましたらリターンキーを押してくださいませ〕

 その声を聞いてから、峯田はリターンキーを押した。


〔薩田景子さん、九月二十日。静岡事務所への出張費の精算です。丸の内から東京駅まで地下鉄で移動、東京駅から新幹線の指定席で静岡駅まで行き──〕

 なんだ、急ぎの書類は係長の出張費だったのか。それなら後回しでもよかったんじゃないかな。なぜ急いだんだろう。どうせ今日中に決済すれば明日には振り込まれるのだから問題はないはずだ。

 それにスイトウさんの入力データは係長の使うマスターコンピュータでダブルチェックしてから決済されるのだから、そのときに早めに確認すれば問題ないだろう。

〔──以上、最短かつ最安の経路と経費とされています。正しければリターンキーを、間違っていたらスペースキーを押して正しい情報を入力してくださいませ〕


 請求する経費に無駄はなく、書面を見ても入力内容は間違えていなかった。

 ただちにリターンキーを押すとピッという音が出た。正しいデータとして確定されたのだ。


〔それでは次の書類に移ります。結城勇気さん、九月十八日。北海道での商談への出張費の精算です──〕




 一時間半後、申請書のチェックが終わった。

〔峯田さん、これですべてのチェックが終わりました。データを薩田係長のマスターコンピュータへ転送致しますか〕

 めくり終えた申請書の束を整頓する。


「スイトウさん、ご苦労さまでした。それでは薩田係長のマスターコンピュータへ転送願います」

〔かしこまりました。それではマスターコンピュータへ情報を転送致します。しばらくお待ちくださいませ〕

 そう告げられるとすぐにピッという音が発せられた。


〔峯田さん、データは転送を完了しました。申請書を薩田係長へお渡しくださいませ。カイケイさんがダブルチェックを開始致しますので〕


 ディスプレイに浮かぶ「転送完了」の文字を確認して、薩田係長へ申請書の束を提出しに行く。あいかわらずラベンダーのいい香りが漂っている。

「峯田くんありがとう。それじゃあマスターコンピュータのスキャナーに申請書を入れてください」

「わかりました、係長」

 そのままマスターコンピュータのスキャナーへ申請書をセットする。


「係長、セット完了しました」

「わかったわ。それじゃあカイケイさんを立ち上げるわね」

 書類とデータの突き合わせ専用AIのカイケイさんは、申請書をスキャンしてスイトウさんから受け取ったデータを照らし合わせてミスはないかを確認する。


 スイトウさんと同じような処理をするAIだが、ロジックが異なっていて別角度からデータを抽出する機能が備わっている。

 ピーという高い音が鳴ると、申請書があっという間に取り込まれていった。そしてすぐに「確認終了。全データが一致しました」というアナウンスが流れる。


「あ、峯田くん。近々スイトウさんの仕様が変更されますから、研修を受けてきてくださいね。これからすぐに。場所は三階のミーティングルームよ」

 仕事の相棒であるスイトウさんの仕様変更か。詳しく聞こうと薩田係長のそばまで歩んでいく。心なしか係長の化粧に力が入っているようだ。


「どんな変更なのでしょうか」

「申請書のデジタル化よ。これで峯田くんが読み合わせをしなくてもよくなるわね」


 まあ当たり前か。というか、AIを導入しながら今まで紙ベースの申請書でやりとりしていたことが驚きだったわけなのだが。


「それじゃあ申請者は各自スイトウさんへ直接データを送信して処理することになるんですか」

「そのとおりよ。峯田くんも単純作業から解放されるわね」

「スイトウさん、なかなかに聞き分けの良い、いい子だったんですけど」


 口元を押さえながらにこやかに答える薩田係長は、どこか晴れやかに映った。

「まあいいじゃないの。空いた時間で私とお昼を一緒に食べることだってできるんだし」

 AIとはいえ、スイトウさんとの会話を長々と聞かされていた薩田係長は、もしかしてジェラシーを感じていたのかな。


「了解です。それではスイトウさんの仕様変更の講習を受けに行ってきますね。係長、仕事上がりにお食事でもいかがですか」

「あら、あなたのお給料で上司に奢るなんて十年早いわよ。でもそうね。帰りにラーメンでも一緒に食べましょうか。お店は任せるわね」

 係長は手元の書類に視線を落とした。


「ではミーティングルームへ行ってきます」

 自分の机からメモ用紙と筆記具を持って、浮かれ気分でエレベーターホールへと向かった。





 ─了─




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