第4話 マリーゴールド
咲良の事故からあっという間に1年が経った。
前に勤めていた会社を辞めてから、ソレイユで働き始めるまでの半年間、僕は軽いうつ状態にあった。大切な人を突然失った悲しみは、1年経ってもなお、心に深く刺さったままだ。でも、家族や咲良のご両親の支えもあり、心の状態はだいぶ回復した。
あの日、僕の人生から光が消えた。だけど咲良の働いていた店を継ぎ、花屋の仕事を始めてから、花の美しさやお客さんの温かさに触れるうちに、僕は少しずつ光を取り戻して行った。
だけど、起きてしまった。またあの時と同じ悲劇が。
「ありがとうございました。またお待ちしております!」
常連さんを見送り、花の手入れをしようと店の奥に行くと、突然近くで大きな音がして、急ブレーキの音と、女の子の叫び声と、たくさんの悲鳴が聞こえて店を飛び出した。ソレイユのすぐ近くの交差点で、車と女の子が衝突する事故が起きていた。
周りにどんどんと人が集まる中、僕は震える手で携帯電話を取り出しすぐに通報した。
「消防長です。火事ですか、救急ですか?」
「救急です。…はい、○市○町○丁目、花屋ソレイユの目の前の交差点です。…はい、女の子が車にひかれて倒れています。…意識は、…え…?すずちゃん…?」
なんと事故に遭った女の子は、僕のよく知っている子だった。
まだ咲良がソレイユに勤めていた頃から、毎月通ってくれていた小学4年生の女の子、寺川すずちゃん。インテリアとして家に飾る花を買いに、いつもお母さんと一緒に店を訪れていたが、最近はすずちゃん一人で買いに来ることも多かった。明るくて、天真爛漫なすずちゃんは、この地域に住む皆から愛されていた。なのに…。
すずちゃんは、事故に遭う直前までソレイユにいた。ほんの数秒前まで、僕といつもの笑顔で会話していたのだ。それが、「またお待ちしております!」と僕が見送り、店を出た途端に。
車にひかれていた女の子が、すずちゃんだと察した瞬間に、あまりの衝撃で僕は目の前が真っ白になり、その後の事はショックでほとんど覚えていない。この事故は、連日ニュースで報道されており、店のすぐ前の事故現場には、この地域の多くの方が訪れて献花をされている。僕は、精神的なダメージが大きく、勝手ながらしばらく店を休んでいる。
自分の部屋に一人きりになると、嫌でも思い出してしまう。咲良の時も辛かったが、目の前で自分のよく知る人が亡くなるのは、辛くて、苦しくて、悲しくて、胸が張り裂けそうだった。そして、自分を責めた。あの時、すずちゃんがもう数秒遅く店を出ていたら、あの車とぶつかることはなかったのではないか。僕が、店の外まで一緒に出て見送っていたら、車に気づいて引き止められていたのではないか。咲良の事故から、やっと、ようやく、ほんの少しずつ立ち直ることができていたところに今回の事故が重なり、僕はもうどうしたらいいかわからなかった。
その後、1週間ぶりに開店した。立ち直ることはできていない。でも、咲良の時と同じようにふさぎ込んでしまったら、もう次は再び前を向くことはできないような気がした。
あの日を、すずちゃんがソレイユに来るのが最後になってしまったあの日を思い出した。あの日もお母さんと一緒ではなく、すずちゃん一人で店を訪れた。
「いらっしゃいませ。あ、すずちゃん!今日もお家のお花選びに来た?」
「うん!家に飾る用と…あとそれとは別に。」
そう言って、水色のランドセルを背負ったすずちゃんは店内の花を眺めて周った。いつもその日気に入った花を2〜3本選んで買って行くすずちゃんだったが、あの日はその花とは別にプレゼント用にも花を買って行った。
「お兄さん、マリーゴールドってありますか?」
「あるよ。ほら、こっち。」
「本当だ、ありがとう!」
すずちゃんは、黄色のマリーゴールドを選び、プレゼント用にとラッピングを頼んだ。
「誰にプレゼントするの?」
「…秘密!また今度、ちゃんと渡せたら教えてあげるね。」
「そっか(笑)じゃあ、楽しみにしてるね。」
そんな会話をした直後の悲劇だった。すずちゃんが買った花たちや、僕がラッピングしたマリーゴールドは、傷だらけのすずちゃんの腕の中でぐちゃぐちゃに散ってしまっていた。
この1週間で、何度あの光景が頭に過ぎっただろうか。何度思い出しても、とても耐えられなかった。その時、
「どうもご無沙汰しております。すずがお世話になりました。」
すずちゃんのお母さんが、久しぶりに訪ねて来た。
「いらっしゃいませ。ご無沙汰しております。お元気そうで良かったです。…この度は、本当に残念でした…。心よりお悔やみ申し上げます。」
今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
「あの後すぐ、家族葬ですずとお別れしました。」
「そうでしたか…。ここ数ヶ月は、すずちゃん一人でここに来てくれることも多くて、いつもすずちゃんの顔を見れるのを楽しみにしていました。…あの、それで…。」
"事故が起きたのは僕のせいで"と言おうとした時、お母さんの口から初めて知る事実が告げられた。
「私、つい最近まで入院していたんです。」
「え…。」
「少し心臓が悪くて…。でも、お陰様ですっかり良くなりました。私が入院している間にも、すずはここに来ていたんですね。事故の日もここに居たって…その日、私がちょうど退院して家に帰った日だったんです。」
「そうだったんですね…。」
「学校から帰ってくるすずを家で待っていたんです。そしたら、まさかあんな…。」
その時、僕は思い出した。すずちゃんが最後に買って行ったマリーゴールド。"プレゼント用に"とラッピングを頼んだその理由を。黄色いマリーゴールドの花言葉は、
「"健康"…。そんな…。」
「え…?」
僕は、込み上げる思いを必死に抑えながら、お母さんにすずちゃんの最後を伝えた。
「今、お母様のお話を聞いて、やっとわかりました。事故の日、すずちゃんが最後に買って行ったお花があるんです。いつも通り、家に飾る用の花と、それとは別に黄色いマリーゴールドをプレゼント用に包んで買って行ったんです。」
「マリーゴールド…?」
「はい。きっと、お母様の退院祝いに選んだと思います。黄色いマリーゴールドの花言葉は、"健康"。すずちゃんはきっと、それを自分で調べて、あの日僕に"マリーゴールドありますか?"って聞いてきてくれた。お母様がご病気になられて、すずちゃんきっと不安だったと思います。だから、これからもお母様の健康をと願って…選んだんだと思います。…あの、店を出てすぐだったんです…すずちゃんが事故に遭ったの…。僕が、一緒に道路まで出て見送っていたらこんな事には…。本当に…本当に、すみませんでしたっ…」
「そんな…誰も悪くないですよ…誰のせいでもないです。」
「ですが…。」
「今日ここに来て良かったです。すずの思いを知れて、嬉しかった。…教えてくださってありがとうございました。あの日、すずと一緒に居てくださって、本当にありがとうございました。」
「………っ………うっ…」
噛みしめた歯の間から、やがて嗚咽が迸り出る。悲しくて悔しくて堪らず、僕はすずちゃんのお母さんに何度も何度も頭を下げ続けた。
その夜、泣き腫らした目で店を閉じた。咲良のこと、すずちゃんのこと、この先もずっと2人を思い出しては、胸が痛むだろう。もう以前の僕のようには笑えないかもしれない。もう前を向くこともできないかもしれない。
それでも、2人のことを決して忘れずに。忘れないように、僕は明日も生きていく。
君に咲く贈り物 のん @non0415_ari
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