第2話 カーネーション
どれだけ月日が過ぎても、心の痛みが消えることはなかった。ふとした瞬間に、咲良のきらきらとした笑顔や、ふんわりと心地よい声を思い出しては、胸を刺すような苦しさに襲われた。
だけど、仕事にはしっかりと集中できた。花の美しさや、甘く優しい香りに包まれながら仕事をするのは、心が穏やかな気持ちになった。
「もうすぐ母の日だから、お店忙しくなるねー!」
そう言って、奈緒さんが様々な色と種類のカーネーションを仕入れてくれた。その言葉通り、店頭にカーネーションが並んだ翌日から、足を止めてソレイユに立ち寄ってくれるお客さんがぐっと増えた。
ある日の夕方。下校する子どもたちの笑い声に癒やされながら花の手入れをしていると、
「すみません!」
と店の入り口から幼い子どもの声がした。声のする方へ向かうと、そこにはランドセルを背負った小さな男の子が立っていた。背丈や、まだ新しそうなランドセルを見るに、恐らく小学1年生だろう。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「あの…これでカーネーション買えますか…?」
そう言って男の子が手の平を広げると、100円玉が1枚乗っかっていた。
「カーネーションは、1本194円なので、あと94円あるかな?」
「あと、94えん…?…じゃあ、やっぱりいいです。」
そう言うと、男の子は少し寂しそうに俯き、店を出ようと歩き出した。きっとお金が足りずに諦めたのだろう。
「ちょっと待って!」
何か事情があるならと思い、僕は男の子を引き止めた。
「今日暑いね、はいこれ飲んで。」
男の子を店の奥に通し、冷たい麦茶を出すと、喉が渇いていたのか、その子はごくごくと一気に麦茶を飲み干した。ランドセルの横についている給食袋に名前が書いてあるのを見つけた。
「お名前、友哉くんっていうんだ。」
「うん。」
「友哉くん、カーネーションをプレゼントしたいの?お母さんに?」
「うん。…でも、お金足りないと買えないよね?」
「うーん…。」
「あのね、本物のお花がいいんだ。」
「ん?どうゆうこと?」
すると友哉くんは、ランドセルからある物を取り出した。
「あ、カーネーション!」
「え?カーネーションだってわかる?」
「うん。友哉くんが作ったの?上手に折れてるよ。」
それは赤い折り紙で作られたカーネーションだった。だけど、友哉くんの顔が少し曇り始める。
「もうすぐ母の日でしょ?だから今日、学童でね、みんなでカーネーション作ったの。でも、僕だけ上手に折れなくて…。みんなに、"下手くそ!"って言われて。」
「そんな…。」
「上手に折れたらママにあげようと思ってたんだ。でも、こんなに下手くそなのあげても、ママ、嬉しくないと思って。だから本物をあげようって、それで買いに来たの。」
「そうだったんだ。」
友哉くんなりに、一生懸命考えたのだろう。こんな時、咲良だったら友哉くんに何て声をかけてあげるだろう。
「これは、友哉くんが決めることだけど…僕はこの折り紙で作ったカーネーションの方が、ママ喜んでくれるんじゃないかなと思うよ。」
「え、どうして?」
「もしかしたら友哉くんは、上手に作れなかったって思ってるかもしれないけど、贈り物に上手いか下手かなんて関係ないよ。大事なのは、友哉くんの気持ち。」
「気持ち?」
「ママにプレゼントしようって、友哉くんが気持ちを込めて一生懸命作ったんだよね。」
「…うん。」
「それなら、友哉くんが作ったカーネーションの方が、ママは嬉しいんじゃないかと思うな。…それでも、やっぱり本物のお花がいいって思うなら、カーネーション1本あげるよ。お金はいらないから。」
「え?」
友哉くんはしばらく考え込んだ。そして、結局カーネーションは買わずに家へ帰って行った。友哉くんなりの答えが出たのだそうだ。
翌日。友哉くんが、お母さんと2人でソレイユを訪れた。
「昨日は息子がお世話になったみたいで、ありがとうございました。」
「いえいえ、とんでもないです。友哉くん、ちゃんと渡せた?」
「うん!昨日お家に帰った後ね、やっぱりきれいに作れたカーネーションをあげたいと思って、上手に折れるまで何回も練習したんだ。」
「そうなんだ…!」
「一番上手にできたやつをママにプレゼントしたら、ママすっごく喜んでくれたよ!やっぱりお兄さんの言う通りだった。"僕が一生懸命作ってくれたのが嬉しかった"って!」
すると、友哉くんのお母さんが、友哉くんがプレゼントしたカーネーションを見せてくれた。
「これです。友哉が自分から何かプレゼントしてくれたの、初めてだったんです。もちろんそのことも嬉しかったですし、何より友哉が私を想って頑張って作ってくれたんだと思うと…。」
友哉くんが照れ臭そうにお母さんを見上げた。
「昨日この子から話を聞くと、"お花屋さんのお兄さんが一緒に考えてくれた"って教えてくれて。それで今日ここに。本当に、ありがとうございました。」
「ありがとう、お兄さん!」
「いえいえ、僕は何も。友哉くんが自分で考えて、決めたことです。」
「お兄さん、今日は本物のお花を買いに来たんだ。ね、お母さん?」
「うん。あの…本物のカーネーションをください。友哉が"どうしても"って(笑)」
「はい(笑)かしこまりました!」
ソレイユで約1ヶ月働いてみて、花屋の仕事のやりがいをようやく見つけた。花を買いに来るお客さん、その目的や用途は人それぞれだけど、家に飾ったり、お祝いの気持ちを込めてプレゼントしたり、感謝の気持ちを込めて贈ったり…。
誰かの特別な1日に寄り添うこの仕事が好きだ。誰かの大切な時間を彩るお手伝いができることが、花屋のやりがいだと僕は思った。咲良もそうだったらいいな。
友哉くんとお母さんの幸せそうな笑顔を胸にしっかりと刻んで、この日は店を閉じた。
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