君に咲く贈り物

のん

第1話 ひまわり

笑っていないと、壊れてしまう気がした。

幼い頃から、笑顔だけはよく褒められてきた。だから、怒られたり、失敗したりした時も、ヘラヘラと笑って自分の悔しい気持ちを誤魔化してきた。辛い事があっても、周りに心配をかけたくなくて、いつだってけろっと笑って「大丈夫だよ。」と自分に嘘をついてきた。なんとか笑うことで、自分を保つことができていた。あの事故が起こるまでは。


28歳の夏、僕はプロポーズをした。3年付き合っていた恋人、江波咲良とは、彼女が勤めていた花屋「ソレイユ」で出会った。職場の送別会で先輩に贈る花を買いにソレイユを訪ねた時、対応してくれた咲良の人柄と笑顔に惹かれて、そこから何度も店に通うようになった。一目惚れだった。連絡先を交換して、やがて2人で食事や買い物、旅行に行くようになり、同棲して3年の月日を共に過ごした。

彼女は僕と同い年だ。実家の花屋を継いで、幼い頃から花に囲まれて育った為か、彼女自身が花束のようにふんわりと甘く優しい雰囲気を纏っており、何より花や植物が大好きでとても詳しかった。誕生日や記念日に花束をプレゼントすると、きらきらと笑って喜んでくれた。

いつだったか、一番好きな花がひまわりだと教えてくれた咲良に、ひまわりの花束を贈ってプロポーズをした。

「咲良は、これから先もずっと大切な人です。大事に、幸せにします。僕と結婚してください。」


結婚して1年が経った8月。咲良のお腹には赤ちゃんができた。最近は、「子どもの名前はどうしようか?」「花が由来の名前をつけてあげたい」とまだ見ぬ我が子についてあれこれ話している時間が幸せだった。

仕事帰り、暑さにバテ、涼しさを求めて近くにあったベビー用品店に立ち寄ると、赤ちゃん服や、ミルク、おもちゃのコーナーを見て微笑ましくなり、つい長居してしまった。赤ちゃんのイラストが描かれた商品のパッケージを見て、自分がもうすぐ父親になる実感が湧き、笑みがこぼれた。

家に帰ろうと店を出るとすぐ、ポケットにしまってあった携帯が震えた。咲良からの電話だった。

「もしもし、咲良?今日仕事早く終わったから、今店で赤ちゃん服見てたんだけど…」

僕の会話を遮り、緊迫した声色の知らない男性が携帯越しに話し始めた。

「風間晴さんのお電話でお間違いないですか?」

「はい…そうですけど、」

「救急隊の者ですが、咲良さんが先程トラックの事故に遭われて、只今救急車で多摩総合医療センターに向かっております。」

「え…。」

言葉が出なかった。あまりの衝撃に血の気が引き、立っていられずその場に膝をついた。


ちょうど目の前に来たタクシーを拾い、多摩総合医療センターへと向かった。病院に着くと、そこには、事故でボロボロになった咲来が、何本ものチューブを体に付けられ、病室のベッドに寝転がっていた。道路で車とトラックが衝突し、そこに居合わせた咲良が跳ね飛ばされたトラックの下敷きになったらしい。最善を尽くし救命に応ってくれたそうだが、病院に運ばれてきた時点でもう手の施しようがなかったそうだ。そして、同時にお腹の赤ちゃんも…。

信じ難い現実を目の前に、こんな時ですら僕は笑おうとした。これは、夢だ。何かの間違いだ、そう信じたくて。呼びかけたら、いつものようにきらきらと笑って応えてくれるかもしれない。手に触れたら、いつもの柔らかい花の香りがするかもしれない。そっと咲良の手を取ると、そこには力なく冷たくなった、傷だらけの手があって。

「咲良…咲良…?咲良…!」

心電図の音が鳴り響く中、僕はもう目を覚ますことはない咲良の名前を呼び続けた。



事故から2週間が経った。あの日から僕は、もう何をするにも無気力で、仕事にも身が入らない。毎日シワになったスーツに袖を通し、フラフラと会社へ行き、家に帰ってはやけ酒を繰り返し、トイレの便器に顔をうずめて咽ぶ日々を過ごした。同僚が心配をして、僕を元気にしようと楽しい話を聞かせてくれたり、飲みに誘ってくれたりした。僕は無理やり口角を上げ、「大丈夫だよ。」と自分に嘘をつくが、もう上手く笑えているかもわからない。僕の唯一の取り柄だった笑顔は、とっくに壊れていた。

そんな僕に見かねた同僚の星野泰介が「無理して笑うなよ、話聞くよ?」と言ってくれているかのように、仕事終わり、僕を含め数人を飲み屋に誘った。


「いや〜久々楽しいわ!…あ、すいません生1つ!」

家庭を持つようになってから、会社の仲間と外で飲む機会もだんだんと減っていた。

「なぁ…もうそろそろいい時間だけど、家大丈夫か?」

「そうだよ。奥さん待ってるだろ?」

ここにいる皆は、事故の事をまだ知らない。

「あぁ…それはもう大丈夫になったから(笑)」

「大丈夫になった…って?」

「いやだから、咲良の事はもう大丈夫なんだって(笑)」

笑っていないと、壊れてしまう気がした。

「家帰っても、誰もいないし(笑)…あ、咲良、この間…事故で亡くなったんだ。」

同僚たちの顔色が変わった。

「そんな…。」

「嘘だろ…?」

「なぁ。本当びっくりだよ(笑)お腹の子も、一緒に亡くなった。来月、生まれるはずだったんだ。女の子。咲良に似て、美人で可愛い子になると思ったんだよ。まだ咲良には相談してなかったんだけど、子どもの名前もちょっと考えてて。咲良、ひまわりが好きなんだ。子どもにも、花の名前をつけてあげたいって言ってて、だから…。」

ぐっと込み上げる気持ちを必死に抑え、震える唇を噛み締めた。

「漢字で向日葵って書いて、"ひまり"って名前はどうかな…って…早く咲良に相談したくて…楽しみにしてたんだ、そしたら…あんな事になっちゃって…。」

瞼から、温かい涙がぽろぽろと溢れて止まらなかった。

「咲良も…ひまりも居なくなっちゃって…俺…これからどうしたらいいんだろ…。もうわかんねぇよ…俺あいつが居なきゃ…この先ずっと咲良が居ないなんて無理だよ…。」

自分の奥に隠していた本音がぼろぼろと零れて、苦しくて、こんな姿を同僚に見られてしまったと思うと情けなくて、もうこのまま消えてしまいたかった。


次の日、僕は、会社に退職願を提出した。



社長は、僕の精神状態に共感し、年度途中での退職を受け入れてくれた。

そして半年間独学で勉強し、翌春、咲良の勤めていた花屋「ソレイユ」で働き始めた。咲良が亡くなってからは、咲良のご両親が経営を繋いでいたが、僕がソレイユで働きたい旨を伝えると、とても喜んでくれた。


デニムシャツに紺色のエプロン、咲良がこれを着て働いている姿を思い出しながら袖を通した。初めの一週間は、咲良の母、奈緒が一緒に店に入ってくれた。

花は僕も好きだった。いや、正確に言うと、好きに"なった"。もともと詳しい方ではなかったが、咲良から花の名前や花言葉を教えてもらううちに、僕も自然と覚えて、自分で調べるようにもなった。

ある日の閉店後、店の中をいろいろ見て回っていると、咲良が残した物がたくさん見つかった。押し花で作ったしおりや、花の刺繍が入った小物、咲良の手書きの看板やポップ。レジ横のデスクには、花の図鑑や、咲良が花について勉強したノートが並んでいた。咲良がどれだけ花が好きで、この店を、ご両親の想いを大切にしているかが身に沁みてわかった。

「ん…これ何だろう…?」

デスクの端にピンク色の分厚い本があり、気になって手に取ると、表紙には「diary」と書かれていた。

「日記つけてたんだ、咲良…。」

勝手に読んだら怒られてしまうだろうなと思いつつ、気付いたらページをめくっていた。日記には、毎日ではないが、咲良が店を継いだ日から亡くなる直前までの日々が綴られていた。お客さんとの会話や、仕事でミスして落ち込んだこと、友達と遊んだ日のこと…その中に、僕の名前を見つけた。

「"常連さんの晴くんと2人でご飯に行った。いろんな話で盛り上がって、すごく楽しい時間だった。もっと晴くんのことを知りたい。"……咲良。」

その後も、何日かおきに僕の名前が書かれていた。そして、僕がプロポーズをした日の日記、そこには、初めて知る咲良の想いがあった。

「"今日、晴くんにプロポーズされた。私が一番好きなひまわりの花束と一緒に指輪をくれた。人生で一番幸せな日だった。晴くんは、花で例えるとまるでひまわり。私の好きなひまわりのような人。だからどんどん好きになった。温かくて、笑顔が眩しくて、隣にいてくれるだけでパッと明るくなる。晴くんとずっと一緒にいたい。晴くんとあったかい家庭を築きたい。"」

僕は、咲良にとって、

「ひまわり…。」

涙がこぼれ落ちて、日記の文字のインクが滲んだ。



「いらっしゃいませ!」

「駅前にこんな可愛いお花屋さんあったのね、知らなかった!ソレイユ…?」

「フランス語で、"太陽"とか"ひまわり"って意味なんです。」

「ひまわり…素敵ですね。」

僕は、咲良の想いを受けて生きていく。この店を守る。窓から太陽の光が差し込んだ。

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