第16話 花結び


 器と己霊こだま。ふたりは縁により結ばれ、ひとりの誰かになる。其れはまるで花結びのように、対の羽根であるふたりはひとつの組紐を創り出すのだ。互いに異なる心をぶつけ合いながら、ひとりの誰かを織り成してゆくのだ。


 雲ひとつない靑昊の下、穏やかな風が吹き抜け、さわさわと木々の葉を揺らした。小鳥たちはぴいひゃらと唄を歌い、羽根をひろげて枝葉の上に停まる。そこから少し先にある木造の建築の連なる町の中では、幾人ものの人々が往来していた。旅装束を身に着けた者もあれば、彼らを呼び止め商いをする者もある。此処は宿場町。常にひとが歩行あるき、休み、語らい合う町。

 その中心部から南に行った先には、夜の憩いの場、花街がある。新芽をちらほらと生やし、緑の新芽と薄紅の花を付けている櫻の樹木のそばに、香玉館という娼館がある。

「あたしの髪も結っておくれ」

「いんや、あたしが先だよ」

「ねえ見ておくれよ、この簪。綺麗だろう」

 噎せ返るような甘いの香の匂いの立ち籠めるへやで、数人の女達が楽しげな聲を上げていた。彼女たちはみな色鮮やかな着物を身に着け、豪奢な簪を手に持っている。彼女たちは旅の者たちを癒やす夜の華――妓女である。

 

「ねえ、鴉ってば」

 

 女達の聲の先には、すらりと上背のある少年がひとり。艶のある濡羽色の髪を馬の尾のように垂らし、朔夜を閉じ込めたような黒の瞳をしている。日焼けした小麦肌は血色がよく、美しい貌には笑みがたたえられている。鴉の呼ばれた少年は、少し高めの男の聲で応えた。

 

「はいはい、順番だ」

 

 彼は手際よく、ひとりの女の髪を梳き、髪油をまぶして結わう。いくつかの髪は編み、いくつかの髪はふんわりと立てる。そうしてひとつに纏め、簪を挿す。その纏め髪はまるで生けられた花々のように華やかで艶やか。女は鏡に映る己の姿をうっとりと見惚れた。

「へえ、矢っ張りあんたは腕がいい」

「どうも。姐さんの髪は絹みてえにさらさらしてるから、結い甲斐がある」

「嬉しいこと言ってくれるねえ」

 ほほほ、と女たちは笑い合い「次はわたしのを」と鴉にせがんだ。

「そういや、あんた今年で幾つだい」

「俺?たしか十五だよ」

 鴉は返しつつ、次の女の髪を梳く。その傍ら、髪を結って貰うのを待つ女たちはまた黄色い聲でお喋りにいそしむ。

「へえ、あの短躯ちびがひょろひょろ大きくなったと思えば、もうそんな年齢としかい」

「そういや聞いたかい。身請けされた舞鶴姐さん、子供が生まれたらしいじゃないか。あたしゃ吃驚して」

「まあ、めでたい」

「鈴蘭姐さんからは文が届いていたよ」

「後であたしにも読ましとくれ!」

 鴉は今年で十五になる。地丿國では成人の年齢としである。鴉は髪結い師。彼の育った香玉館は顧客先のひとつである。

 

「あ、待て待て。次は白鷺しらさぎ姐さんだ」

 

 矢庭に、サクが聲を上げた。鴉は手を止め、聲のした方へ振り返った。

 其処は春の日差しのような、暖かな光に包まれた空間のであった。彼の傍らには、長い白髪をした美しい女。彼女は胡座をかき、貌に似合わず粗暴な身振り手振りで鴉を止めている。

「え、春菊はるぎく姐さんじゃないの」

「違う違う。白鷺姐さんはこのあとすぐに客を迎えに行かにゃならんのだから、春菊姐さんはあと」

「あ――……」

「御前は相変わらずそういうの苦手だな。ほら、わかったら手を動かす」

 わかったよ、とぼやく鴉をサクは呆れ顔で見届けた。鴉の肌は、器と同じ小麦色になり、背もすらりと伸びた。その様子にサクは満足し、にんまりと笑う。

「まったく、手のかかる旦那さまだ」

「はいはい。でも君は不器用が過ぎるんだよ。お陰で手を動かすのは俺だ」

「なにおう、そんなでもねえだろ」

「必ず魚を丸焦げに焼いて、洗濯物に穴をあける」

「う……」

 

 反論の余地がなく、押し黙る。鴉はくすくすと笑い、白鷺姐さんと呼ばれた女の髪を梳き始める。サクは己の脚を支えに頬杖をつき、何となしに言葉を吐露する。

「そういや、紫苑の旦那、こっち戻ってくるんだっけか」

「ああ、親父?文にはそう書いてあったけど」

 サクはじっと細やかに女の髪を結っていく鴉の手先を見詰める。あんな芸当をよくやってのけるよ、と何時も思わずにいられない。鴉は手を止めることなく、ことばを続ける。

「なんか成人の儀までには間に合わせてくるとか」

「まじか。結構離れた町に呼ばれてた気がすんだけど」

「まあ、気持ちだけ受け取ってくって返しといた」

「あゝ、矢っ張り間に合わねえのね」

 くつくつと笑いながら、サクはこてんと身體を傾け、鴉に寄りかかった。

「じゃあ成人の儀が終わったら、僕たちで露店をまわろうぜ」

 鴉はくすり、と笑い返す。

「はは、デェトってやつ?」

「御前がデェトって言うとなんか厭だなあ」

「酷い言い様だ」

 鴉はくすくすと笑いながらサクの方を見ると、サクはにやりと笑い返す。何となく愉快な気分になって、ふたりとも聲を上げて笑った。笑いが収まると、サクは少し照れくさそうに言葉を紡いだ。

 

「改めて言うのもおかしなことだけどよ」

「うん」

「これからも宜しく頼むぜ、旦那さま」

「こちらこそ」

 そしてふたりは聲を揃えて言った。

 

 

「「僕たちはきっとわかりあえる」」


 

 春の靑昊の上。

 一匹の紅い蝶が舞っていた。





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花結び 花野井あす @asu_hana

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