第195話 最終話_2
「ライラ、じゃなくてベアトリス。本当にそっちで良いのかい?」
ヴォラプティオは柔らかい笑みを浮かべながら、軽い調子で問うてくる。
「なにもひとりに決めなくて良いと思うんだよ、ワタシは」
私は深く息を吐いて、ヴォラプティオを見る。今日の彼は、先日の夜会の時のような女性体ではなく、いつもの男性のように見える姿だった。
「しつこいですよ、ヴォラプティオ」
そのやり取りに続いて、エミリオ様が口を開く。
今日のヴォラプティオとエミリオ様は、お揃いに見えるような格好をしていた。なんで? と疑問は浮かぶけれど、問うほどに興味があるわけでもない。
「そうだよ、ビー。もしその男が嫌になったら、いつでも僕のところにおいで? いつだって歓迎するからさ」
彼は冗談めかしたように、目尻に笑みを浮かべる。しかし、その言葉には明らかな本気が混ざっていた。私は笑みを浮かべることも忘れて彼を見やる。
「嫌になんてなりません。エミリオ様のお世話になるつもりもございませんわ。それから、ビーと親しげに呼ぶのもおやめください。誤解を招きます」
「本当に諦めが悪いな、お前たちは」
マクス様はげんなりとした表情を浮かべながらふたりを見た。彼の声にはわずかな苛立ちが滲んでいたが、苦笑めいた呆れも混じっていた。ふと彼と視線が絡む。
「ビー?」と呼びかけてきた彼は、私の顎を優しく持ち上げた。
マクス様は、悪い顔をしている。意図に気付いて、待ってください、と止める暇などない。
次の瞬間、彼の唇が私の唇に触れた。
柔らかく、しかし情熱的で、言葉以上に彼の想いが伝わってくるような口付けに目が眩みそうになる。私の心臓は一気に早鐘を打ち、彼の熱が身体中に染み渡っていく。
マクス様の唇は優しい。けれど、私を捉えて離さない。私は、ほぼ条件反射のように無意識に目を閉じた。
彼の手が私の背中に回り、きつく引き寄せられる。彼の体温と香りに包まれて、他にはなにも感じられなくなる。何度か角度を変えて口付けられ、膝に力が入らなくなりそうになったところでマクス様はゆっくりと唇を離した。
瞼をゆるゆると上げていけば、また視線が再び絡み合い、空色の瞳に映る深い愛情に胸が詰まる思いだった。ぼうっとしていると彼の胸に抱き寄せられる。
「これで、わからないのなら救いようのない莫迦だぞ」
聞こえてくるマクス様の声はいつもよりも低い。視界の隅でなにががちらついているのに気付いて横目で見れば、なにやら言いたそうなエミリオ様の口をヴォラプティオが押さえていた。
「まあ、一時的にはそうかもしれないけどさ。まだこの先どうなるかわからないじゃないか」
「黙れ。私はビーを離さないと言っているだろう」
「うぅん。でもねえ、がっつきすぎてる男ってどうなんだい?」
「そうだぞ。一方的に求めてばかりいるとビーに嫌われるぞ」
ヴォラプティオの言葉に勇気づけられたのか、彼の手を振り払ったエミリオ様がそんなことを言ってくる。
「……エミリオ、子供じゃないんだから、もうちょっと別の言い方はできないのかい? それじゃ駄々っ子だよ。そんな風じゃベアトリスだって心惹かれないよ?」
「じゃあどうすればいいの」
「自分で考えなよ、ワタシに聞かずにさ」
そんなやりとりを聞きながら、その場から距離を取ろうとそっと後退した。しかし、次の瞬間、エミリオ様の視線が鋭く私を捕らえた。
振り返った彼は、私が逃げようとする気配にすぐさま気付いて距離を詰めてくる。驚き目を見開いた私に、彼はお気に入りを見つけた子供のような満面の笑みを浮かべていた。
「それはそうとビー、今度からまた同じ場所で働けるんだね。同僚として、仲良くしようね」
「……同僚として、なら……」
「うん、まずは同僚からで良いよ。近くにいられたら、まだチャンスはあるだろうからね。それに、近くで見てたら僕の良いところ見つけられるかもしれないだろ?」
――チャンスって、なんですか。
眉間に力が入りそうになる私の横で、チッ、とマクス様の舌打ちが聞こえる。彼を宥めるように手を握れば、指を絡めて握り返された。
エミリオ様の言葉の通り、彼こそがマクス様を悩ませていた魔導師の塔最後の新人だった。
魔族と契約した状態で王位継承権を持ち続けるわけにはいかない、と自分で除籍を申し入れたエミリオ様だったが、その辺に放流するには危険すぎる力を持つ存在とほぼ運命共同体のようになっている。目を離すわけにはいかないので、誰かの管理下に入れる必要があった。
と言っても、王宮の魔導師たちが元王子である彼と、魔王であるヴォラプティオを抑えられるはずもない。結果、全部のコントロールが可能なのは、マクス様と、それから非常に心外ではあるのだけど私しかいないということになり……メニミさんも魔族の魔法や作る薬に興味があるということで彼らを迎え入れることに賛成し、彼の部下として魔導師の塔の所属となってしまった。つまり、これから先も毎日のようにエミリオ様とは顔を合わせなくてはいけなくなったということで、私も胃が痛いけれど、マクス様の怒りは相当なものだった。
「そうだ、ビー。これからお昼は毎日一緒に食べようよ。同僚なんだし、それくらい良いだろ?」
「あの、エミリオ様」
「古代魔法部門のみんなで仲良くなれるように、どこかに出掛けるのも良いね」
「エミリオ様、話を聞いてくださ――」
これから先なにをしよう、とエミリオ様は楽しそうに話している。それを聞いているマクス様が沈黙しているのが、逆に怖い。
私の腰をしっかりと抱いているので、絶対に渡さないと態度で示しているのだとは思う。でも、目の前で熱烈な口付けを見せられてもさしてショックを受けたわけでもないエミリオ様が、今更そんなのを気にするはずもなかった。
徐々に大きな声になるエミリオ様の声に気付いたミレーナが近付いてくる。
「なんのお話ですか?」
と彼女はさり気なく私とエミリオ様の間に入ってくる。これは、多分助けてくれようとしているのだろう。しかし、有難いと思えたのは一瞬だった。
「僕とビーが今度からは同僚だねっていう話だよ。だから仲良くしようね、って。毎日一緒に仕事ができるし、もしかしたらどこかに一緒に派遣されるかもしれないしさ」
「えー!? なんですかそれ、ズルいです。わたしとも仲良くしてください! どこかにお出掛けしましょう、お姉様」
「あの! ですから……ッ!」
どうしてそこでミレーナまでそういうノリになるのか。私は堪えかねて少し大きな声を出そうとした。
「だから、ビーは私のものだと言っているだろうが」
マクス様に抱き上げられ、そのまま身体がふわりと浮かぶ。
「こいつらに付き合っていたら頭が痛くなる。ビー、行こう」
「どこにですか?」
「新婚旅行、というやつだな。ミレーナから教えてもらった」
にんまりと微笑んだマクス様に寄り添うようにクイーンが空を舞っている。その背に乗せられて下を見れば、エミリオ様とミレーナが大きく手を振っていた。
「ビー! 友達からでも良いからーっ! 前みたいに仲良くしようってば。僕たち幼馴染じゃないか」
「お姉様―ぁ! わたしも! わたしとも遊んでください! もっと仲良くなりたいです!」
「っっ!!」
言い返して良いぞ、とマクス様から許可が出る。私は大きく息を吸い込むと、彼らに向かって叫んだ。
「
「はははッ、よほど腹に据えかねていたんだな。良い声だったぞ」
「もう、マクス様!」
じゃあ行こうか、というマクス様の声と共に、クイーンが空高く舞い上がる。
「どこに行くんですか?」
「ビーはどこか行きたいところはあるかい?」
「決まってないんですか?」
「あなたの行きたい場所になら、どこにでも連れて行ってあげると言っただろう。ほら遠慮なく言ってみろ。私と、どこに行きたい?」
その答えはすでに心の中に浮かんでいる。けれど――
あなたがいる場所ならばどこでもいいです、なんていうのは、答えになっていない。
「私は――」
言葉が喉まで出かかるが、続きがうまく出てこない。考え込むように少し顔を伏せたその時、ふいに彼の唇が耳元に触れた。くすぐったさに肩をすくめた瞬間、マクス様の甘い声が鼓膜を震わせる。
「愛してるよ」
その一言で、胸が熱く高鳴る。その声は頭の芯まで痺れさせて、全身を包み込むようなあたたかな感覚に心が満ち足りていく。
「私もです、マクス様」
口元に穏やかな微笑みが浮かんでいるのを感じる。私を見る彼の表情に、満足そうな笑みが浮かぶ。
「うん、知ってる」
囁かれる声はどこまでも甘い。彼の空色の瞳は優しさと愛で満たされ、まるで私だけを映し出す鏡のようだった。瞳の中にうっすらと宿るピンクがかった光は、彼が心の奥底に秘めた私への想いの色だ。
どこに行くのか、それはやはり重要には思えなかった。ただ、今この場所で、お互いが隣にいること。それがすべてであり、永遠に続く確かな幸せの第一歩だった。
あなたがいる場所なら、どこでもいい――
私は心の中でそう呟きながら、背後から優しく抱き留めているマクス様の大きな手を、ぎゅっと握りしめた。
【本編 完】
――――――――――――――――――
ここまでおよそ1年間、お付き合いくださった皆様ありがとうございました!
本編は終了ですが、また彼らの物語をちょこちょこ書く予定ではありますので、よろしくお願いします。
次回はキャラ紹介を予定しております。
またベアトリス以外のキャラ視点のお話を書いている小話集もございます。
https://kakuyomu.jp/works/16818093075840108112
短い彼らの日常話になります。
読んでくださった皆様に感謝と愛を。ありがとうございました。
【1章完結】結婚式当日に婚約破棄を告げられた公爵令嬢、即日チートな旦那様と契約結婚させていただきました。 二辻 @senyoko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【1章完結】結婚式当日に婚約破棄を告げられた公爵令嬢、即日チートな旦那様と契約結婚させていただきました。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます