鬱蒼とした緑は「私」だけのもの

人が自分の行いを「後ろ暗い」と思うのは、その人自身がその行いに下した審判の結果による。このまとめにそう異論は出ないかと思います。

しかし本当のところ大事なのは、もっと別のものかもしれません。鬱蒼と茂る濃緑のゴーヤのカーテンの後ろにある何か。「私」にはそれがあり「ショウジさん」にはない。だから「私」は彼に後ろ暗さを抱えているように思えます。そしてゴーヤは夏が終われば枯れ、その緑を浴びた部屋は鍵を閉めることができる。「私」は不自由であり自由ですね。きっと「ショウジさん」もそうなんでしょう。

明るく希望に満ちておらずとも、人間の生――セイ/ナマの実感をもたらす感情がこの世にはある。知らずについた打身のように、読み手にそれを知らしめる力のある作品です。