6
話し終えると祖父は大きく息を吐き、体を深々と椅子に沈めた。
親族の誰かが様子を見に家を訪れると、祖父は相手を自分の椅子の隣に座らせ、若き頃の思い出を語って聞かせる。今でも仲のいい祖母との馴れ初めとか、僕の父親がどんなに手のかかる赤ん坊だったかとか。大抵何度も耳にした内容だけれど、今日の話は聞いたことがない。
それにしたって、宇宙人とはなんとも変わった登場人物だ。僕は隣に座る祖父の、その顔に彫りつけられた皺を眺め、想像力というのは人生の終盤期においてもなお膨らむものだろうか、とぼんやり考えた。
「長話はするものではないな。中古の車になったみたいだ」
祖父は少し咳き込んで言った。ヘンリーのみたいな? と僕は訊く。そう、そんなやつだ。と祖父は答えた。大学生の従兄弟ヘンリーがあり得ないほど安く手に入れた年代物のフォードは、走っているときよく唸り声みたいな音をたてていた。埃っぽい排気ガスをふかし、もうすぐ力尽きてしまうというように、錆びだらけの車体を震わせて。
玄関の柱時計が三回、ぼーんと鳴った。おじいちゃん、そろそろ薬の時間だよ。そう言おうとして口を開き、しばし迷った挙げ句、また閉じた。サイドテーブル上の医者から処方された錠剤は、時間が遅く感じるこの部屋で、なぜかそれだけ、ひどく異質なものに思えたからだ。時計が再び秒針の音を響かせると、祖父は続けた。
「十一歳のわたしは、分厚い年月の底に埋まってしまった。それが何を意味するかわかるかい? 綱を渡ってもう一方の端に行くには、年を取りすぎたってことなんだ。わたしがあのサーカスの光を、前みたいに鮮明に憶えていないってことなんだよ」
沈黙が流れる。
長い、長い沈黙が。
先ほどまで家の前を絶え間なく走っていた車は一台も通らなくなり、庭の木々もぱたりと会話をやめてしまった。この小さな部屋に満ちる、重く、息苦しい空気が、僕の手足と声を捕らえ、潰してしまおうと強く抑えつけてくる。
祖父はそんな沈黙などものともせず(あるいは慣れきってしまったのか)悠然と背もたれに身を預け、顔を天井に向けていた。祖父の瞳は何を映していたのだろう。僕にはわからないけれど。もしかしたら、この沈黙の内側から、いつかの「骨」をまた見つけ出したのかもしれない。
僕は今聞いたばかりの話を振り返ってみた。どうも、全てが想像の産物、というわけではないような気がしたのだ。彼の家庭のことを、そのままサーカスの劣悪な環境に当てはめて話していたのかもしれない。例えば、サーカスの団長は彼の父親。暴力を振るわれていた団員や動物たちは彼とその家族。
だけどもし本当にそうだとしたら、「ボニー」は誰なんだろう?
真っ黒な瞳の宇宙人を思い浮かべ、思わず身震いすると、椅子がぎしと音をたてた。それが合図だったかのように、祖父はため息交じりの声で呟いた。
「まあ、ただそれだけのことなんだけれど」
午後の日差しが祖父の白い髪を柔らかく染め上げている。僕は答えを出すことを諦め、空気中を舞う細かな埃の行方を目で追った。そいつらはちらちらと、壁にかかる大テントの白黒写真の上に降りかかっていた。
祖父の話に出てきたサーカスの眩い光も陽気な音楽も、今ではもう、ただの覚めたばかりの夢と成り果てて、祖母のお気に入りのレースカーテンと一緒に窓から吹き込む風に揺れている。
遠い昔の、焼け跡のついた沈黙が、ゆっくりと僕の頬を撫でていった。
ボニーの骨 沢田こあき @SAWATAKOAKI
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