最終話 本当の気持ちは
「まだ、勉強してたんだ」
風呂上がりの叶乃は、ゆったりとしたパジャマに着替えており……それもあって少しはリラックスできたのだろうか。戻ってきたときには既に落ち着きを取り戻していた。
そんな彼女の細くて白い脚がパジャマの裾からちらりと見えたとき……僕の心臓は一瞬だけ大きく跳ねた気がしたが、それはきっと、僕の内面に潜んでいる心の弱さが所以だろう。
傷跡を直視したくないという自己保身の……
僕はそんな弱い部分を彼女に気付かれないよう注意しつつ、机に向かったまま「ああ」とだけ返事をした。
正直、今の僕が彼女にどんな顔を向ければ良いか、分からなかった。
「……光汰くんは、勉強って好き?」
しかし、彼女の方にはここで会話を終わらせるつもりはないようで、急に別の話題を振ってきた。
……そして何故だろう。今回の質問は周囲の雑音に邪魔されることなく、はっきりと僕の耳に届いてきた。
「別にそうでもないな」
実際、僕は勉強を楽しいと思っているわけではないし、あくまで目的を達成するための手段の1つに過ぎない。
「じゃあ、どうして……?」
しかし、小さい頃から自分の欲求に正直で、明るくて笑顔が絶えなかった彼女には、僕が勉強をする理由を、すんなりと理解出来はしなかったようだ。
……あれ?そういえば僕が勉強に力を入れている理由って、そもそも彼女にすら言ってなかったんだっけ?
「……少し長くなるかもしれないけど、いいかな?」
僕が尋ねると、彼女はうんと小さく頷いた。―――そのときの彼女は、心なしか少しだけ嬉しそうに見えた。
考えてみれば、僕のことについて彼女に話すってほとんどないことだった。
「僕は、責任を取るって決めたからね」
こうして僕は―――医者になる決意を彼女に伝えた。
♢♢♢
「……そっか、私のせいで……」
……ああ、何でこんなことを話してしまったのだろう。
この話をすれば、彼女が僕のことを許してくれるかもしれないと多少、期待してしまっていたのかもしれない。こうすることで、少しは楽になりたかったのかもしれない。
だけど、彼女は僕が思っていた以上に、何倍も心優しい子だった。いや、少し考えれば分かることだった。どうやら僕の話を聞いて、逆に彼女自身に責任を感じてしまったらしい。
「これでいいんだよ。悪いのはどう考えても僕の方だし、それに僕も勉強が嫌い、というわけではないから、叶乃が気に病むことじゃないよ」
「いや、そうじゃなくて……」
しかし、彼女は僕の言葉を否定した。
もう、何というか、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
僕はどれだけ彼女を傷つけて、困らせたら気が済むのだろうか。
心苦しさでいっぱいになり、罪悪感で押しつぶされそうになる。
だが、そんな僕に、彼女は少し躊躇った後……恥ずかしそうに視線を斜め下へ落とすと……
「……見て、光汰くん。私の……」
そう呟き、彼女はパジャマの裾をぎゅっと摘まんで、少しずつたくし上げていったのだ。
ばくばく
心臓の鼓動が速くなっていく。どうやら、あのときの僕の罪を直視したくないと、本能が訴えているようだ。
……だけど、それじゃダメだ。
僕はこうして露わになった彼女の白い太ももを、じっと見つめた。
……しかし、どこにも見当たらなかった。あの日、あのとき僕がつけてしまったはずの傷跡は、きれいに消えていた。
えっ……どうして……
戸惑う僕に、叶乃はとても言いにくそうにしながら、真実を語り始めた。
「あのね、光汰くん……私のあのときの怪我は、光汰くんの応急処置もあって、すぐ綺麗に治ったの。だから、私は本当に何も気にしていなかったし、そもそも事故みたいなものだったし……それに、あの場で責任を取ってって言っちゃったのは確かだけど、あれは言葉の綾というかその……」
叶乃にあのときの傷がすっかり綺麗に治っていることを伝えられた僕は、ただただ呆然とするしかなかった。
僕は……
今まで何のために、色々なことを我慢してきたのだろうか。
本当は、僕にだってやりたいことはたくさんあった。
小学生の頃、本当はもっと叶乃と一緒に遊びたかった。
中学生の頃、本当は叶乃に話しかけたかった。
そして、今、本当は……
全く頭の中が整理できず、そんな今の僕は目標を失い燃え尽きてしまったアスリートのようだろう。
いや、そもそも僕の場合は目標なんてものではなく、ただの義務と使命が原動力だったのだから、彼らを例えとして引き合いに出すことすら失礼だ。
しかし、そんな僕に叶乃は……
優しく、諭すように僕をじっと見つめて、こう言った。
「だから、もう、良いんだよ……光汰くんも好きなことをして、好きなように生きよ?」
―――ああ、そうか。
それは、僕がずっと心の奥底で求めていた言葉だった。
僕の中で、何かが解き放たれていくのが分かった。
僕はずっと、無意識のうちに自分の感情に蓋をしていた。
やりたいことを我慢して、いつしかそれが当たり前になっていた。
目の前に、幼馴染がいる。
誰よりも大切な女の子。大切にしたいという想い―――それは、罪悪感からではなく、僕の本当の望み。
僕の手で、彼女のことを笑顔にしたい。小さい頃からずっと、そう思っていたじゃないか。
顔のパーツが整っているとか、そんなことを考える余裕すらなく、ただただ叶乃が可愛くて、愛おしい。
その事実を目の当たりにした僕は、自分の胸に手を当てる。
叶乃を見つめていると、心臓の鼓動がどんどん速くなっていく。
涼平と流歌が言っていたように、確かにそこに、答えはあった。
だから僕は、彼女が言ってくれたように―――
これからは自分の気持ちに正直になって、生きる道を選びたい。
「叶乃。僕は、君のことが好きだ。大好きなんだ。だから、ずっと僕の傍にいてほしい」
ぷしゅー
ばたっ
……あれっ
急に真っ赤になった叶乃が倒れてしまったけど……やはり僕は医者を目指した方が良いのだろうか?
―――
※一応……「光汰くんは、勉強って好き?」がはっきりと聞き取れたのは、叶乃さんが直接関係しない質問だからです(笑)
短いですがこれにて完結です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました(^^)
【完結】最近、僕の前でだけ情緒不安定になる幼馴染。友人は「自分の胸に手を当てて聞いてみろ」って言うけど、僕はいったい何をしたっていうんだろう よこづなパンダ @mrn0309
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