嵐の前に

幸まる

優しい口付けなどいらない

いつもの時間。

いつもの庭園。

背の高い生け垣の間から、私は一歩踏み入る。


ドレスの中で、足が震える。

鼓動は早く、息苦しい。

普段は心地よく感じる花の香りは、今は濃くまとわり付くようで、胸が詰まる。



ああ、私は、なんて大それたことをしようとしているのか…。



「お嬢様、お寒いのでは?」


側付きの侍女に声を掛けられ、我に返る。

緊張のあまり、僅かに震えていることに今気付いた。

侍女はそれを、肌寒さのためだと勘違いしたようだ。

確かに今日は、いつになく風が冷たい。


「……上掛けを取ってきてちょうだい」

「戻られた方がよろしいのでは?」

「昨日開きかけていた蕾が、咲いたのかどうか見たいの」


いつもの時間、いつもの庭園での散策だ。

庭園の外周近くには、屋敷の衛兵もいる。


すぐ戻りますから、と侍女は早足に庭園の入口に向かう。

その後ろ姿が、生け垣の向こうへ消えるのを待って、私は庭園の奥へ足を踏み出す。



ああ、私は…。

私は、なんて大それたことをしようとしているのか…。



頭の中ではそう思うのに、一歩踏み出してしまえば、不思議と足は勝手に前へ前へと動いた。

さっきまで震えていたはずの身体は、まるで魔法をかけられたように軽い。



突然、生け垣の境から腕が伸びて、私の腕を掴んだ。

あ、と声を上げる間もなく、腕を引かれて倒れ込む。

私の身体を難なく受け止め、優しく、力強く包み込むのは、汗と土の香りの混じった厚い胸と太い両腕。


「お嬢様」


低く囁かれたその一言だけで、胸の奥にくすぶっていたものが爆ぜたようだった。


大柄な身体を、折るようにして私を抱きしめてくれるのは、この庭園の専属庭師。

彼の濃青の瞳が、燃えるように熱い想いを灯して私を見つめている。





彼と会話らしい会話など、したことはない。

欲しい花を摘んで貰う時に視線を交わし、花を受け取る時に指先が触れる。

日に僅かな、交わりとも言えない交わり。


それなのに。


日に日に、私を見る彼の瞳に情が深まるのを感じる。

触れる指先から、痺れるような熱が伝って、私の胸の奥をズクズクと疼かせる。


ああ、この疼きを、くすぶる熱を、貴方は分かってくれるだろうか。



昨日、ついに胸の疼きに耐えかねて、不意に鼻の奥がツンとした。

唇を噛んで耐えた私の顔を見て、貴方が苦しそうに目を細めた時、気づいてしまった。


貴方にも、私の想いは伝わっている、と。





「お嬢様」


再び低く呼んで、強く抱きしめているのに、頬に触れようとする彼の指が躊躇うようにすんでのところで止まる。


いやよ。

なんてじれったいの。


私はその手を取って、頬を押し付けた。

息を呑んだ彼の瞳は、より一層熱を孕む。


「私を摘み取って」


ただその一言で、彼の熱は膨れ上がった。

頬に添えられた手が、甘く強く私の顎を引く。

覆い被さるように顔が近付き、荒々しく唇を奪われた。


それは優しくも甘くもなく、雄々しくも荒い口付けたった。

ただ、その切羽詰まったような求め方が、かえって私を堪らなく求めていたのだと教える。


胸の疼きは、何度も爆ぜて何もかもを熱くする。

開ききった大輪の花が、風で強く震えている。


この瞬間を、身体中が、心が求めていた。




優しい口付けなどいらない。

この先に待つ大嵐を前に、一時の静けさなど何になるだろう。


迫り来る嵐に立ち向かうように、私達は互いの指を絡ませて、深く口付けを繰り返す。

冷たい風は、私達の熱を取り去れはしなかった。




《 終 》

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嵐の前に 幸まる @karamitu

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