第4話 押し付けられ女房、青の大地を駆ける

 自らのスキル内容をラフィリアが告げると、場がシンとした。

 多分、意味が分からなかったのだろう。きょとんとしているか、ぽかんとしているか、いぶかしげか。……周りの人々は揃って反応に困っていた。


(そうよね、何だそれって思うわよね……!)


 うふふふふと苦笑しながら、彼女は小さく頭を下げる。


「ごめんなさい。そんな訳で魔法やスキルに関してはあまり……お役に立てないかと」

「――いや! その、こちらこそ失礼した」


 不躾ぶしつけなことを訊いたと謝るエリアスに、言い出したラルフも申し訳なさそうに頭を下げるので、気にしていないと笑顔を返す。

 わざわざ気を使ってくれたからの言動だろうし、何よりそれだけ辺境領が切羽詰まっているという証左しょうさだ。


 「お恥ずかしい話ですが、わたくしも父より縁談が決まったと聞いただけで、本当に身ひとつでこちらに参りましたの」


 せいぜいが町娘にしか見えない旅装に、侍女も護衛も付かない単独の旅路など、公爵令嬢としては異様だ。嫁入りの持参金はおろか、他領を尋ねるのに手土産のひとつもない。

 あまりに無い無いづくしで笑うしかない。


(あら、こういうのってダジャレっていうのでしたわねぇ……)


 うふふふふと頬に手を当てながら微笑っていると、目の前にスッと手を差し伸べられる。

 

「――ラントゥ公爵令嬢」

「はい」

「先ほどから重ねての無礼、申し訳なかった」


 貴女も巻き込まれた被害者でいらっしゃるのだなと彼は言い、そっとラフィリアの荷物を持ってくれた。断る暇も無かった。

 ――え? 慣れてらっしゃる?

 ちょっとびっくりしていると、自然についてくるよううながされる。


「遠いところからいらして、お疲れだろう。今日は――……」


 城を見上げながら言いかけて、止まるエリアス。たっぷり沈黙してからラルフの方を振り返った。少々眉間にしわが寄っている。


「ここに馬車は、あったか?」

「――あ」


 ラルフの方もしまったという顔になり、慌てて使用人たちに確認を取り始める。するとシンナンがまた手を挙げて、

 

「若、荷馬車なら」

「貴族のお嬢様は荷馬車になんか乗らないんだよ!」

「なんで。ノエラ様はよく乗ってた」

「ノエラ嬢ちゃんは辺境育ちだから例外だ!」


 ノエラ様って、確か妹君だったかしらとラフィリアは思い起こす。婚約を申し渡されてすぐに、ヴィンディック辺境領について勉強しなおしたのだ。何においても情報は大事である。姉の教えは正しい。

 けれど、どうして移動する前提なのかしらと思い、聞いてみた。ここにお邪魔しては駄目なのだろうか。立派な館があるのに。

 するとエリアスには首を振られてしまった。

 

「今、この城館にはご令嬢の世話が出来るような使用人がいない」

 

 言われてみれば、今、この場にいる使用人たちも男性ばかりだ。下働きには女性もいるが、貴人の相手ができる上級使用人となると駐留していないらしい。

 聞けば、ここは元々辺境領の玄関口にあたる砦で、関所のようなものだという。普通の客人であるならば、ここはただ通過するだけで、更に馬車で3~4時間ほど行った先にある領都に滞在するものなのだ。馬車から追い出されたラフィリアが特殊な例なのである。

 現在は昼を少し回ったところ。すぐに出発すれば、夜までにあちらに着けるとエリアスは言う。

 

「……馬には、お乗りになれるだろうか?」

「はい、一応」


 ラフィリアは笑顔で頷いた。早駆けし続けるようなことは出来ないが、馬の背に揺られて行くくらいなら問題ない。

 

「大丈夫ですわ。以前、牧場で――」


 ――働いていたことがありますと、うっかり言いかけて、さすがに口をつむぐ。普通の公爵令嬢は牧場で労働したりしない。初対面でぶちこむには不適切な話題である。


「牧場で――、そう! 牧場に滞在していたことがありますの」


 おほほほほ、と笑って誤魔化す。嘘ではない。

 実はラフィリアは、スキルに目覚めて以降、この使い道の分からない『拡声』を何とかどこかで役立てられないかと試行錯誤していた。

 その一環で、牧場でしばらく働いてみたのである。……どうして牧場かとは聞くなかれ。当時のラフィリアには良い考えのように思えたのだ。なんか広いし。この声で羊とか誘導できないかななどと考えたのだが。角笛みたいな。

 ちなみに結果は惨憺さんさんたるものだった。現地の牧羊犬に鼻で笑われ、彼らの中では無能の序列最下位として扱われた。

 ……まだ12歳だったし、あの時は記憶が戻った直後で何かおかしなテンションだったのだ。転生ハイとでも言うのかもしれない。

 でも、全くの無駄ではなかった。馬に乗れるようになったし、たくさんの動物と触れ合ったおかげで大抵の生き物は怖くない。経験というのはどんなものでもいつか自分のかてになるのである。多分。

 まぁ乗馬に関しては、事前に計画を聞いた姉が「あくまで働きに行くというなら、足手まといにならない程度の準備はなさい」と教師をつけてしごいてくれたおかげであるが。

 ありがとう。お姉さまはいつも正しいです。

 毎回突拍子もないことを言い出す妹でも、馬鹿にしたりせずちゃんと話を聞いてくれてアドバイスしてくれ、また諸々の手配をしてくれた。何という女神っぷりだろう。大好きだ。


 「それでは、馬にしましょう。準備ができるまで、少しお休み下さい」


 姉を思い出してぽわぽわしていたら、エリアスに館の中へと案内される。そのエスコートはやはり優しく、完璧だった。

 ……とりあえず、ラフィリアの存在は彼の中で、『得体の知れない闖入者』から『庇護対象の令嬢』にまで格上げされたのかもしれない。



 

 それから小一時間ほどして、準備が整ったと伝えられた。

 使用人たちが馬を整え、移動する騎士たちは軽く食事を摂ったようだった。ラフィリアにも食事が供されるところだったが、馬車酔いで食欲がなかったので、甘くしたお茶だけを頂いた。


 「少しは休めましたか」

 「はい、ありがとうございました」

 

 外に出ると、先ほどよりずいぶん軽装になったエリアスたちが居た。どうやらしっかりと鎧を着こんでいたのは、国王の部隊に対する一種の威嚇であったらしい。確かに見た目とか肩書とか、とても気にする部類の人たちに思えたなとラフィリアは納得する。


 「お嬢様。申し訳ないんですけど、二人乗りでお願いできますか?」


 馬を連れたラルフとシンナンがやってきて、彼女に礼をとった。


「あんまりご令嬢向きとは言えない馬しかいなくて……怪我でもされたら事ですし」

「若の馬に同乗でお願いしたい」

 

 困ったように眉尻を下げて、短く刈り込まれた金髪をガシガシとかくラルフ。シンナンの方は安定の無表情である。

 

 「ラントゥ公爵令嬢」

 「あの……よろしければラフィリアとお呼びください」

 

 エリアスに声を掛けられ、ラフィリアは気になっていたことをお願いしてみた。

 社交界デビューもまだで、普段もあまり貴族社会に出ない彼女にとっては敬称で呼ばれるのはどうにも慣れない。

 

 「では、私のこともエリアスと」

 「はい、ありがとうございます」


 彼が快く承諾してくれたことにほっとしていると、改めて二人の騎士を紹介される。ヴィンディック領の騎士団所属で、彼ら二人がエリアスの筆頭護衛であるらしい。

 

 「ラルフ・ガイスラーです」

 「……シンナン・ヴォーン」

 

 揃って背が高い。

 エリアスも自分の兄よりは大きいが、その彼よりも二人の方が長身で、ラフィリアは首を思い切り曲げて、見上げた。

 たれ目で人懐っこそうなラルフと、対照的に懐かない狼のような雰囲気のシンナン。シンナンはやはり移民のようで、ソース顔ばかりの中に、前世で馴染みの深いしょうゆ顔を見つけられたので、ラフィリアは嬉しくなってにっこり笑った。

 

 「よろしくお願いいたします」


 

 


 

 騎馬が十数名。荷馬車が一つ。領都に戻る隊列が一堂に並ぶ。

 

 「……それでは、ラフィリア嬢。お手をどうぞ」

 「はい、エリアス様」


 馬上に上げられ、エリアスの前に横乗りでちょこんと陣取る。久しぶりの高さだ。そして横乗りは実はあまり慣れないのだが、乗馬服でないので仕方がない。

 けれど、不安には思わなかった。後ろに居るエリアスの身体は大きくて、彼女を包むように回された腕もしっかりとして揺るぎがない。


 (さすが本物の騎士さま。鍛えてらっしゃるのねぇ)

 

 ラフィリアは関心しながらにこにこと笑う。父も兄もどちらかといえば文官のタイプだし、護衛として騎士に囲まれるような機会もこれまでほとんどなかったので、何だか新鮮である。

 

「出立!」


 砦の裏側にあたる門から出て、領都側に通じる城壁の方へと向かう。

 来た時は外が見えなかったので、騎馬は嬉しい。邪魔にならない程度に辺りを見回した。道を行く人々は冒険者の風体が多いようだった。関所のような場所と言っていたので、入領手続きなどを待っているのかもしれない。

 やがて城壁の門を抜けると、街道に出た。広い街道の先、道を挟んで両側は、見渡す限りの青い麦畑が広がっていた。


 「……まぁ……!」


 茎立ち期の、まだ若い麦たちが風に揺れている。一面の青の海にラフィリアは思わず歓声を上げた。


 「我が領は、これでも半分が穀倉地帯なのですよ」

 「そうなんですの?」


 青いさざ波が広がる中を進みながら、エリアスが穏やかな声で説明してくれる。

 ヴィンディック領と言えば、魔境と呼ばれているように、魔物たちの出る土地から採れる魔石だけが特産なのだと思っていた。

 

 「元々は北を除いて、領の八割が農業で成り立っていました」

 「そんなに?」


 ラフィリアは驚いた。一応、辺境領のことは確認してきたはずなのに、王都で言われていることとはずいぶん違う。

 不勉強ですみませんと謝ればエリアスは首を振った。大分だいぶ、昔の話ですからと彼は言う。

 

 「曾祖父の時代は、まだここまで魔物の被害はひどくなかったのでね」


 50年ほど前の祖父の時代、大規模なスタンピードが起こり、領は壊滅的な被害を受けた。それ以来、魔物たちは活動を活発化させ、今日に至る。復興しようにも、以前より勢いを増した魔物の脅威を恐れて、北側の多くの民が土地を捨てて逃げて行ったらしい。


 「実際、他領に売りに出せるものとなると魔石くらいしかないのです」


 採れた穀物は基本、領内で消費される。余剰分は全て備蓄に回され、他所よそに出回ることがない。回せるほどの余分は、出ない。


 「……いつ、何があるか、分かりませんから」


 その言葉にひやりとしたものを感じて、ラフィリアは瞬いた。

 ヴィンディック領は広い。その半分が穀倉地帯であるなら、かなりの石高こくだかが見込めそうである。それを全て自領のみに充てるということは、すなわち常時、戦時下のような消費状態ということだろうか。冒険者や傭兵が多いならそういうこともあるのかもしれない。

 けれど、それ以外にも、困った時に他には頼れないという、そんなニュアンスも感じられた。今回の国からの支援が良い例である。

 実際、王都でも『魔境』は忌避の対象だった。怖いから近づきたくないという言葉ばかりを聞いていた。でも、彼らが頑張ってくれていなければ、国中に魔物が溢れているということを理解している人はどれほどいるだろうか。

 うーんと彼女は考えた。

 この婚約がどう転ぶにせよ、自分はしばらくここにお世話になるだろう。そのまま結婚するにしても解消になるとしても、ただの穀潰しになるつもりはない。

 何しろ、支援金3ヶ月分の女であるが故に。


 (やっぱり、実際その場に来てみないと分からないことは多いものね)


 さて、自分にここで何ができるだろうか。

 少なくとも次に姉に会った時に、胸を張れるようにしておかなければ。

 

 周りを走る騎士たちと、エリアスのことを少し仰ぎ見る。彼らが大事にしているこの地は、一体どんな所なのだろう?

 青く広がる若い麦たちは、まるで可能性の象徴のようだ。でも、こことは真逆の光景も存在しているに違いない。

 それらを全て、余すところなく見に行こう。自分にできることは、まずそこからだ。


 方針が決まって、ラフィリアは笑みを浮かべた。まずはこの道行きを楽しむことにしよう。

 初夏の、明るい空と青の海を。


「――美しいですわね」


 思わず、口をついて出た。

 牧場に居た頃を思い出す。あの時も広い草原を走り回った。あちらの皆は元気にしているだろうか?

 

「知り合いに、見せたくなりました」


 後ろのエリアスを振り仰いで、そう伝えると、彼はひとつ瞬きをして。

 

「そうか」

「はい」


 ラフィリアはにこにこして頷く。

 牧場の皆は広くて見渡しの良い所が好きだった。ここに来られたら、歓声を上げてあげて走り回るに違いない。

 牧場主も牧童たちも、馬も羊もそれから――……。

 

(絶対に隊長も奥様も気に入るわ。こんなに綺麗なんだもの)

 

 皆の喜ぶ顔が想像できて、ラフィリアがうきうきしてくると、それを見ていたエリアスが小さく口元をほころばせた。

 

「――ありがとう」

 

 あら、お笑いになったわ。

 凛々しいばかりの深い紺色の瞳が柔らかくなる。真面目で硬い印象だったが、こうして表情を緩めると少し可愛いかもしれない。

 ラフィリアも嬉しくなって、ますます笑みを深めて返した。

 

 (エリアスさまって、犬はお好きかしら。いつか隊長のお子様たちを抱っこさせてあげたいわ)


 ちなみに隊長とは、牧場に居た牧羊犬のリーダーである。

 前世でいうところの、ウェルシュ・コーギーに似た犬で、大変に有能であった。仕事のできないラフィリアを散々𠮟りつけ、序列最下位と決定づけたが、ひたすらに根性でくらいついていった彼女を最終的には認めて子分にしてくれた。

 奥様は、そんな彼の同犬種の妻で、おっとりと優しく、ラフィリアのことをよく励ましてくれた。二匹とも、恩人ならぬ恩犬である。

 そんな彼らには当時、生まれて間もない子供たちがいた。子分にしてもらった以降はよく見せてもらったものである。

 イタズラもたくさんされたものの、基本的に気のいい子犬たちで、好きなだけ抱っこさせてくれた。優しいお子様たちである。

 そのモフモフにラフィリアは何度癒されたかしれない。小さかった彼らももう、立派な大人になっていることだろう。いつかまた会いに行きたいものだ。


 

 ――お姉さま、隊長! わたくし、これから頑張ります!


 

 ラフィリアは前を見据え、心の師と位置付ける存在にむけて決意を新たにした。



 

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