第5話 蓋を開けたら、婚約者(エリアス視点)
エリアスは、ゼルトザーム家の嫡男として、父のブリッツと母モルガーナの間に生まれた。
ゼルトザームの一族は代々、クライノート王国の北西にあるヴィンディック辺境領を任されてきた。
ヴィンディック領は特殊な土地で、魔界に通じると言われる【黒の森】に隣接している。
【黒の森】自体はどの国にも属さない、不可侵地域となっているが、その周りを囲むように存在する【灰の谷】は魔石が採れるため、古来から人間たちの行き来する場であった。
ヴィンディック領は北の端に【灰の谷】を臨んでおり、辺境伯家は、そこから採れる魔石と、時折【黒の森】から出てくることがある魔獣を駆除し管理することを使命としていた。
しかし、数十年前に状況は一変する。
今では【大厄災】と呼ばれている、大規模スタンピードが起こったのである。
それまで、辺境領に降りてきていたのはせいぜいが魔獣――森の瘴気や濃い魔素に充てられて狂暴化した既存の動物――であったが、【森】から【谷】から、一気に溢れ出てきたのは、なまなかな攻撃などではとても太刀打ちできない真の魔物たちであった。
【黒の森】を挟んで真逆の隣国でもかなりの被害を出したが、ヴィンディック領の被った損害はとんでもない規模だった。
南側にあった領都は無事だったものの、北側の【谷】に近い町村はほぼ壊滅。ゼルトザーム家も、たった一人の跡取り息子を失った。
当時、辺境伯であったエリアスの祖父は、必死に領を復興させつつ、変わってしまった【黒の森】への対策を一から練り直したという。
そんな中で生まれたのが、エリアスの父となるブリッツであった。
だから、ブリッツ以下の世代は比較的穏やかであったという昔の辺境領を知らない。今の、始終にらみを利かせていないと何が起こるか分からない緊張感の中で育ち、生き残ってきたのである。
それらの惨禍に心を痛め、何かと便宜を図ってくれたのが先王であった。
先王は皇太子時代から、エリアスの祖父を師と仰いで英雄視し、その長男のことも自らの弟のように扱っていた。しかしその子が亡くなり、領もひどい有り様となったため、大変に心を痛めたのだ。
ヴィンディック領を積極的に支援し、やがて生まれた次男のブリッツを可愛がり、王となってからも辺境領を陰に日向にと見守ってくれた。
しかし、それでこじらせたのが現王である。
自分と同い年の辺境伯子息が、何かと父王から気にかけてもらっていることに嫉妬したらしい。
ブリッツもよくからまれたと聞いて、エリアスは呆れた。子供か。一国の王がそれでいいのか。
(過分な扱いは不要だと、言えたらよかったのに)
エリアスは自領の立場を考えると、いつも苦い思いがこみ上げる。
先王の厚意を、お気持ちだけで十分と謝辞を述べられれば良かった。
……けれど現実に領の状況は苦しい。
魔物の脅威は去らず、生産力である民は逃げ出し、流入してくるのは冒険者や傭兵などばかり。加えて、主な資金源である魔石は何故か年々質を落としている。
これ以上、被害が出ないように身を守るので精一杯。
もちろん結果として、ヴィンディック領が魔物の南下を防ぐことで、最終的には王国全土の安寧を守っているとも言えるのだが、果たしてそれをどこまで他領の人間が分かっているのか。
「…………」
エリアスが小さい頃、よく母は彼を連れて、近隣に社交に出ていた。
顔を繋ぐこと、知己を得ることは大事だからいろんな人とお話してみなさいと言われた。
けれど、子供たちの輪の中であっても、最初は黙っていても寄ってくるくせに、エリアスがヴィンディック領の跡継ぎだと知るとすぐに手のひらを返された。怖がられて、遠巻きにされる。
特に女の子がひどかった。目を合わせるな、気に入られたら求婚されてしまうとひどく怯えられて逃げられた。
(どうして僕が目が合っただけの子に求婚しなくちゃならないんだ?)
言いがかりも甚だしい。
社交なんて嫌いだと思ったが、母を見ているとそうも言えなかった。
母にとっての社交とは、近隣から様々な協力を引き出すことだった。もちろんただとは言わない、ヴィンディック領でしか採れない魔石の優先取り引きなどで相互提携し、物資や戦力などを融通してもらう。母がしていたのはそんな『戦い』だった。
実際の母は社交がとても不得手であったらしい。それでも、前線で戦う夫や自領の民たちのため、いつでも必死だった。
やがて時が過ぎ、妹が産まれて以降、母は頻繁に体調を崩すようになった。
その頃には社交は最低限とし――労力に対して、実りが少ないからだ――、北の砦や領都で父や騎士団の皆、民たちの様子を見て回り、声をかけることを日課とした。
少しでも体調が良いと出かけてしまう母を心配して、エリアスはたびたび同行を申し出た。
母は、若い頃に無茶をしたツケがきたのだとカラリと笑っていた。それは父と一緒に前線に出ていた頃かと訊くと、それよりもっと前の、この辺境に来るより以前のことだという。
どういうことか気になったが、母には母の事情があるのだろう。それ以上は話してくれなかった。
『エリアス? 大丈夫? 重くない?』
『全然重くない。これぐらい持てる』
母の負担にならないよう、用意した差し入れなどの荷物は全てエリアスが持った。最初の頃は心配そうにしていたものの、大きくなったのねぇと彼女は笑った。
巡回に出る度、母の荷物をまるっと奪うことが習慣化した頃、
『いいわねぇ。デートでそんなにスマートにエスコートされたら、レディはイチコロね』
『そんな予定はない』
『……ぶふっ』
母の軽口にすげなく返したら、父親と同じことを言ってるわこの子!と笑われた。
そんなやり取りを繰り返しながら、領都を、村や町を、【灰の谷】に隣接する北の砦を回る。
人々を励まし、時に要望を聞き、功をねぎらう。
母はどんな時も、辺境領を愛おし気に見つめていた。
『ねぇ、エリアス。ここは本当に良い所ね』
いつだって、皆が協力して頑張っているわ。
――他はそうではないのだと、聞こえた気がした。
エリアスの背が伸びて、大人と遜色のない体格を有す頃、国王が崩御した。
父が、知らせを受けて、その場で長く黙祷していた姿が印象的だった。
良くないこととは重なるもので、そこから一年しないうちに母もまた他界した。
……父とまだ幼い妹を守り切ることを、墓前で誓った。
成人前であるものの、大人として扱われることが増えたエリアスは徐々に辺境領の後継として仕事を任されるようになった。
そして、少しでも父の負担を減らそうと意気込んだ彼を、ひどく疲弊させたのは、領外との折衝であった。
魔物たちと戦う方が数倍楽だと思えるほど、同じ国の人間であるはずなのに話が通じない。
幼い頃、母と社交に出たときに感じていた疎外感は気のせいではなかった。
誰もが自分たちとは関わりのない所で、ヴィンディック領が勝手に頑張ってくれればよいと考えているようだった。
「………………!」
エリアスはぐっと奥歯をかみしめる。
現王が即位してから、ますます状況は悪くなった。
王都からの使者は毎回、物乞いを見るかのように尊大な態度でやってくるし、そもそもの支援も先細る一方だ。
いっそのこと、全てを放り出して、襲い来る厄災を全て王国内へ流入させてやろうかと思ったことも一度や二度ではない。けれど、それでは結局のところ、一番最初に犠牲になるのはヴィンディック領の民たちになる。
それでは駄目なのだ。エリアスが何より守りたいのは、この地で必死に生きている人たちなのだから。
日々、葛藤し続けながら綱渡りの戦いを続ける。それは彼が成人しても変わらなかった。
今回もまた国からの支援は遅れている。前回など、遅れた挙句に寄こしてきたものの価値は決まりの半分ほどであった。それが常態化するようならいよいよ立ち行かなくなる。
王家への直談判も視野に入れて、対応を練った。
そうして待ち受けること数日。もたらされた『支援』は全くもって想定外のものであった。
――意味が分からない。どうして貴族のご令嬢が寄こされるんだ?
部隊の人間に抗議するも、どこ吹く風で聞く耳を持たない。さっさと片づけてしまおうという姿勢を隠そうともせずに話を進められてしまう。
馬車の扉が開かれれば、小柄な人物が姿を現した。
いかにも年若い、高い少女の声がして、挨拶をされる。
場が一斉にざわめいた。
その淡い色の髪に、何故か一瞬既視感を覚えたものの、気のせいかと思い直す。王都はおろか、この辺境近辺から出たことのない自分が知っている人物であるはずがないのだ。
一体、どんな目論見で送り込まれた令嬢なのだろうと話を促せば、本人もきょとんとして状況を把握していないようだった。
相手はあの王だ。辺境領を引っ掻き回すような存在か、それとも獅子身中の虫として深いところまで入り込ませることが目的か。
疑心で、強い当たりになったことは自覚があったが、当の令嬢は気にしていないようだった。
それどころか、嫁がされたことに対して、手順や方法が無茶苦茶であると困惑はしているものの、行き先がヴィンディック領であったことへの恐れや嫌悪といった感情が見られない。
辺境のことを知らないのかと水を向けてみたものの、きちんと理解はしている。
――それなのに、なぜ笑っている?
おかしな令嬢だった。それも三大公爵家のお姫様である。普通、怯えたり嫌がったりするもんじゃないのか?
少なくとも、エリアスがこれまで見てきた貴族令嬢というのはそういう生き物だった。
こんな砦の中で、見知らぬ騎士たちに囲まれ、馬車には置いて行かれて平然としているなんてあり得ない。
「坊ちゃん!」
根が世話焼きのラルフがはらはらしながら上げる声を黙殺して、様子を窺い続ければ、こちらの話を聞いた彼女が驚いたり慌てたり引きつったりした。
そして、話の内容から現状を理解し、心底心配そうな顔を向けてきた。何とも驚いたことにヴィンディック領のことを案じているのである。
「………………」
これが演技だとしたら相当なのだが、今すぐここで結論を出せるような相手でないことは分かった。
まずは父に会わせて、今後について決めるしかないだろう。
だとしたら、辺境の人間は礼儀がなっていないと思われてはいけない。丁重に扱って、お出でいただくしかないだろう。
彼女が馬に乗れたのは幸いだった。
最短で向こうに着けそうだと、馬を走らせる。
すると、麦畑が見えたところで、彼女が歓声を上げた。
「――美しいですわね」
本当に嬉しそうに、きらきらした笑顔でそうこぼした。
「知り合いに、見せたくなりました」
こちらを見上げて、言われた言葉。
それは産まれて初めて、他所の人間に自領を誉められた瞬間だった。
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