第6話 我、メイド服を所望する


 ヴィンディック領、領都リュフトヒェン。

 中央に位置する領主館を囲むように市街が形成され、ラフィリアは到着までに三つの城壁を抜けねばならなかった。

 さすが魔境というか、物々しい防護である。


(王都並み……いいえ、都市の規模から考えたら、段違いだわね)


 それだけ危険があるということだろう。

 ラフィリアは改めて気を引き締めることにした。


 「ようこそお出で下さいました、お嬢さま」


 館の正面玄関に着いた彼女を迎えてくれたのは、黒髪のきりりとした侍女であった。

 先行した騎士から状況を聞き、場を整えてくれていたようで、すんなりとラフィリアを受け入れてくれた。


「ガルネットと申します。よろしくお願いいたします」

「まぁ、ご丁寧にありがとうございます」

「ガルネットは母の侍女だった女性の娘でね」


 エリアスが説明してくれる。

 気安い様子から、信頼がうかがえた。そんな人をつけてもらえるなんてありがたい。……まぁ、多少は監視の意味もあるのだと思うけれど。

 

 「ラフィリア嬢、明日は午前の出発になると思うが、よろしいか?」

 「はい、よろしくお願いします」


 エリアスの確認に頷く。移動中、今後どうするかと二人で話し合っておいた。

 ラフィリアは自分が理解しているだけの状況――簀巻すまきは伏せて、とにかく拉致同然に連れて来られたこと――を伝え、エリアスの方も、まず当主たる父に会い、判断を仰ぐべきだろうと答えてくれた。

 辺境伯が居るのは、【灰の谷】に近い、北の砦。ヴィンディック領の最前線基地である。

 現在はエリアスと辺境伯が交代で北の砦に詰めているそうだ。

 今夜ひと晩、この領主館で休み、明日に北へ向けて出発する。忙しないが、ラフィリアとしても無為に過ごすつもりはないので、早い方がありがたい。エリアスは一応、心配してくれたが、気遣いは無用と首を振った。


 「では、明日迎えに行く。この後はゆっくり休まれると良い」

 「はい、ありがとうございます」

 「ガルネット、頼んだぞ」

 「はい。お任せください」


 エリアスが一声かければ、すらりとした侍女が礼をとる。姿勢が良い。彼よりは少し年上だろうか。二十代半ばくらいに見えるが実に仕事が出来そうである。


 「お部屋にご案内いたします」

 「ありがとう」


 荷物を持ってもらい、その後ろについていく。

 館の中は、華美ではないけれど、決して無骨すぎるというわけでもなく、落ち着いた雰囲気で居心地が良さそうだった。

 こういうのって、ご主人の人柄が出るのよねぇとにこにこ観察しながら歩を進める。


 「お食事はお部屋でよろしいですか?」

 「ええ、お願いします。軽いもので」


 いきなりエリアスと一緒の夕食と言われても、お互いに間が持たない。

 ラフィリア自身もとても晩餐を頂けるような状態ではないし、この気遣いには感謝である。


 「先にお湯あみをと思いますが、いかがでしょうか」

 「助かります!」


 何しろこの三日ほど強行スケジュールだったのである。身繕みづくろいなど最低限だったので嬉しいことだ。

 ラフィリアが食い気味に返事をしたところで、ちょうど客室へと到着する。

 案内してくれたガルネットは淡々と部屋の使い方を教えてくれたが、その説明は丁寧で分かりやすい。愛想が良いわけではないが、これは仕事中であるが故に、努めてそうしているように思えた。

 

 「他にも何か、ご入用でしたら、お申しつけくださいませ」


 彼女が最後にそう締めくくったので、ラフィリアはごくりと喉を鳴らす。


 「……あの、ではその、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか……?」

 「はい」

 

 相手がもちろんだと頷いてくれたので、

 

「……あの、使用人メイドのお仕着ふくせを……お貸し頂けませんでしょうか!?」


 と、一息に叫んだラフィリアであった。

 


 






 

(良い考えだと思ったんだけど)


 湯を使い、食事を頂いた後、ラフィリアはひとり、宛がわれた客室で溜め息をついた。

 結論から言うと、先ほどの『お願い』は丁重に却下された。

 何てことはない、単純に着替えを持っていなかったので、服を貸して欲しかっただけなのだが。


(だって、どなたか個人のをお借りするのは申し訳ないし……)

 

 使用人服なら予備があるはずだし、大抵の場合、洗濯はまとめてするので、借りてもあまり迷惑にならないかなと配慮した上での発言であったのだが、うまくいかないものである。


 『……申し訳ありませんが、もう一度、よろしいでしょうか』


 想定の斜め上どころか埒外らちがいからの『要望』に、ガルネットは真顔になった。元々、真顔(仕事仕様)だったのが、シン・真顔くらいの真顔っぷりになった。……うん、申し訳ない。

 間をおいて、尋ね返してきた声音は、まさしく地を這う低さであった。あれは、内心の動揺を表に出すまいと腐心した結果だと思われる。……うん、重ねて申し訳ない。彼女がいい人で良かった。その上、有能である。


(わたくし……こんなんだから、侍女にみーんな、逃げられてしまったのよねぇ)


 ふぅう……と溜め息をつきながら猛省するラフィリアである。

 スキル鑑定の後、『公爵家の令嬢』の範疇はんちゅうに収まらない行動をとり始めた彼女を、周りの侍女たちは理解できないといとい、役目を放棄した。

 元々、公爵家の侍女たちというのは本人たちもそれなりの家のご令嬢である。身体を動かして働く下働きやメイドと違い、主の傍にはべり、自らの知識や教養、美的感覚で主人を盛り立てる、言わば頭脳労働者なのだ。前世でいうところの社長秘書みたいなものだと、ラフィリアは理解している。

 ただでさえ、王太子妃候補筆頭と言われる長女に比べ、次女に付くのは『ハズレくじ』扱いされていた所にこの奇行である。彼女たちは憤慨ふんがいし、何と、既に当時から公爵家の女主人相当であった姉に直談判したのであった。

 

 『ラフィリア様には、とてもまともにお仕えできません』


 涙ながらに訴え出てきた妹付きの侍女たちを、姉は『まぁ……』とつぶやき、女神の慈愛をたたえて受け入れた。

 自らの言い分ばかり並べたてる彼女たちの話を、あわれみのこもった慈母のたたずまいで聞いてやった姉の背後には、地獄もかくやと思われる怒りの業火が燃えていたそうだ。

 その炎は『はぁ? 何を言っているの、この無能ども』と言わんばかりに燃え盛っていたらしい。

 それが理解できる姉付きの侍女たちは、総身に冷や汗をかきながら、ひたすらに気配を消していたそうである。

 姉の態度に力を得て、かの侍女たちはさんざんにさえずったらしい。あわよくば姉の傍に置いてもらえないかと思っていたようだが、彼女の怒りにも気づかないようでは、到底務まるわけがない。更に言うなら、貴族としての危機管理能力も低いと言わざるを得ないだろう。

 そうして最後まで話を聞き終えた姉は、大輪の華のごとき笑顔で『では、紹介状をしたためましょうね』とのたまった。

 身の程をわきまえぬ侍女たちには口をはさむすきを与えず、それぞれが『ふさわしい』所へ行けるように取り計らい、即行荷物をまとめさせて馬車まで仕立ててやり、とっとと追い出した。


『天界の、裁きの女神の御業を、地上で目の当たりにした気がいたしました』


 とは、姉の腹心の侍女の一人が、のちにラフィリアへこぼした台詞である。

 え、何それ。閻魔大王さまバージョンのお姉さまなんて、すごく見てみたかった。

『不用品』を電光石火で片づけた姉は、それは清々しい笑顔であったという。

 そしてご機嫌でラフィリアの部屋に訪れた姉は、何が起こっていたか知らない12歳の妹に向かい、


『ラフィリアにはとびきりの侍女を用意してあげましょうね』


 と、請け負ってくれた。

 最初、訳が分からず、控えていた姉の侍女たちに目線をやると彼女たちが一斉に頷いたので、とりあえず笑顔で礼を言っておいた。

 以来、ラフィリアの社交界デビューまでにと姉が手塩にかけて妹用の侍女を育てているらしいのだが、これも詳しくは分からない。

 とりあえず、今回の急な縁談で姉が描いていた社交界デビューの予定が全てご破算になったのは確かなので、それに関しても怒っていることだろう。

 ラフィリアにも元々は一人、きちんとした年配の侍女がついていた。

 しかし、母の侍女でもあったその彼女はスキル鑑定の前後に持病の腰痛を悪化させてしまい、自らのお嬢様が牧場に行くと言い出した時も忠義一徹、お供しようとしてくれたのがあだになった。そのまま引退を余儀なくされ、残された若い侍女たちは先導を失って瓦解。……人を使うということの難しさを思い知らされた出来事であった。


(わたくしはとてもお姉さまのようにできないものねぇ……)


 姉は、人を使うということに関して天才的な才能がある。何しろ、くだんの『不用品』と断じた侍女たちでさえ、今となっては本人たちにも紹介先にも『良くぞ縁を繋いでくださった』と感謝されている始末である。

 そんな人々が他にも数多くいて、それがそっくり、姉の下僕……じゃない、手駒……でもなくて、その支援者として、後ろに控えているのである。王太子妃候補筆頭の呼び名は伊達ではない。

 まぁ、ラフィリアに限らず、同じ真似のできる人物はそうそういないのだが。

 ふぅう~~……と、深く息を吐いて吸ったラフィリアは、すっくと立ちあがった。

 うだうだ考えていても時間の無駄である。明日に備えて速やかに休もう。

 ラフィリアが身を翻せば、ガルネットが用意してくれた夜着がふわりと揺れる。

 シンプルなデザインで、着ると少しだけ丈が長い。なんと、エリアスの亡くなったお母上のものだそうだ。

 そんな大事なものを借りられないと悲鳴を上げたものの、お気になさらずと押し切られてしまった。


 『ええと、辺境伯家のご令嬢がいずれお召しになられるのでは?』

 『……ノエラ様でしたら、こころよくお使い下さるよう、おっしゃいます』


 確か、エリアスの妹君はラフィリアより年下と訊いていたから、成長したあかつきに大事に着ようと思っていたとしたら大問題になると考えたのだが、あくまでも大丈夫だと言う。


(……ガルネットさんのあの言い方も何だか気になるのよねぇ)


 とてもてきぱきした人なので、本当に問題が無いのならもっと歯切れよく答えそうなものなのに。

 何だか、言いにくい、言いたくないことを無理に口にしたような、固さを感じたのだ。

 むーんとうなり、また思考の迷路に入りそうになったので、ラフィリアはさっさと明かりを消すことにした。

 暗くなった部屋で寝台に潜り込もうとしたその時、暗闇の中を一筋の光が走った。


 ――窓の外。闇の中でもなお存在感を放つエメラルドの輝き。


 (お姉さま!)


 ラフィリアは弾かれたように飛び出して窓を開けた。ゆらゆらと曲線を描いて舞っていた翠の光が寄ってきて、彼女の腕にとまった。

 黒い身体に翠の光を内包した蝶。……に、見える魔導生物だ。姉が契約している術師が使う、連絡手段である。


 『心配、待機、お爺さま』


 姉が込めたであろうメッセージがふわりと伝わってくる。

 対象の人物がどんなに遠方に居ても、必ず個人に届く高等技術であるが、いかんせん運べる情報は少ない。前世でいうところのショートメッセージのようなものだ。

 きっと姉も居ても立っても居られず、とりあえずで送ってきたのだろう。

 心配している、大人しくしていなさい、お爺さまと共に何とかするから、という意味に読み取れた。

 

 『無事、了解、手紙書く』


 抜けた情報の代わりに、返事を込めて蝶を放つ。

 大丈夫よお姉さま、分かったわ、許可を貰えたらお手紙を書くわね。

 遠くなっていく光を見送りながら、姉の気持ちが嬉しくて、ちょっぴり目尻が濡れる。大丈夫、わたくし頑張れるわ。

 そして姉の伝言から、王都での動向の一部を知る。


(……どうやらお爺さまは、今回の縁談には反対のようね)


 それが二組ともなのか、辺境伯家とのものだけに関してなのかは不明だが、姉と祖父は破談の方向で動くつもりなのだろう。

 お爺さま――先代のラントゥ公爵その人。一人娘であった母に公爵位を譲った後は、ずっと領地で過ごしている。未だに強い影響力を持つ実力者だ。

 そして女公爵として立った母の元へ、親族から選ばれ迎えられたのが父である。

 兄が成人し、無事に当主を引き継ぐまでの公爵代理が現在の父の正式な立ち位置だ。王家や辺境伯家との婚姻などという大きな決定を独断で推し進められるほどの権限は持たない。

 話を聞かされた時は、ついに姉が正式に認められた!と脳内フィーバーを起こしていたので深く考えなかったが、祖父に無断で計らったと言うなら問題だ。父らしくない。

 昔から、良くも悪くも入婿いりむこ範疇はんちゅうから出ようとしない人だったのに。

 

(陛下にそそのかされた? ……いえ、でも……)


 エリアスから聞かされた国王の所業をかんがみるに、嫌がらせの為には無駄に頑張りそうな印象を受けるが、そもそもが父に聞く耳があってなりたつ話である。

 あの夜にラフィリアを王家の一団へ引き渡したのは父付きの古参の侍女だったし、父の意思が介在するのは確かなのだ。


(……お父様は、王家がお嫌いだと思ってたわ)


 ここ数年、王家と公爵家の間には微妙な空気が漂っていた。姉が文句なしの王太子妃候補であるのに、正式な決定に至らないのはそのせいだとラフィリアは思っていた。

 

 ――父は、母が亡くなったのは王家のせいだと考えている。

 

 ラフィリアとて、それに反論する材料は持ち合わせていない。けれど、王家を恨むのは筋違いだとも思っている。

 でも父は母を大事にしていたから、王家を恨みがましく思う気持ち自体は、二人の間の娘として、無下にするのもはばかられるのだ。

 そんな中で今回、ようやくわだかまりを捨てて、可愛い娘の将来の為に奮起したのかと思ったけれど、どうも違うようである。

 父の真意が全く分からない。


「………………ふぅ~~……」

  

 ……分からないことは考えないに限ると、ラフィリアはさっさと身体を休めることにした。 




 さて、翌日の早朝。

 貴族女性としては異例の時間に目覚めたラフィリアは、日課のラジオ体操もそこそこに、与えられている部屋の中央に立った。

 足を肩幅に開き、一呼吸おいて、身体に力を籠める。


 ――スキル、発動。


 途端に、ふわりと見えない何かが彼女を中心に拡がっていく。

 それは部屋の壁をすり抜け、廊下を渡り、階下階上、窓の外へと、ぐんぐん大きな球を作っていく。

 すると、目を閉じて集中する彼女の中に、数々のざわめきが聞こえてきた。

 樹の葉擦れ、鳥のさえずり、人の足音、厨房の喧騒。

 最終的に、領主館をすっぽり包むまで拡げたのは、ラフィリアが『放送室』と呼んでいる領域である。

 この『放送室』内にある音声ならば、自分の声以外でも、個別に拾って『拡声』することが出来るのだ。


 

 昔、この能力に気づいた直後、ラフィリアは劇場の音響に使えないだろうかと自ら売り込みに行ったことがある。前世にあった『マイク』のように俳優の声や楽団の音楽などを『拡声』出来たら便利ではと考えたのだが。

 ラフィリアの提案を聞いた劇場の支配人やたまたま居合わせた劇団の面々は、――激怒した。

 元々が劇場というのは音を響かせるために工夫を凝らして建てられているものだし、客席まで十分に歌声を届けられない演者など演者ではない。馬鹿にするのも大概にしろと。

 表現者として己の技にプライドを持っている彼ら彼女らの怒りは凄まじかった。怒られて、大変に不用意なことをしたと猛省したものの、しかしラフィリアもめげない。そんな彼らの実情を知りたいと、下働きで雇ってもらうことにした。

 知らないから失礼をしてしまった。だから、知りたい。それにどこかで役に立てる場面があるかもしれない。

 食い下がるラフィリアに、劇場側も劇団も最初は難色を示したものの、結局は根負けして劇団の下働きに迎え入れてくれた。実際、王都にある劇団の中では『中の下』くらいの立ち位置だった彼らは常に人手不足であったようで、渋々ながらも雇ってくれたのである。

 最初は針のむしろからのスタートであったものの、ラフィリア自身にやらかした自覚があったので、ただただせっせと働いた。

 そこでの経験は彼女の世界を広げる一助になった。

 仕事というものの、事前の下準備の大切さを仕込んでもらったのもあの場であったように思う。

 少し懐かしい気持ちになりながら、展開した『放送室』の内を確認していく。

 視覚的な情報は得られないものの、音声だけでなく、大体の建物や地形的な空間の間合いも把握できるのだ。

 これから、この辺境領がラフィリアの『仕事場』である。早々に地理を把握しておくことは不可欠だ。

 それにこうして音声を拾っていくだけでも、この館の雰囲気がつかめる。

 廊下を行く使用人の足音は落ち着いていて。厨房の指示の声は鋭く、応える声は気概がある。厩舎きゅうしゃ厩番うまやばんたちの馬に対する声掛けは優しい。

 ……ああ、良い館だ。ラフィリアの口元にほんのり笑みが浮かぶ。


『……どうも、おはようございます』

『おお、おはよう』

『今日の飼い葉です。質も量も良いのがお届けできましたよ』

『いつもすまないね、助かるよ』

『こちらこそ毎度どうも』


 厩舎きゅうしゃの方に新しい声が加わる。出入りの業者だろうか。厩番うまやばんの方も慣れているのか手を止めずに話しているようだった。

 

『あれ、珍しいですね。貴人用の馬車を出すなんて』

『ああ、なぁ。なんかお客様のお嬢様がいらしてるらしくてな』

『おじょうさま? ……ノエラ様のお友達とかですかねぇ』

『さぁー……、そこまでは分からんけども』

『そうですか、お見舞いかと思ったんですが……』



 そこで、思わずラフィリアは、ぱちりと目を開いた。

 

 






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スキル『拡声』令嬢、辺境領に嫁ぐ 熊倉なつの @7tunonanoha

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