スキル『拡声』令嬢、辺境領に嫁ぐ

熊倉なつの

第1話 弾丸ツアーで行く魔境


 ――ガタンッ!



 馬車を大きく揺らした衝撃に、半ば飛んでいた意識が戻ってきた。


 座席にしがみつくような格好のまま、慌てて自らの頬をぺちぺちする。あまりに過酷な道行きに魂が抜けかけていた。

 

 (停まったわ。着いたのかしら)

 

 昨夜、明日に到着予定だと聞かされていたことを思い出し、慌てて身支度を整える。鏡もなければ元々の旅装もくたびれたものだが、何もしないよりマシである。……多分。


 窓はカーテンを閉められてしまっているので、耳を澄ますしかできないが、人々のざわめきが増えていく。目的地、もしくは休憩地点に着いたことは推測できた。とりあえず大きく息を吸って吐く。ギシギシいう身体と疲労を無理やり隅っこに押しやって背筋に伸ばす。


 遊びに来たわけではないのだ。その事を彼女はよく分かっていた。麦わら色の髪を撫でつけ撫でつけ、深呼吸を繰り返す。


 自分は王都より、王命でこの辺境に嫁いできた身。ヴィンディック辺境伯の血を繋ぎ、魔物や周辺国から国土を守り、それから――うんぬんかんぬん。まぁとりあえず、全力でもって努力する所存である。


 (――そうすれば、お姉さまのお立場を強化できる!)


 今回の縁組は公爵家と王家との間に結ばれた取引だ。長女が王家へ入るかわりに、次女は後継者問題に悩む辺境領を支えるのだ。ラフィリアがうまいことやれば、王都での公爵家の発言権は増すだろう。ゆくゆくは王太子妃になる姉の手助けになる。王家は、厄介な土地を引き受けてくれている現辺境伯家が絶えるのを、とても恐れているようだから。


 ぐっと拳を握りしめた途端、くらりと眩暈めまいがした。馬車酔いがひどい。恐らく顔色も良くないだろうが、何とか笑顔で乗り切るしかない。こういう時は自分が他の――いわゆる前世らしき、別の人生を知っていることに感謝する。一般的な令嬢だったらとてもじゃないがえられていないだろう。だってこんな嫁入り行列なんて聞いたことがない。本来、騎馬で10日はかかる距離を、転移門を使ったとはいえ、3日で走破そうはしたのだから。


 呼吸を繰り返し、吐き気を散らしていると人の話し声が近くなってくる。それも、何だか険悪な雰囲気だ。怒鳴り声とまではいかないがどうにもめている空気をひしひしと感じる。様子をうかがっていると、馬車の扉が叩かれた。




 「お嬢様、到着いたしましたよ」




 さぁ、お出ましをと男性の声がした。恐らくこの輸送部隊の責任者だろう。一度宿営地で挨拶された事がある。慇懃無礼を絵に描いたような人物だった。花嫁に対してというよりも、売られる家畜を哀れに思ってやっているという態度だったので忘れられない。


 返事を返せば、ゆっくりと扉が開かれる。貴婦人の笑みを浮かべ、指先まで力を入れる。よし、出陣だ。


 立派な社会人……じゃない、公爵令嬢たるもの与えられた仕事はきっちりこなすべし。

 ……ちなみに、こういう思考が出る所をかんがみるに、自分はきっと『社畜』と呼ばれる生き物だったに違いない。詳しいことは全く覚えていないけど。


 嫌々ながら、部隊長にエスコートされて馬車から降りる。出来る限り優美に、おっとりと。


 第一印象は大事よ、と敬愛する姉の言葉が脳裏に蘇る。ごめんなさい、お姉さま。今はこれが精一杯です。


 何せ、嫁入り支度はおろか、着替えさえろくにない。夜中に寝ていたら、文字通り簀巻すまきにされて連れてこられたのである。完全に拉致誘拐なのだが、恐らく首謀者の一人が父親とあっては訴える先がない。……困ったものだ。溜息しか出ない。


 そんな内心は覆い隠して、あくまでしとやかに地に足をつける。笑顔でゆったりと顔を上げる合間に、さっと視線を走らせる。


 迎える側の一団に、若いが一際立派な風采ふうさいの人物を認めた。きっと彼があちらの代表だろう。


 「お初にお目にかかります」

 

 目当ての人物に向かい、優雅に礼をとる。


 「ラントゥ公爵家が次女のラフィリアでございます」


 どうぞ良しなに、と笑みを深めて締めくくる。誰かが、三大公爵家、と呟いた。


 (……あら)


 不満げな空気が、驚きのざわめきに変わっていく。建国の立役者である三大公爵家の名はそれなりに効果があったようだ。まぁ、今は当時の隆盛は見る影もないのだが。


 ちなみに、本人は自覚に乏しいが、麦わら色の柔らかな髪に静かな深い森のような緑の瞳、小動物じみた、何とも無害そうな雰囲気は、市民階級に大変受けが良かった。彼女の母や姉のように、あまりにも美しすぎて近寄りがたいお姫様より、辺境の民には好ましく映ったようである。


 場を読むに、初手は悪くなかったようだと思っていると、向こうの男性が一歩踏み出し、騎士の礼を返してくれた。癖のない黒髪がさらりと落ちる。


 「……丁寧な挨拶、痛み入る」


 (まぁ、良いお声)


 知り合いが絶賛しそうだなと、思わずうっとりと聞き惚れていれば、彼が顔を上げ、その濃紺の瞳が射貫くようにこちらを見た。

 

 「ヴィンディック領を任されているゼルトザーム家が嫡子、エリアスだ」


 当の婚約者本人だと名乗られて、ラフィリアはぱちりと1つ瞬きをする。改めて相手を見やれば、生真面目そうな表情の相貌は凛々しく、身体はすらりとして動きには隙が無い。これまた別の知り合いが居たら、大興奮しそうだ。騎士成分と貴公子成分のバランスが絶妙だ!などと叫ぶかもしれない。


 「――ご令嬢」

 「はい」


 のんきににこにこ観察していたら、眼光に違わず厳しい声音が向けられた。

 

 「遠路はるばるいらして頂いた所、大変申し訳ないが、こちらは何のお話も伺っていない。貴方が当家に嫁いできたとは一体どういうことだろうか」


 その言葉に、辺境領の人々の視線がラフィリアに集中する。ラフィリアも、そっと部隊長を見やれば、彼は我関せずと素知らぬ顔だ。

 

「全ては、先ほどお渡ししました陛下からの書簡に在ります通りです」

「だから、その書簡の内容が納得しかねると言っている……!」

「存じ上げません。わたくし共は、王命にて辺境伯領へ支援物資をお届けに参っただけでございますので」


 混乱し怒気をはらむ辺境領側と、冷笑を浮かべる輸送部隊の面々。重ねて言うが、とても嫁入り行列の顛末とは思えない。


 (……あらまぁ)



 ――もしかして私、らない子?




 波乱含みの中、置いてきぼりにされながら、ラフィリアは心中で王都にいる最愛の姉に語り掛ける。


 お姉さま、わたくしったら、直送された挙句に受け取り拒否されてるみたいですわー……と。



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