ラナンキュラスの花占い

本文

お花屋さんで、俺はアルバイトをしている。



そこは、実家近くの駅前広場にある花屋「Bloom’s Happy」だ。もう2年近くも働いている。


一番推してる花はラナンキュラス。球根から生える多年草だ。


大切に育てれば、ラナンキュラスは何年にもかけて、咲いてくれる。繊細な花片が、幾層にも重なった素敵なラナンキュラスの花をずっと見せてくれる。




俺はもともと花や植物が好きだけど、ラナンキュラスは特に好きだった。ラナンキュラスという名前を初めて聞いたとき、想像力をかきたてるようなファンタジアを感じた。それがきっかけで、この花に興味を持った。




そんな言わせてみれば少々、安直な理由。でも、人間の恋患いもそれに似ているかもしれない。まず、一見なんでもなさそうなきっかけがあってから、その女性こそが特別だと、ある種の誤解をするのだ。




さて、俺はいわゆるフリーター。大学を卒業後、就職に失敗した。よくある話だね。


そして、淡い想いを寄せるお相手は、ピシッとしたスーツ姿で、夕方の花屋に決まって現れる30代ぐらいの女性だった。





彼女は、夕方ごろに必ず花を買いに来る。しかも週5日ペースで。マスク姿が綺麗な人だったけど、マスクの下の素顔を見たことはない。


彼女に、気づいたら俺は興味を惹かれていた。ほぼ毎日のように決まった時間帯に現れる女性だ。まるでお店に出勤するかのごとく、花を買い求める彼女のような客は、俺の経験上めったにいない。花は意外に高級品だから。


どんな人なのだろう。俺はいつの間にか、彼女の暮らしぶりをあれこれと想像していた。




働いている会社はどういう仕事なんだろう。やっぱり仕事ができる女性なのだろうか。もう旦那さんはいるんだろうか。ひょっとしたら、お子さんまでいらっしゃるかも。


どうして毎日、花を買いに来るのだろうか。




「あの、ちょっと相談が」


1月の末ごろに、俺が気になっていた例の女性からカウンターで声を掛けられた。



「なんでしょうか」


「家の観葉植物なのですけれど、植え替えをするべきかなぁって」


そう言って、スマートフォンの観葉植物の写真を、彼女は俺に見せた。ピンク色のスマートフォンを握っている、細くて女性らしい小さな手。


彼女の手から視線を外して、写真のなかの植物の状態をよく見つめる。






「あぁ。葉っぱ、少し丸まってますね。鉢を持ち上げた時、下から根が出てきません?」


「はい、そうです。出てます」


「うん、なら、そろそろですかね。基本的には2年から3年に一度、土を植え替えるべきです」


「そうなんだ。あの無機と有機の土だと、どちらがいいですか」




俺はうーんと考え込む。


「早く植物を大きくしたいなら、有機質かな。でも水はけが悪いせいで、虫が湧くことがあって。ハエとかですね。だから無機質にしますね、俺なら。あと無機質は、観葉植物の根が有機質より丈夫になりやすいので」


そうなんだ、女性は納得したようにうなづいて、俺にマスクの下から笑顔を向けた。目の周りが笑っている。





「ありがとうございます」


やり取りはそれだけだったが、俺は言葉を交わせたのが嬉しかった。


彼女から漂う、さりげない香水の匂いにすら、品の良さがあった。素敵な女性だった。仕事が出来そうな、ハキハキした感じが好きになった。


向こうから聞くべきことを的確に短く聞いてくれるので、すんなりとコミュニケーションが取れたのが嬉しかった。長々と中身のない相談をしてくる客も多い。


もっとも、こんな偉そうなことを言ってるが、俺はただの情けないフリーターでしかない。取り柄なんてなんにもない。


だから、あの女性にそれ以上、声をかける勇気は出せなかった。迷惑にしかならないだろうし。





それから2日後、なんと夕方に家を出てすぐ、彼女とばったり再会した。


隣家に幼い娘さんと一緒に、実家に戻ってきた若い女性がいる。


かなり小さい頃は、たまに遊んだ子だ。俺は彼女の顔をとっくに忘れていた。隣家には、少し年の離れた一人っ子のお姉さんがいたのは知っている。彼女が、まだ幼かった頃の俺を可愛がっていてくれたことも、微かに覚えていた。


俺が大きくなるにつれて、互いの交流は自然になくなっていた。その隣家の優しいお姉さんこそが、花屋にいつも来店してくる彼女だったのだ。





「あ」


向こうが俺に気づいた。思わず身体が固まる。


「ショウくん、なの? そっか、あなた、お花屋のお兄さんね。あそこで働いてたの」


マスクをしていない彼女は、家の庭に立っていて、その繊細な美貌を外気にさらけ出していた。






「こんにちは」


俺は慌てて頭を下げる。


「わたしのこと覚えてるかな?」


彼女がくすくすと笑う。






「あぁ、ごめんなさい。記憶はあるけど、名前は覚えてない、ですね」


「そうなんだ」


優しげで艷やかな仕草で、黒髪をそっとかきあげる。


その愛らしい仕草に、俺は一瞬で心拍が高鳴った。この人が好きだと直感した。


なぜだろう。ずっと探していた人を見つけた気がした。思わず膝が震える。足元が心もとなく揺らいでしまう。




「ね、手伝ってくれる?」


「え」


一瞬で惚れてしまった女性からの提案に、俺は緊張で、身体を硬直させた。




「このあいだ聞いたね、例の観葉植物の植え替えしてるのよ」


そう言って、エリさんは微笑んだ。


「あ、でもごめんね、たぶん時間ないよね」


「いえ、大丈夫です」


俺は被せるようにして、言葉を発した。友人と飲む約束は、すでに俺の頭から吹き飛んだ。


「手伝いますよ、やりましょう」




俺は観葉植物の根の周りの土を、慎重に手で払っていく。できるだけ根を傷つけないように。そして土を底に低く敷いた新しい鉢に、観葉植物を置いた。


エリさんが、その観葉植物の周囲に、土をスコップで入れていき、鉢のなかの隙間を埋め立てた。こうして背の高い観葉植物は鉢のなかで安定した。




「うん、ありがとね」


「いえ、どういたしまして」


「うんうん。あなた、いい子ね。やっぱり」


エリさんが嬉しそうに笑った。俺は苦笑する。もう子どもじゃないのに。



「あなたのお家の、あのお花。素敵ね」


ふと彼女が俺の家の庭先を指さした。なんだろう。


「これですか」


俺は歩いて行って、手で指し示す。エリさんはうなづいた。


「ラナンキュラスですね」


「そうなんだ」


エリさんも歩いて来て、じっと桜色のラナンキュラスを覗き込んでいる。


「かわいいね」





言葉はそれだけ。それ以上は、何を話せばいいのか、俺も彼女も、わからないようだった。


「あの観葉植物を運ぶの大丈夫ですか?」


「あぁ、問題ないよ」


エリさんが、事もなげに答える。そして俺に向かって、両手を合わせて、片目をつぶる。エリさんの表情は笑っていた。


「ごめんなさいね、引き止めちゃって」




そっか、もう会話はたぶん終わりだ。ここで、このままさよならしたら、これまでと同じで俺たちはただのご近所さん。それ以上の関係には決してなれない。さぁ、どうする。


何か言わなきゃ。何か。いや、何を言うべきなんだ。まさか、デートに行きませんか、とかか。そんなこと言えるはずもないよ。


そうして、考え込んでいるうちに俺は、完全に固まってしまった。何か言いたいけど、まったく言葉が出てこない。


「え、えと。どうしたの」


エリさんの顔に浮かぶ戸惑い。



俺は、何も返せない。手が震えている。心拍が激しく躍動している。仕方ないので、必死に心の中で手を叱りつけた。震える手を必死に持ち上げていき、エリさんの小さな手の甲に、俺の手の平をそっと触れさせた。


「えっ」


エリさんがすかさず、手を引っ込める。




「な、なに?」


エリさんが困惑している。俺たち二人の雰囲気に男女的な妖しさが、侵入してくる。


戸惑いを浮かべて、ピンク色の唇を震わせる彼女に、俺は手持ち無沙汰のまま、言葉を伝えた。


「ご、ごめんなさい」


必死で頭を下げた。


「えっと。ほんとさ、どういうこと」


「あの、ひ、一目惚れしました。あなたに」



それはカッコ悪い告白だった。世界一カッコ悪いなんて言えるほど、俺は自意識過剰な人間じゃないが、少なくとももっと別のカタチがあっただろうと自責の念にかられるぐらいにはカッコ悪い。


あと、いきなり手に触るとか、たぶんセクハラだし。


「あぁ」


エリさんが顔をうつむかせて、静かになる。


俺はさっそく今の言葉を後悔し始めた。


「ごめんなさい。無理、ですよね。俺、フリーターだし」


そう言って一人で苦笑する。




エリさんは何も言わなかった。ただ、困ったように力なく笑うだけ。


俺はもう一度頭を下げると、彼女を通り過ぎて、歩き出した。


友だちのところに行こう。あいつら、きっと居酒屋で待ってるから。





「待って」


俺は彼女の声に足を止めた。


「あ、あのさ」


エリさんの言葉を受けて、彼女に身体を向ける。俺は、俯いたままだったし、途方に暮れた顔つきだったと思う。





「えっと、どうして一目惚れしたの?」


エリさんが、少し恥ずかしそうに尋ねた。



俺は少し迷ったが正直に答えた。


「顔がタイプだったんで」


エリさんがおかしそうに吹き出した。俺の顔が真っ赤になる。


「そ、そうなんだ」


「いや、なんか申し訳ないっす。もう大丈夫なんで」


必死に意地を張って、耐える。心の激痛を。




しかし、エリさんはふたたび俺を呼び止めた。


「あ、あのさ」


「はい」


俺は、少し不貞腐れたように声を返す。


エリさんは迷っているようだった。やがて彼女は顔を上げた。エリさんの表情はどこか思いつめていて、同時に誰かを探している気がした。




「私、バツイチだし、子どもがいるからね。今、恋どころじゃないの」


俺は何も言えない。ただ肩を落とすだけ。


そうだよな、彼女は大人の女性だ。俺なんか相手にされるはずない。


「だから、ごめんなさいね。気持ちには答えられないと思う」




ふと気づけば、なぜか俺は涙を流していた。まただ。また、好きになった人に振られてしまった。失恋のショックのあまり、反射的に涙腺が緩んでしまった。悔しい。


すすり泣く俺に、エリさんは、困った顔を浮かべる。


ふと気配を感じて振り返れば、少し離れたところから、近所のご老人たちがこちらを伺っていた。何事かと、俺たちの様子を見ているようだった。




死ぬほどカッコ悪いとこ、日頃交流のない奴らが見てくんなよ。思わず心のなかで悪態をついてしまった。


俺は必死でエリさんに笑顔をつくった。


「あー、こっちこそすみません。もう俺、行くので」


歩き出しかけたが、エリさんは俺の袖口を捕まえて、強く引っ張る。そして、彼女はズボンからスマホを取り出した。



「あのさ、SNSやってない?」


彼女は今、スマホを懸命に猛スピードで操作していた。


俺は、首をかしげて彼女を見つめる。




「ほら」


それは、彼女のアカウントページだった。たくさんの写真が載っている。


俺は思わずその写真に目を引かれた。


たくさんの植物だ。家のなかから庭にある花まで、エリさんの花々が写真の中で、それぞれの美を優雅に主張している。


俺が平日にアルバイトとして勤務している「Bloom’s Happy」で購入された植物がほとんどのようだ。



エリさんは、照れくさそうにソッポを向いた。


「私ね。あの店員さん、毎日のように会ってるから、少し気になってはいたの。まさかショウくんだったなんてね」


そう言ったエリさんの表情は、次第に消えていく夕陽のなかで、少し赤らんでいるように見えた。


思わず、身体が震えた。でも、さっき無理って。





すると、エリさんは、慌てて俺を見上げて、言葉を紡ぐ。


「あ、ち、違うからね。そのお付き合いとかは今、難しくて。でもさ、SNSでいいねを押し合う仲間みたいな距離だったら。その、できるよ、ショウくん」





エリさんの少し照れた微笑みは、まるで天使の奇跡だった。


俺は、何も言えないぐらいに喜んだ。スマホを取り出して、彼女のアカウントをフォローし、目の前でフォローバックをもらう。





「ふーん、詞や短歌のアカウントなんだ」


少し、感心したような顔をしたエリさん。


ようやく活力を取り戻した俺は、彼女から離れて、ふたたび歩き出した。





「じゃあ、今はこれで。俺、行かなきゃ」


「あ、うん。ごめんなさいね」


「いいえ。すっごく嬉しい。ありがとう、エリさん」



駅で電車を待っていると、俺が今朝書いた短歌に、エリさんが「いいね」を押していた。


嬉しい。見えない場所で彼女と繋がってる。これからは、ずっとそうであって欲しい。いつまでも。たとえ遠い未来の先でも。きっとこれから、彼女がもっと好きになる。そんな予感がするから。




夕暮れに

来店する女性(ひと)

淡い恋


ラナンキュラスよ

いつまで待とう



「なんか恥ずかしいな」


でも、なにかを創り出すってそういうことだよね。


俺はスマホを見おろしながら、心のなかで静かに微笑んだ。


(おしまい)


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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


作品に♡や★を、ぜひお願い致します。感想や作品の批評もお待ちしてます。



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