第9話

 良恵の残骸を片付けて三日が経った。

 豊富な栄養を得たためか、ハナにはまるでシルクのドレスのような美しい背びれと尾びれが生え、体長は15センチほどの大きさになった。あの小さな口で二人を綺麗に平らげるなんて、一体この生き物は本当に魚なのだろうか。


 莉絵は裕人の財布にあったカードでハナのエサを買いにいく。ハナはすっかり肉食になり、飼育に金がかかった。極厚のステーキ肉を入れてやっても半日すれば餌をくれと大きな水音を立てて暴れ出す。


 莉絵は夜中も途絶えることのないバスルームの水音を聴くたび、神経をすり減らすようになってきた。

 夜中にアパートを抜けし、野良猫を捕まえてハナに与えたことがあった。猫は口に合わなかったらしく、浴槽に沈んだまま腐っていった。


 思い詰めた莉絵は包丁を手に、自分の指を斬り落とそうとしてみた。

「痛いっ」

 皮膚が切れただけで強い痛みを感じて、自分の身を犠牲にすることは諦めた。

 ハナには昨日からエサを与えていない。バスルームからエサをくれとせがむ激しい水音が断続的に聞こえてくる。


 莉絵はバスルームに向かった。浴槽の中で飛び跳ねるハナを捕まえて、キッチンに連れて行きまな板に乗せた。

 もう面倒を見るのは限界だ。殺してしまおうと思った。包丁を振り上げると、ハナは小さな口をパクパクさせながら、円な目で莉絵を凝視している。

「ダメよ、殺せないわ、殺せない・・・・・・」

 莉絵は鮮やかな赤色から目が離せない。ハナは大事な家族。どうすればいい、そうだ。


「こうすればずっと一緒」

 莉絵はハナの尻尾を掴み、口を開けて丸呑みにした。ハナは口の中でぴちぴち跳ねたが、無理矢理喉を鳴らして一気に飲み込んだ。

 喉から食道を滑り落ちて、胃の中へ。

 途中、ハナが激しく暴れてえづきそうになったが、水と共に流し込んだ。

 腹の中でハナが動いているのがわかる。

「これでずっと一緒ね」

 かつて感じた命の胎動を思い出し、莉絵は愛しむように腹を撫でた。


***


 それから、莉絵は無限に湧き上がる食欲が抑え切れなくなった。

 朝からご飯三杯、片手鍋いっぱいの味噌汁、生卵を五つ、わらじのような大きさのステーキ肉を食べても空腹感が満たされない。奇妙なことに、それだけ食べているのに太りもしない。

 空腹のハナがエサを欲して暴れると、鈍痛が莉絵の腹を襲った。


 玄関のチャイムが鳴る。

 普段より強烈な腹痛に堪えながらドアを開けると、裕人の父親が立っていた。

「お義父さん、どうされましたか」

「妻が、良恵が旅行だと家を出たまま帰らないんだ、ここへ寄っていないかと思ってね」

 良恵のスマートフォンから偽装メールを送っておいたが、さすがに何日も連絡がつかず、心配になったのだろう。

 莉絵は穏やかな笑みを浮かべる。事なかれ主義の義父は嫌いではない、ただ義母の尻に惹かれた無力な男だ。


「今、裕人さんと買い物に出ています。どうぞ上がってください」

「そうか、良かった。待たせてもらうよ」

 莉絵は義父を部屋に案内する。


 ああ良かった、これで三日はもつかしら。

 下腹部に胎動に似た動きを感じる。ハナが餌を求めて跳ねている。莉絵は恍惚と腹を撫でる。

 莉絵はキッチンに立ってお茶を淹れながら、研ぎ澄まされた包丁を手に取った。


 

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赤の聖餐 神崎あきら @akatuki_kz

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