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「おはようございます先輩! 今日は調理実習です!」


 保健室に入ってくるなり、水を入れたコップの乗ったお盆をもって瑠璃が隠しようもない喜色とともに告げる。いつになく上機嫌で、朝から元気だなぁと寝ぼけた頭で思う。


「私の十八番ですよ!」


 はいどうぞ、差し出された水で喉を潤す。乾いた喉に冷たい水を飲むと、頭がすっきりする。


「料理得意なんだ?」

「はい!!」


 ドンと胸を叩いて得意げなどや顔を披露される。いつになく気合の入った様子にアハハと笑いが漏れた。

 制服にいそいそと着替えながら、ずっと食事をしていないことに気づいた。そういえば、この世界に来てから口にしたものは瑠璃が毎朝持ってきてくれるお水だけだ。

 現実の世界にいたころは、必ず毎日三食とおやつを食べていたというのに。


「すっごく楽しみにしてるね」

「まかせてくださいね。すっごくおいしい料理を先輩に食べさせてあげます!」


 九時。まぶしいほど日光が入る保健室で、自信満々の瑠璃の笑顔がひときわ輝いていた。



 いつも通り2-3教室のロッカーからエプロンと三角巾を拝借する。家庭科室に向かっている途中で図書室やほかの教室が見てみたいと思い、回り道をすることにする。ほぼ瑠璃と一緒にいるので、なかなか一人で行動することができない。行ったことがあるのは、いくつかの教室と保健室と物理実験室ぐらいだ。


「静かだ」


 キュッキュッと歩く音が廊下に反響する。横の教室を見ても、規則正しく机といすが並び、白線の跡すらない黒板の真正面には教卓。一度も使われたことがないのだ。

 私と瑠璃以外にこの学校に足を踏み入れた人は誰もいない。そう確信させるものがこの静寂にはあった。

 なぜか少し緊張する。足早に二年生の教室を通り抜けると右手に階段だ。


 瑠璃は一年生だから、上の階の教室だろう。おそらく上の教室も、ここと同じで規則正しくなんの乱れもなく机といすが並んでいるだけだろうけど、もしかしたら瑠璃が自分の机だけは何かしているかもしれない。たとえば、落書きとか教科書を机の上においてたりとか。瑠璃はお茶目だから。


 階段をあがって、1-1から1-6と書かれた教室を順々に巡る。中には入らず、廊下から眺めるだけだ。瑠璃を待たせているので、いちいち教室の中に入って机をまじまじと見るわけにはいかない。


「……えっ」


 1-4の教室だった。窓際後ろから二番目の机。透明な花瓶と一輪の枯れた花。ぬけた花弁が周りに散っている。


「これって」


 ――誰かが亡くなったってこと?


 混乱する頭の中で疑問が駆ける。誰かが亡くなった。だれだ。そして、その事実をこの世界は提示している。これが示された意図は何だ。しかし、一番の疑問は。


 カーテンが揺れた。窓が開いていたのだ。枯れた花弁が机から舞い上がった。ガリガリガリ。カーテンの隙間から明るい日差しに目を焼く。どこかで何かを引きずるような音がする。左右の廊下を見渡して、すぐそこの階段を見に行く。

 少し目を離した間だった。何もないことを確認して、教室の中に入り、詳しく見ようと思ったのだ。


「き、消えてる……」


 呆然と机を見やる。花瓶と花はもちろんのこと、散った花弁もなくなっていた。



 六つの調理台と奥に食器棚、左手には作った料理を食べる机と椅子が並んでいる。家庭科室は広々としていて、やけに寂しい感じだ。ドアからすぐの調理台の上に各種材料と調理器具が置いてある。

 先ほどの1-4教室での出来事で頭がいっぱいだが、とりあえず目下行うべきは調理実習のイベントだ。

 長い髪を結いあげ、三角巾を頭で結ぶ。紺色のエプロンを肩にかけ、後ろで帯をちょうちょ結びにしようと四苦八苦しているところだった。


「先輩、不器用さんなんですね」

「そ、そんなことない」

「えぇ~。でも先輩、全然結べてませんよぉ~?」


 割烹着姿の瑠璃がふふんとからかう声音でいうのでむきになって結ぼうとする。それでもなかなか結べなくて指先が絡む。


「もう、先輩ったらぁ~。私がしてあげます」


 鼻歌を口ずさみながら、瑠璃が私の背後に回って、ささっと結ぶ。できましたよ、とぽんと背中を叩かれた。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 瑠璃に割烹着はとてもよく似合っていた。着こなしているというか、きなれているという感じがある。割烹着は裾のほうに桜の刺繍が施してあり、白地に映えていてかわいい。

 ぼうっと彼女を観察していることに気づいたのか、瑠璃がにやにやと笑いながら、みせつけるようにくるりと一回転する。


「先輩、かわいいですか? 似合いますか??」

「うん。似合うよ。かわいいよ」

「っはぁ! 直球ストレートです!!」


  瑠璃が頬に手を当て身もだえる。もう~、やだ~とつぶやいている。ちょっと褒められただけでこんなに舞い上がるのだから、褒めがいがある。


「もう! 今日は腕によりをかけて頑張っちゃいます」


 肩を回しながらやりますよー! と叫ぶ。


「……にんじん、ほうれん草、大根、玉ねぎ、卵と生米か」

「お味噌汁、卵焼き、お浸し、ご飯ってところですね。あ、レシピありますよ」


 調理実習のイベントとは書いてあっても何を作るかまではまーてぃんの極秘制作ノートにのっておらず、なにをつくるのかはその時が来なければわからないらしい。


「和食の定番ですね。お茶の子さいさいです」


 そういうや否や腕まくりをして手際よく下ごしらえをしていく。逡巡の迷いもなく、てきぱきと手順をこなしていく様子に、彼女が手慣れていることがよく分かる。とんとんと子気味の良い音を立てて野菜を切っていく。

 ……もしかして、私は今回食べるだけだったりするのか? しかし、瑠璃がこうやって作業しているのに、手持無沙汰で突っ立っているだけというのも居心地が悪い。

 意を決して瑠璃に問う。


「私は何したらいいかな?」

「そうですね……。うーん、卵焼き作ってほしいです。先輩の手料理食べたいです!」


 切った野菜を鍋に投入し、湯気でもわもわと顔をくゆらせながら楽しそうにゆでている。

 レシピを手繰り寄せて卵焼きのつくり方をチェックする。卵を割って調味料を入れてやきながら雪だるまみたいに太らせればいいのか。


「瑠璃はいつから料理を始めたの?」

「一人で料理をするようになったのは中学二年生の時です」


 はにかみながら柔らかい笑みを浮かべて、瑠璃はとつとつと語り始める。その間も、彼女は野菜の火の通り具合を確認し、火を止める。味噌を溶かす。


「オムレツを作って、家族に出したんです。焦げてるし、ボロボロなんですけど、おいしいっていわれたんです。すごくおいしいよ、今まで食べた中で一番おいしいって」

「うん」

「味付けは塩と胡椒ですし、見た目は不細工だし、いままでにそれよりもおいしいもの食べたことあるのに」

「うん」

「それがすごくうれしくて、料理を始めたんです」


 思い出を語るときの瑠璃はいままで見たことないほど穏やかな顔をしている。


「……あ、手がべとべとじゃないですか!!」

「うん」


 卵を割るのに失敗したのだ。


「もう、先輩がここまで不器用だとは思いませんでした。後は私がやりますから、お味噌汁とお浸しとご飯の盛り付けをお願いします」

「はい」


 味噌汁作りと並行してお浸しと白米を炊いていたらしい。なんという手際の良さ。追われるままにお茶碗とお椀と小鉢を食器棚から取り出す。炊飯器を開けると、白い湯気と白米の匂いが立ち上った。手に持ったしゃもじでよそう。ぐぅ、とおなかが鳴った。


「たっくさん食べてくださいね!!」


 おなかの音を聞いた瑠璃が笑い声をあげる。

 この世界に来て初めて空腹を感じた。もう二週間以上いるのに。もし仮に現実で二週間も水だけで過ごせば、体調を崩しているだろう。改めて、ここはゲームの世界なのだと実感する。

 よそった料理を机の上に並べ、瑠璃と向かい合って座る。白い湯気を上げるお味噌汁、鮮やかな緑色のほうれん草のお浸し、お茶碗に山のように盛られたご飯(一人分にしては多すぎる)、黄金色で形の整った卵焼き。どれもとてもおいしそうだ。


「全部、瑠璃のお世話になっちゃったね」

「あはは! 先輩が不器用すぎるんですよ」

「む……」

「冷める前に食べてください。ささ、どうぞどうぞ」


 いただきます、と手を合わせる。


「おいしい!」


 どれも絶妙な味付けだ。食べる手が止まらず、無我夢中でパクパクと口に運ぶ。


「先輩、食いしん坊なんですね」

「そ、それは瑠璃のご飯がおいしいから……」


 くすくすと瑠璃が笑うのが気恥ずかしくて、変な言い訳をしてしまう。


「もう、じゃあまた調理実習するしかないですね! たっくさんおいしいもの作りますから、全部平らげてくださいね」

「もちろん」


 こんな風に人と会話をしながら食事をするのは久しぶりだ。ずっと一人でご飯を食べていたから、こんなに楽しいものだということを忘れてしまっていた。


「先輩の好物は何ですか?」

「そうだなぁ、クッキーかな」

「なんとしても作らないとですね!」


 たくさん調理実習のイベントをこなして、いつか引き当てて見せます! と瑠璃がドンと胸を張る。


「そのときはよろしくね」

「まっかせてください!」


 食べ終えると洗い物をする。料理は瑠璃がすべてしてくれたので、洗い物くらいはとはりきって洗剤をスポンジにつける。私が洗い物をしている間、瑠璃は家庭科室を出ていった。


 ――今日はお父さんの誕生日だから、ケーキ作ろうね。


 幼い時分がよみがえる。スポンジを焼いて、生クリームを泡立てて、あとは盛り付けるだけという状態まで母が準備をしていた。

真っ赤ないちごに生クリームをたっぷりつけて、「おやつよ」と母が私の口に放り込む。おいしい、もっと食べたいと私が言うと、「もう、お父さんの分がなくなっちゃうからダメ」と母がくすくすと笑った。「スポンジにクリーム塗ろうね」「いちごたくさんのせなきゃ」母に言われるままにケーキを盛り付ける。完成する頃には手のひらと頬にクリームがべったりとついていた。

 仕事から帰ってきた父が顔をクリームでべとべとにした私をみて笑う。幼い私を抱き上げて、「デザートが楽しみだ!」という。あの時の父と母の笑顔を、私は忘れられないでいる。


 洗い物を終え、着ていたエプロンと三角巾を脱ぐ。いつの間にか瑠璃は帰ってきていた。眼を擦る。


「先輩、眠たくなってきました?」

「うん」


 エプロンと三角巾を調理台の上に置き、家庭科室を後にする。明日になれば、それらは消えてなくなっている。ここはゲームの世界だから。

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サマースクールパラダイス ポン吉 @sakana_kumo

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