1-2

 今日のイベントを決めると自動的に必要な道具が2-3教室のロッカーに入っている。今回は体操服とスニーカーだ。

 体操着に手早く着替えて、昇降口へと向かう。スニーカーに履き替え昇降口をすぐ出たところで瑠璃が待っていた。


「おまたせ」


 じりじりと照りつける太陽に目を細めながら、瑠璃は制服姿でたおやかな笑みを浮かべている。


「先輩、こっちです」


 くるりと踵を返して、瑠璃がゆっくりと歩きだす。肩までの白髪がまばゆい日光を反射して絹糸のようにキラキラとしている。

 校内のイベントだけを消化していたので、こ今日のように外に出るのは初めてだ。ついきょろきょろと辺りを見回してしまう。

 右手に木造の大きな建物があった。


「あの古い建物は……?」

「旧校舎ですよ。そのうち取り壊す予定らしいです」


 なるほど、と全体的に古めかしい外観に納得する。木は焦茶色で、側面は下から這うように蔦が絡みついている。窓はついているところもあれば外してあるところもあり、その先に見える廊下と教室はこの明るい昼間にも関わらず、どんよりと暗い。

 今にも崩れてしまいそうな旧校舎に比べ、私が寝泊まりする新校舎は雨漏りのないきれいなものだ。


「中に入るイベントとかある?」

「ありませんよ」


 もしそうなら嫌だなぁと思いながら尋ねると瑠璃は即答し、旧校舎を一瞥もすることなく歩いていく。

 すたすたと歩く瑠璃がすっと立ち止まって私の方へ向き直る。赤い瞳が私をじっと見据える。


「つきましたよ!」


 グラウンドの反対側の校舎の裏手の、影になったところにポツンと花壇がある。

 

「どのお花を植えますか?」


 花壇の横に花の苗とスコップとジョウロがおいてある。苗はどれも青々とした葉を茂らせ、咲く前だから写真付きで名前が書いてあった。


「マリーゴールド、ペチュニア、ゼラニウム、バーベナ、サルビア……。たっくさんあるね」


 色のバリエーションで同じ種類のものもあり、花壇のサイズに比べて苗が多すぎる。


「先輩はどれが好きですか?」

「……花はよくわかんないから、どうしようかなぁ」


 チラリと横目に苗を伺う。育てやすい種類のものを植えるのがいいと思い、そう口にしようとする。


「先輩は何色が好きですか?」


 問われてハッとする。好きなものを植えていいのか、と当たり前のことをおもう。


「えっ。……えっと、黄色、かな」


 すると瑠璃はしゃがみこんで、苗を手に取り始めた。ふむふむと相槌をうって、一つ一つじっくり吟味している。

 ふと手を止め、彼女はこれだ! とでもいうように目を見開き、私にスッと一つの苗を差し出した。


「これとかどうですか!?」


 リムナンテスという花だった。写真には、中心は明るい黄色で縁は真っ白い花が咲いている。


「このお花かわいいです!!」


 植えたい植えたいとはしゃいでいる。目を線のように細めながら瑠璃が笑う。真っ黒なプリーツスカートがひらひら揺れ、白髪がキラキラと光を反射する。

 そのまま、制服が汚れることも気にせず、スコップでザクザクと土を掘っていく。やわらかい土を掘り返して作った穴に苗を植える。ふーっと息を吐きだして、土で汚れた手を気にせずに額の汗をぬぐう。


「先輩はどれがいいですか!?」


 輝く笑みを浮かべて瑠璃は楽しいですねと私に笑いかける。


「土、ついてるよ」


 彼女の真っ白な額についた土を手で拭う。わわっと頬を赤く染めて、ごしごしと制服の袖で強引に瑠璃が吹き始めたために、額すら真っ赤になってしまった。


「ありがとうございます」

「私はこれにしようかな~」


 ゼラニウムの苗を手に取る。華やかなにおいが鼻孔をくすぐる。懐かしい匂いだ。ゼラニウムは、私の母が好きな花だった。

 幼いころの、幸せな記憶が脳裏をかすめる。


 ――お母さんのお手伝いしてくれるの?


 ――うん!


 あの瞬間を切り取って永遠にできればよかったのだ。そうすれば、誰も悲しむことなどなかった。


「先輩?」

「……ん、あ、そっか。ちょっと気が散ってた。植えないとね!」


 瑠璃からスコップを受け取り、やわらかい少し湿った土を掘り返す。苗自体は小さいのですぐに埋まるほどの大きさの穴がぽっかりと開く。


「……なにかある」


 土の中に埋まっているものが光を反射して一瞬だけ光った。手を使って土をかき分け、目当ての物をつかむ。


「キーホルダーだ」


 ねぇ、と瑠璃に呼びかける。どうしました? と首をかしげている彼女にキーホルダーを見せた。


「こんなの見つけたんだけど」

「……えっ」


 消え入りそうな声で呟く。薄い唇がかすかにふるえている。真っ赤な瞳を見開いて、じぃっとキーホルダーを見つめている。

 何の変哲もないもののはずだ。切れた紐に丸い透明なガラス玉がついているだけだ。そのガラス玉は表面に細かい傷がついて濁っているが、長く使っていたらつくようなもので、さして特徴のあるものでもない。


「……こ、これ、私のもの、なんです。先輩、見つけてくれたんですね。ありがとうございます」



 先ほどまでの明るい様子とは打って変わって、取り繕うような笑顔を浮かべてキーホルダーに手を伸ばす。おずおずと手渡すと、さっとそれを胸ポケットにしまった。

 瑠璃の態度が妙だ。明らかに動揺している。失くしもののようではあるが、見つかってこのように取り乱すだろうか。


「も、もう! 先輩どうしたんですか?」


 早くお花を植えないと眠たくなっちゃいますよ~と私をせかす。

 いわれてみれば、今日はいつもより長くイベントをこなしている。そろそろ眠くなるかもしれなかった。

 せかされるままに、ゼラニウムの苗を植える。


「先輩、水をあげればイベント終了ですよ!」


――ちゃん、お花にお水をあげましょうね。


 大きくうなずいて、母と二人でじょうろをもって水やりをする時間が私は好きだった。太陽の光を受けてキラキラと光る水しぶき。大はしゃぎして四方八方に水をまき散らす私。濡れた服とアスファルトの匂い。母が笑いながら私をたしなめる。家から父が私たちを呼ぶ。焼きそばできたよという朗らかな声。「やったー!」と母が歓声を上げる。「早くご飯食べなきゃ!」と母は言うや否や私がびしょびしょに濡れていることも気にせずに抱きあげる。


 幼少期の思い出がぐらりと頭をもたげた。ぼうっとしている私に用意されていたじょうろが手渡される。たっぷりの水が入って重たい。


「ささ、思いっきりお水をかけてあげてください」


 真夏の暑い日差しをうけてシャワーの水滴が虹を作る。キレイキレイとはしゃぐ瑠璃は先ほどの動揺なんてなかったかのようだ。


「あ、私の手に水かけてください! 先輩も、手をきれいにしないと!!」

「そうだねー」

 

 思ったよりも冷たいじょうろの水に驚きつつ、手についた土を流す。スカートのポケットから取り出したハンカチで瑠璃は手を拭いている。


「私たちの愛の共同作業が終わりましたよ!」


 苗を満足げにしげしげと眺め、フーと息を吐きだした。いい汗かきましたと言わんばかりの態度だが、瑠璃は全く汗をかかない。

 瑠璃の後ろでその様子を眺めていたら、振り返った彼女があという顔をする。


「そろそろおねむの時間ですね、先輩」

「……う、うん。眠たくなってきたよ」

「保健室、戻りましょうか」


 一つイベントをこなすと疲れと眠気がやってくる。連続でイベントをこなすことはできない。この眠さには抗えない。イベントを終えると私は保健室に戻り、寝間着のジャージに着替えてベットの上で眠るのだ。

 そして、また九時に目を覚ます。


 これが私の一日だ。

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