言葉破壊ファンクラブ

マッチャポテトサ

言葉破壊ファンクラブ

 血液型や誕生月などの意味のないものに意味を見出そうとする姿勢はお洒落なものとして扱われたり、馬鹿なものとして扱われたり、或いは宗教的なものとして扱われる。


 真昼。さも無限かのように出し続ける煙を吐き出し続ける工場。煙を貪り続ける白い空。鉄筋コンクリートの巨大な塊が、遠近法によって手のひらサイズになる距離に僕は居た。通過。

 電車。雨が降り始め、窓が結露にまみれ誰かが落書きをする。読めるか読めないかギリギリの汚い文字で書かれた「助けて」「死ね」を見てスカートを履いた子供二人が「死ねって書いてある!」と喜んで連呼していた。電車内に響き渡る。するとその両親がそれをやめさせようとする。するとベビーカーに乗っていたもう一人の子供が泣き叫び始めた。それをあやそうとしているとその親子が降りる駅が訪れ、その家族は降りた。


 水色のカーディガンに合わすためを買う。それに合わすために髪を久しぶりに短く切る。そうして週末を過ごし、一週間が終わっていき、やがて一年が終わる。ただ過ぎ去るだけの時間を人は「青春」と呼んでみては丁重に、大事そうに抱え込む。過ぎり行く日々とそこにかさばる若さを弄び、彼女はずっと泣いていた。

川があって、その上に橋がかかっている。そこに彼女と僕は居た。別に言うべき言葉も無いのにその場しのぎの言葉を探している。彼女はやはり泣いていた。その場しのぎの言葉を探す。有効な言葉などそこに無いのに。


「間違えとるやないかい!」という意識を内包している間違ったことを言ってウケを狙おうとしている人のツイートが「この人おかしいですね」的なbotで無断転載され切り取られた時のグロデスクさ、日本独特の暑さと湿り気による夏の不快感のごとし。

 あるいはそのようなグロデスクな夏の不快感に包まれた僕の部屋は真昼、テレビの真横にムカデが忍び寄る。テレビに映された雛壇の芸人たちはずっこける。中堅芸人はツッコむ。僕は飲み終わったペットボトルを用意して、ムカデをじっと見つめる。ムカデもまたこちらを伺う。緊張感。ペットボトルをムカデに突っ込む。ムカデは逃げる。床に置いていたアンプの中に入り込む。やがてムカデの命は失われる。僕の手によって。

その一ヶ月前、僕の飼っていた猫も同じ部屋で命を失われる。病魔の手によって。平均的には可愛らしい顔とはとても言えない。しかしその分愛嬌があった。


 痰かと思ったら濡れたティッシュだった。ということ、ありませんか?ああ、ないですか。


 揚げ物が並ぶ食卓。野球中継の音と咀嚼音、テレビを見て「おいー」とか「行け!」とか大きなため息を出す父。僕と母はテレビの画面を一切見ないで食べ物だけを見て食べている。喋らない。阪神。巨人。本当に心底どうでも良い争いの勝敗に一喜一憂する彼の人生は僕の人生より良いのか悪いのか。


 目が良いことがアイデンティティだった。生まれた時皆の目は大体同じで生活習慣によって目が悪くなっただけなのにそれをアイデンティティにするとはどれだけ僕は薄い人生を経ているのだろうか。そんなアイデンティティの少ない僕も目がどんどん悪くなる。見えていた遠くの看板の文字が薄らぐ。思い返せば最近見た遠くの景色の距離はソファからテレビまでの距離である。少ないアイデンティティの一つが今、消失する。


 駅には沢山の人がいる。老人にぶつかりそうになったので左に避けると、老人は私にだけわかるような大きさの声で「人間って普通右に行くはずなのにな」と言った。


 断られるために言う願い事がある。それはしばしば「断られるために言」っているということを悟られる。神もそれを悟っているのだろうか。神に願った言葉は基本的に叶うことは無い。


 ぼろぼろになった踏み切り沿いにある電柱に貼り付けられた看板。焼けて赤く書かれた部分は消え、ペンキは所々剥がれている。「言葉破壊ファンクラブ 〜〜会員募集中」と書かれ下に電話番号が記載されている。その看板の下に「募集中」とメイリオというWindows標準のフォントで書かれWordで作って印刷したと推測される、割と新しそうなプリントがラミネートされてガムテープでぎちぎちに貼り付けられている。真昼。僕は歩いていた。記載されていたその電話番号に連絡をしてみる。

「もしもし」

「はいもしもし佐藤です。」

言葉破壊ファンクラブは名乗らない。

「どちら様でしょうか」

「あの、言葉破壊ファンクラブという看板を見たんですが」

少しの無言。「かけ間違いでは無いでしょうか」

「そうでしたか。すみません。」電話が切られる。


 例えば相手が悲しんでいてそれを励ましたり向き合おうとする時、「自分の方がもっと〜〜だから大丈夫」という論法や態度は通じないことが多い。相手の苦しみを結局理解せずに自分の苦しみの自慢をしてるのに近いだけだ。ただの間埋め以下の言葉にしかならない。しかしそれ以外に言葉が思いつくかない時、もう選択肢は無言しか無い。


 夕方になる。雨が降り出し傘をさす。久しぶりに会った友達とご飯を食べに行く。会話の内容が全く面白く無いと感じたらどうしようと不安が過ぎる。その予想が的中した。その要因は僕が変化したのか向こうが変化したのか。それを理解することは至難の業である。ただ流れた途轍もなく長い時間とそれに対する慣れが、横たわっている。


世界中の鳥のいる数の割に飛ぶ鳥を余り見ることは無かった。

人とそこそこの数話したし、買い物もそこそこした。

大事そうなことはほとんどしたし、人の話は何となく聞いていた。

ところで、世界は機械仕掛けであった。

呆然と立ち尽くす私だけが苦しんだり悲しんだり楽しかったり喜んだり、

他の森羅万象は、全くもって機械仕掛けであった。

気づいた瞬間、それはクランクアップする。

全員が撤収作業を始め、まもなくそれは終わり、世界は無くなり、僕も居なかった。

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言葉破壊ファンクラブ マッチャポテトサ @mps_mokohima

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