8月16日、天気はゾンビ

御厨カイト

8月16日、天気はゾンビ


 恋人がゾンビになった。

 ……なんて、ゾンビ映画だとしたらB級の入りかもしれないが残念ながら現実だ。


 2022年の冬、世界に突如としてゾンビが現れた。

 即座にウイルス説やどこかの国の生物兵器説、病原菌の突然変異説など様々な原因が考えられたが、結局どれが正しいのか究明されることは無かった。

 何故なら、人類の半分が瞬く間にゾンビとなったのだから。

 殆どの国が崩壊し、今では外でゾンビがウロウロしているのが日常の風景となっている。


 ……これは日本も例外ではなく、最早ゾンビ世界と化した日本で生きるのは大変で毎日を生き延びるだけで精一杯だった。

 だが、そんな日々を何か月か続けていくとゾンビたちの生態についてもある程度分かってくる。

 どうやら、奴らに噛みつかれると噛みつかれた箇所から段々ゾンビ化していき、最終的に知能の無いゾンビになってしまうらしいのだ。

 つまり、ゾンビに噛まれた時点でお終い。ワクチンとかも存在するわけが無いので助かる見込みは0。

 という様な絶望的な状況の中で高校生の俺はまだ何とか生きているのだが……



 ピンポーン!



 ソファに座りながら、頭の中を整理するようにそんな事を考えていた俺の意識を切るように突如として玄関のチャイムが鳴り響いた。

 何事かと一瞬焦ったが、手元にあるスマホの時計を見ると約束の時間のぴったり一分前


「あぁ、もうそんな時間か」と思いながら慌てて玄関へと向かい、近くに置いてあった封筒を手に取りドアを開ける。

 すると、そこには黒のパンツに白いシャツを着てサングラスをかけた二十代後半ぐらいの男性が立っていた。

 彼は俺がドアを開けるなり、軽く微笑みながら手に持っていた紙袋をこちらに渡してくる。



「持ってきたぞ、今週の分だ」


「いつもありがとうございます、小林さん」



 それを俺はお礼を言いながら受け取った。

 俺が「小林」と呼ぶ彼はこのゾンビが蔓延した世界で唯一俺の味方をしてくれている男性だ。

 元々、県庁に勤めていたれっきとした公務員だったが、職場がこのゾンビ化現象によって壊滅。

 そのせいで路頭に迷っていた彼を俺が助けたのだが、その恩返しと言わんばかりにそれから己の知識や人脈を使って俺たちの生活を助けてくれるようになった。

 今だって俺らの生活に必要なものを毎週届けに来てくれている。

 俺らが今こうして何とか生存しているのが実質、彼のお陰のようなものだ。


 そんな彼に感謝しながらチラッと紙袋の中を見て、お目当ての物が入っている事を確認した俺はさっき手に取った封筒を彼に渡す。

 彼はその封筒を開け、中から数枚の紙幣を出し、枚数を数える。

 少しして彼は軽く頷いた。



「うん、丁度ね。ありがとう。それじゃ、また来週」


「はい。本当にいつもありがとうございます。お気をつけて!」



 手をヒラヒラと振りながらも素早く車に乗ってこの場から退散していく彼の姿が見えなくなったところで俺も家の中へと入る。

 そして、紙袋の中身を速やかに冷凍庫に入れるためにもキッチンへと向かった。


 着いたならまず、紙袋に入っていたものを机の上に出す。

 ドスンと少し鈍い音を発しながら机の上に出したソレは外からは中身が分からないように何重にもビニールによって包まれていた。

 まぁ、厳重になるのも仕方が無い。あのゾンビたちの大好物でもあるからな。

 でも、このままだと作業する際に大変なので一旦このビニールの層を剥ぐ。

 近くにあったカッターで切り込みを入れ、慎重に慎重に。

 ガチガチに包まれていたからか若干手間取りながらも、何とか全部剥がすことが出来た。


 そうすることによって現れる全貌。

 全体的に赤黒く、そして筋肉質なその肉塊はどこか神秘的だった。

 毎日見ているはずなのにまるでそれに魅了されているかのように魅かれてしまう俺。

 しかしながら、人間がソレを口にするのは『禁忌』であり、これはそもそも彼女への食糧である。

 流石にそこまで堕ちていない僕はそんな誘惑を断ち切り、すぐさま作業に取り掛かった。



 ラップを一,二枚敷き、その上に肉を置き綺麗に包む。

 そして、ちゃんと保存できるようになったソレ、いわゆる『』を冷凍庫へと持って行った。

 もやしによってパンパンになっている上段ではなく、いつも入れている下段に仕舞う。

 ついでに今日使う分のお肉も取り出した。

 先週貰った分がまだ余っていたからそれを使って用意をする。


 ……と言っても、ただ彼女食べる量を元の肉塊から切り分けるだけなのだが

 やはり筋肉質なだけあって刃が通りづらく、いつも苦戦する。

 グッと力を込めることによってようやく包丁が肉に食い込み、切りやすくなるが同時にブツリブツリと筋肉を切る感触が手に響いてきた。

 この感覚だけは流石に慣れないなと思いつつも何とか切り終え、まな板の上に置く。



 それにしても、よくもまぁ小林さんはこんな『人肉』なんて用意できるものだな。

 ……勿論、お願いしたのは僕なのだけども。

 一体、彼は何者なんだろうか……いや、やめておこう。

 知らなくてもいい情報もこの世にはあるはずだ。まさに知らぬが仏だろう。

 こんな食料すらもまともに手に入らなくなってきた今、定期的にちゃんと届けてくれる彼には頭が上がらない。

 ……まぁ、それに見合う位のお金も毎回渡してはいるのだが……その代償に僕のご飯はずっともやしだし……

 ふぅ、これもしょうがないんだろうな。



 俺は軽く溜息をつきながら切り終わった肉を皿の上に載せていく。

 ようやく準備が終わったので早速、彼女が待っている部屋へと持って行くことにした。

 足を置くたびにギシギシ鳴る階段を上って、いざ二階へ。


 二階には二部屋しかなく、そのうちの一つが彼女の部屋となっている。

 その部屋の前に立ち、反応が無いことは承知の上で三回ノックし、ドアを開けた。

 目の前には部屋の隅でぼーっと立っている彼女と、そんな彼女をこの世界から無情にも切り離すような鉄格子。

 そんな、まるで牢獄のような部屋に恋人である堀川ほりかわ侑希ゆきはいた。


 ゾンビという事もあり、人間のような知能は持ち合わせていないからか「ウゥゥ……」とただ唸るだけでこちらには全く興味を示していない。

 そんな彼女に苦笑いしつつも、俺は持ってきた食事を鉄格子の隙間から彼女の前に置いた。

 すると、彼女が目の前に置かれている物を認識したのと呼応したように「グゥゥ」というお腹の音がこっちまで聞こえてくる。

 彼女は昼食である肉をその巨体からは想像できないぐらい俊敏な動きで拾い上げるなり大きく齧り付き、咀嚼を始めた。


 彼女の一口は非常に大きく、ちょっと齧っただけで既に肉の大部分はなくなっていた。

 しかし、それでも食べるのは止まらず、一心不乱に食べている。

 その姿はまるで久しぶりにお腹いっぱいになるまでご飯を食べている子供のようだった。

 やはりゾンビらしく欲望と動きが直結している。

 ようやくそこで俺の存在を思い出したのかチラッとこちらを一瞥するもすぐに侑希は目の前の食事へと視線を戻した。





 ********





 ……最初は映画の撮影か何かかと思っていた。

 だって、まさか俺らの目の前にいきなりゾンビが現れるなんて夢にも思っていなかったのだから。

 あの日は侑希と付き合って丁度一年の記念日だった。

 高校一年の頃に一目惚れし、高校二年の時に告白し、高校三年になってもこの幸せがずっと続く、そう考え疑わなかった。

 現に今は記念日という事もあって彼女とのデートの真っ最中。

「次はどこ行こうか?」なんて笑みを浮かべながら幸せなやり取りを彼女としていた。


 ……けれども、そんな幸せは一瞬にして消え去る。

 突如、俺たちの前に現れたゾンビによって全て壊されたのだ。

 ふらりと一人の人間がいきなり道路に飛び出して来たかと思えば、そのまま近くの人の腕に噛みついた。

 噛みつかれた本人は一瞬何が起こったのか分からず固まっていたが、すぐに甲高い悲鳴を上げる。

 だが、その数秒後、噛みつかれた箇所からみるみるとゾンビとなり始めた。

 噛まれた人も最初は抵抗しようとしていたが、次第に歩くのも困難なほどに足の動きがぎこちなくなる。

 そして……遂には理性を失い、近くにいた人を襲い始めていた。

 あまりにも現実離れした光景に周囲は阿鼻叫喚、地獄絵図と化し、俺たちは衝撃のあまり動けずにいた。


 こうしている間にもゾンビはどんどん増えていく。

 噛まれた人はゾンビになって、その人がまた他の人を……

 正に負の連鎖。

 ようやく固まっていた体を動かせるようになった頃には、もう目の前までそのゾンビたちが迫っていた。


「ゆ、侑希!走るよ!」


 俺は咄嗟に侑希の手を引き、走り出す。

 背後からはゾンビたちのうめき声が聞こえてきて、まるで逃げきれないと告げるかのようにすぐ近くからドタドタという足音が聞こえてくる。

 ……だが、俺はそんな声に一切耳を傾けず走った。

 少しでも走れるスペースがある所に向かって全力で走る。

 それでも、流石に体力の限界がきた俺らはゾンビから逃れるため、近くのコンビニへと逃げ込んだ。

 店内には何人かの客がいるが、皆一様に生気を感じられないほど青白くなっており、フラフラと動いていた。

 そんなゾンビから逃げるように店の隅っこに急いで隠れる俺ら。

 何とか追手から逃れられたことに安心したからか思わずピンチなのは変わらない。

 取り敢えず、体力が回復次第ここも急いで出なくては。


 息を整えながらそう頭の中を整理した俺は、隣にいる侑希に声を掛ける。



「……侑希、大丈夫?」


「う、うん、何とか……まだ、信じられないけど……」



 まだ、先程の光景を目の当たりにした衝撃から抜け出せていないのか侑希は震える声でそう答える。

 だが、それでも何とか冷静に自分を保とうとしていた。

 普段はどこか抜けている部分がある彼女だったが、こういう時はちゃんとしっかりしている。

 しかし、それでも体は正直だったようで、微かに震えており、不安からか俺の手を強く握りしめていた。

 俺はそんな侑希を安心させるため彼女の手の上に自分の手を重ねる。

 ……それにしても、どうやらゾンビたちは俺らの存在に気づいていないようだ。



「……もう少し落ち着いたらここを出よう」


「分かった」



 外のゾンビたちは未だに呻き声を上げ、中には近くにある商品を物色する個体もいたが取り敢えずこの店内に居る奴らが動く気配は今のところ無い。

 ……このまま外で襲われるよりか全然マシだが、同時にいつ外に出られるか分からないという不安もあった。

 冷静に振舞ってはいるが、やはり侑希も恐怖を感じているのかまだ顔色は良くない。

 またいつ、店内にいるゾンビたちが動き出してもおかしくは無いだろうな。

 だからこそ、今の間に少しでも体力を回復しておかなくては……


 ……だが、俺のそんな決心は最悪の状況で脆く崩れ去ってしまう。

 グゥ~という大きなお腹の音と共にバッと自らの腹部を抑える侑希。

 本能的に「ヤバい」と思った俺は素早く侑希の手を取り、ここを後にしようとする。

 しかし、そんな俺たちをゾンビが逃がすわけがない。

 音に気付いた数体のゾンビがダッとこちらに向かって勢いよく駆け出してくる。


「頼む頼む頼む頼む頼む」


 心の中でそう繰り返しながら、俺は必死に侑希の手を引きながらコンビニの出口へと向かう。

 そして、何とかゾンビを振り切り、コンビニから出た……と思ったその瞬間「ギャッ!」という彼女の声と共に引いていた手の動きが止まる。

 何事かと思いながら慌てて振り向くと、そこには右腕をゾンビに噛みつかれている彼女の姿があった。


 痛そうに顔を歪めている侑希。

 噛まれた腕からはドクドクと血が流れており、床にポタポタと赤い液体が滴り落ちている。

 それを見た瞬間、俺の頭は瞬間的に真っ白になった。

 しかし、すぐに意識は元に戻り、反射的に彼女の腕を噛んでいるゾンビを蹴り飛ばす。

 ゾンビは蹴られた衝撃でよろめいた後、そのまま近くにあった商品棚にぶつかって動かなくなる。

 この一瞬の隙をついて俺はまたしても侑希の左腕を掴み、コンビニから距離を取った。

 彼女の傷も気になるが、取り敢えずここから離れることが先決だと思ったからだ。


 丁度、この近くに俺の家がある。

 そこまでいけば大丈夫だろう。

 俺の脳みその一割はそんな冷静な考えを構築していたが、他の九割は別の事に埋め尽くされていた。



『彼女が、侑希がゾンビになってしまう』



 この事実が俺の中で暴れ回り、何も考えられなくなってしまう。

 気付けば俺は彼女の腕を強く引っ張りながらただただ走り出していた。

 走って、走って、走り続けて……ようやく俺の家に着く。

 道中には何体かゾンビがいたが気に留めず通り過ぎた事で何とか怪我を増やさずここまで来れた。


 肩で息をしながら家の中に入り、玄関の段差に腰掛けた所ですかさず彼女の様子を見る。

 彼女の腕には噛まれた痕がくっきりと残っており、そこから血が流れ続けていた……が、彼女自身の意識ははっきりとしており、どうやらまだゾンビにはなっていないようだった。

 どうやら、ゾンビに噛まれたとしても人によってはすぐにゾンビにならないようなのだ。

 その事実に一先ず俺はホッと胸を撫で下ろす。

 と言っても、単純に彼女の傷が気になった俺は手当てをするために救急箱を取りに行き、中に入っていた消毒液で消毒した。

 更に、包帯で患部を巻き止血する。


 その過程で彼女から「……ごめんね、ありがとう」という弱々しい声が聞こえてきたが、俺は無言で処置を続けた。

 処置を終えた俺は彼女の腕から視線を外し、彼女の顔を見る。

 すると、今にも泣き出しそうな程不安そうな表情を浮かべている侑希の姿がそこにはあった。

 俺はそんな彼女を抱きしめ、頭を優しく撫でてあげる事しか出来ない



 窓からチラッと外を見ると、至る所にゾンビたちがうろついていた。

 両親も今日、街中に出かけると言っていたが電話をかけても出ない……無事なのだろうか。




 ……この世界は一体どうなってしまうだろう。

 今の俺たちには全くもって想像が出来なかった。





 ********





 瞬く間にとんでもない量のゾンビが街中に出現してしまったため、流石にこの状態の侑希を彼女の家に送るのは困難だと考えた俺は、しばらく彼女を俺の家に匿うことにした。

 こんな状況だが、俺がいつも彼女の家に行くからか彼女が俺の家に来るのはまだ数回しかなく、最初こそ緊張してソワソワしていたが、今では落ち着いてきたのがすっかり寛いでいる。

 テレビではゾンビに関するニュースしかやってないし、安心なんて出来やしないが俺はそんな様子を微笑ましく思いながら、彼女がゾンビ化しない事を切に願った。

 ……だが、そんな生活も長くは続かない。


 最初の方こそ良かったが、数日経ってくると段々彼女の様子もおかしくなってくる。

 昼夜問わずぼーっとすることが増えた。

 加えて食べ物もロクに食べなくなりどこかやつれてきた気がする。

 ……このままいけば彼女だっていずれ……いや、待て待て待て。

 どうかその思考よ止まってくれ、どうか。

 俺はそんな考えを振り払うかのように頭をぶんぶんと振った。


 まだまだ彼女と一緒に居たいのに。


 こんな願いすらも神は叶えてくれないのか。

 そもそも、侑希がゾンビになってしまえば彼女にもう会えなくなるのではないか……そんな考えが頭を過ぎる度に俺の心は折れそうだった。

 これはまずい。何とかしないと……でも、どうすれば良いんだ?ゾンビ化を止める方法なんて知らないし……

 そんな事をずっと考えてはいるものの、一向に良い案は思い浮かばない。

 俺は自分の不甲斐なさに苛立ちを覚えつつも、彼女の前ではそんな表情を見せないようにしながら過ごしていった。



 そんなある日、いつも通り彼女の事を起こしに行くのと朝食を持って行くために彼女の部屋のドアをノックした。

 いつもならすぐに「はーい、どうぞ」という声が聞こえてくるのだが、今日は何も返ってこない。

 心配になってきた俺は「侑希?大丈夫?」なんて声を掛けながら、ドアノブを捻る。


 すると――



「ガァァァ!」



 開けた瞬間、いきなり彼女が俺に向かって噛みついてきた。

 そんな予期せぬ行動に俺は驚きながらも、手に持っていたお盆で何とか防ぐ。

 だが、あの彼女から出ているとは思えない力でグググッと押されてしまう。

 ヤバい、このままだと喰われる。

 そう本能で感じた俺は必死に彼女の牙から逃れようと顔を背け、俺の事を守っているお盆で彼女の事を押し返し、踏鞴を踏んでいる所で急いでドアを閉める。

 ドア越しにドンッという大きな音が聞こえるが、これ以上は出てこないようでそれを確認した俺はその場でへたり込んでしまった。


 ……侑希がとうとうゾンビになってしまった。


 彼女がゾンビになっているという事実を目の前で突きつけられ、俺は思わず呆然としてしまう。

 いつか来るんじゃないかと思っていたこの展開に、俺の頭は悲しさと悔しさに苛まれている。

 もう彼女は元には戻らないのか……? そんな悲しみと絶望が胸中に渦巻く。


 俺は少しの間、ただただ茫然と座り込んでいた。

 これからどうする……どうすればいい?

 地獄絵図と化したこの世界で一人で生きないといけないのか?そんなの……


 ……いや、違う。一人じゃない。俺には彼女が居るじゃないか。

 例え彼女がゾンビになってしまったとしても、俺は彼女と一緒にいたいし、出来ることなら彼女を救いたい。

 だって俺は侑希が好きだからだ。心の底から愛しているから。

 そんな大事な人をこんな所で失いたくない……狂ってると言われてもいい……だから!




『俺は侑希と一緒に生きる』





 ********





 心の中でそう強く誓った日から早数か月。

 あれから、俺は侑希を救う方法を探し続けた……が、結局何も進展しなかった。

 専門家でさえ結局、解明出来ずゾンビとなっていったのだから当たり前といえば当たり前なのに。

 それでも、多少ゾンビたちに関しての情報を得れたし、小林さんにも出会う事が出来た。

 小林さんに関しては俺たちの状況を理解した上で協力してくれている。

 そのおかげで俺たちは何とか今日まで生きれているのだが……



 今ではもう懐かしい思い出が脳内を駆け巡る。

 目の前で彼女は未だに肉を貪っていた。

 口元を豪快に汚しながらも、気にせず続ける。



「侑希、美味しい?」



 そんな彼女に俺はそう問い掛けた。

 しかし、彼女は何も答えることなくただ肉を食べるだけ。

 いつも通りの行動に俺は「はぁ」とため息をつく。

 少しして食べ終わったのか彼女は手をペロリと舐め、のそりと立ち上がり、そして自分の定位置なのだろうか部屋の隅へと移動し、またぼーっとする。

 俺はその空になった皿を手に取り「それじゃ」と彼女に声を掛け、部屋から出た。



 ギシギシと鳴る階段を降りながら、俺はさっきの彼女の様子を思い返す。

 いつからだろうか、彼女の瞳に俺の姿なんて映らなくなったのは。

 もう人間としての彼女は死んでしまっている……なんてことは勿論分かっている。

 最早、今の彼女は俺の思い出の中にいる「堀川侑希」ではないのだ。

 見た目だって、当時俺が好きだったサラサラで綺麗な黒髪のショートカットも今では手入れなんてしないから伸び切ってボサボサになっているし、服だってもうボロボロだ。

 ……そんな、思い出と現在のギャップが俺の事を苦しめる。



 リビングの扉を開け、皿を流しに置いて俺はソファに座る。

 窓の外側ではもはや日常だと言わんばかりにゾンビたちが蔓延っていた。

 チラッと時計を見るとまだ昼の一時。

 夏の真っ最中だという事もあって、エアコンをつけていてもジリジリとした暑さを感じる。

 またしても軽く息を吐きながら、俺はソファに深くもたれかかった。



『……彼女はいつ死んでくれるのだろうか』



 まただ、またそんな願いが俺の中に浮いて消えていく。

 あんなにも愛していたはずなのに、心は既に彼女の死を望むようになってしまっている。

 人間としてはもう死亡しているが今度はゾンビとしての死。

 どうやら小林さんによるとゾンビにも人間のような急所があるらしい。

 それは『脳』だ。ここを潰せば奴らは完全に動けなくなるそう。

 だから、ゾンビになった侑希を俺が殺せば彼女は死ねる。


 ……ここまで生かしたくせにホント自分勝手だよな。


 色々な考えが頭の中でぐちゃぐちゃになって情緒がおかしくなる。

 だけど、現実的に考えたとしてもこの生活を続けるのが厳しくなってきた。

 彼女の食事である人肉が大分高価であるためだ。

 どうにかそれ以外の部分を切り詰めて節約してはいるものの、それにも限界がある。

 もう貯金はそう多くない……というか、結構ヤバい。


 ……もう潮時という事は薄々、分かっていた。

 俺はただ彼女の事を見捨てたくないだけなんだよ。

 本当ならずっと一緒にいたいって思うべきなのに……

 でも、侑希は日に日に俺との愛を忘れていくし、その度俺の精神も削られていく。

 正直、もう限界だった。

「ハァー」と大きく息を吐きながら俺は項垂れる。



「……8月16日……曜日……天気は……」



 そんな時、俺の耳にそんな音声が入ってきた。

 どうやら、いつの間にかついていたテレビからのようだ。

 テレビを作る側と見る側がいなくなった今では最早ただの置物になっていて、つけてもザーザーと所謂「砂嵐」の状態となっているのだが、この時間だけは毎日、今日の日付と天気が機械音声によって知らされるようになっている。

 何故こうなっているのかは知らないが、こんな日付感覚が狂うような生活を送っている俺にとっては有り難い。


 それにしても……もう半年か。

 いい加減区切りをつけないといけないのかもしれない。

 彼女との生活を、彼女への愛を。


 俺が侑希と一緒に居たいがために、今日まで生かしてきた。

 だが、それももう終わりのようだ。

 ……なら、最期にする事は一つだけ。

 俺は大きく深呼吸をした後、テレビを消して、リモコンを雑に投げる。


 そして、辺りを見渡すと丁度部屋の隅にバットがあった。

 俺はそれをゆっくりと手に取る。

 久々に握るバットは、何故かとても重く感じた。

 グッとグリップを強く握り、覚悟を決めた俺はリビングを出て彼女の元へと向かう。




 ********




 バットを右手に持ちながら一歩一歩ゆっくり階段を上り、彼女の部屋に戻ってきた俺は、まずカーテンを閉めた。

 光の反射が煩わしいのと、これからやる事を見られたくないからだ。

 彼女はというと相変わらず部屋の隅でぼーっとしている。


 ……そういえば、この鉄格子だって倉庫にあった柵を改良して作ったんだっけ。

 懐かしいな。

 少し震える手で鉄格子の扉を開けた俺は、部屋の隅にいる彼女の元へと歩く。

 彼女はボサッとした黒髪の隙間からこちらをじーっと見ていた。

 いつも通りの、何も映さない瞳で。

 その瞳に思わず目を背けそうになるが、ぐっと堪えて彼女の目の前で立ち止まる。

 抵抗か何かされると思っていたが、彼女は動かない。

 ただ呆然とこちらを見る彼女の事を目に焼き付けながら一度軽く深呼吸をして、バットを痛いほど強く握った。



 そして――




 侑希、ごめん。どうか、こんな身勝手な俺は許してくれ。








 ********







 とにかく、一心不乱だったと思う。

 いつの間にか手に握っていたバットが真っ赤に染まっていた。

 滴り落ちる赤い液体が、ボタッと床へと垂れる。

 ふと彼女の方へと目を向けると、そこにはもう誰もいなかった。

 あるのは彼女だったであろう首の飛んだ肉塊だけ。



 ……とうとう俺は侑希を殺した。

 バットを伝って腕に垂れてくる彼女の血の生暖かさがそう実感させる。

 最早……涙すら出ない。

 ただただ、この現実が受け入れられなかった。

 あれだけ愛していたのに……俺は自ら手にかけてしまった。

 その事実を目の当たりにして、絶望が俺の心を蝕んでいく。

 もう限界だった。



 血塗られたバッドを持ったまま、フラフラとした足取りで彼女の部屋を後にして、階段を降りていく。

 そして、そのまま玄関へと向かっていった。


 ガチャッとドアを開け、外に出る。

 余りにも眩しい日差しに俺は「ウッ」と顔をしかめた。

 眩しさに慣れ、俺はゆっくりと目を開ける。

 そこには腹立たしくなるほどの青空が広がっていた。

 俺はそこら辺に捨てるようにバットを放り投げる。



 さぁ、ゾンビたちよ、来い。



 何も無くなった俺は両手を広げ、奴らを待ち構える。

 だが、いつもはうじゃうじゃいるはずのゾンビたちが今日は一向に現れない。

 こういう時に限って奴らは来やしない。


 俺は小さく「クッソ」と吐き捨てる。






 そんな俺の背中目掛けて一体のゾンビが走ってきているのすら知らずに。






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8月16日、天気はゾンビ 御厨カイト @mikuriya777

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