野球狂の訴え

蟹場たらば

ファンの語源は狂信者《ファナティック》

「なんであんなことをしたんだ?」


「…………」


「彼と何か接点があるのか?」


「…………」


「それとも誰でもよかったのか?」


「…………」


「誰でもよかったってことはないよな。わざわざ練習場に忍び込んだくらいなんだから」


「…………」


天王寺てんのうじ君に恨みがあったのか?」


「…………」


「じゃあ、野球部にか? それとも銀山ぎんざん高校そのものにか?」


「…………」


「何か事情があるんだったら話してくれよ」


「…………」


「このままだと、単なる頭のおかしな人扱いで終わりだぞ。被害者や銀山高校に言ってやりたいことはないのか? 俺たち警察や世間には?」


「……彼は」


「うん?」


「彼はどうなりましたか?」


「気になるのか?」


「はい」


「容態を教えたら、取調べに協力してくれるか?」


「……はい」


「軽い頭部打撲だよ。全治約二週間だそうだ」


「それだけですか?」


「ああ、命に別条はないよ。意識もはっきりしてるしな」


「後遺症は?」


「そっちも特には見つかってない。肉体的にも精神的にもな」


「本当に?」


「凶器が金槌だったら危なかったそうだけどな。木槌だったのが不幸中の幸いだった。おかげで、後頭部を殴られたとはいえ、重症にならずに済んだんだ」


「それじゃあ、明日の試合はどうなるんですか?」


「怪我した場所が場所だからな。大事を取って欠場するそうだ」


「欠場……」


「中で血が溜まったりして、頭の怪我は遅れて悪化することがあるからな。経過を見るために、しばらく入院することになったんだよ」


「そうですか……」


「今、ホッとしたか?」


「…………」


「やっぱり天王寺君に恨みがあったのか? それで試合前に襲ったのか?」


「…………」


「容態を教えたら、質問に答えてくれるって約束したじゃないか」


「…………」


「なんであんなことをしたんだ?」


「……刑事さんは野球はお好きですか?」


「最近は全然だけど、ガキの頃は結構な野球少年だったからなぁ。今でもたまにプロ野球は見るよ」


「高校野球は?」


「スポーツニュースを見るくらいかな。警察はなかなかお盆に休みを取れないから」


「じゃあ、天王寺がどんな選手か知ってますか?」


「詳しいことは知らないが、いいピッチャーだとは聞いてるよ。地方大会では大活躍だったとか」


「そうなんですよ。銀山高校は彼一人の力で甲子園に来たようなものですからね」


「そんなにすごいのか?」


「こういう言い方は他の選手たちに悪いですけど、銀山高校ははっきり言って弱小校です。地方大会では、相手のミスを含めてなんとか一点を取って、それを天王寺が守り切って勝つという展開ばかりだったくらいですから」


「それは大したもんだなぁ」


「同世代と比べると頭二つ三つ抜けてますよ。それくらい圧倒的なピッチングをするんです」


「じゃあ、やっぱり甲子園でも優勝候補なのか?」


「……それはどうでしょうか」


「何か気がかりでもあるのか?」


「いくら天王寺が優秀でも、疲労の問題がありますからね」


「ああ、最近の夏は暑いもんなぁ」


「猛暑日の日数が、五十年前の2、3倍になった地域もあるそうですよ」


「へぇ、そんなに」


「一応他の高校は、相手チームの前評判や試合展開を見て、二番手、三番手のピッチャーに投げさせて、エースを休ませたりしてますけどね。銀山高校は天王寺のワンマンだから、地方大会からずっと一人で投げていて。おそらく甲子園でもそうなるでしょう」


「でも、最近は暑さ対策をしてるんじゃなかったか?」


「クーリングタイムのことですか? 五回が終わったら休憩時間を取るっていう」


「そうそう、クーリングタイムだ」


「まぁ、それでも体調不良を訴える選手が何人も出てるのが現状ですけどね」


「なんだ、あんまり効果がなかったんだな」


「他にも涼しい朝と夕方にだけ試合をするという案もあったようです。観客の入れ替えが大変だとかで、結局見送りになったみたいですけどね」


「それなら、大会の時期をずらすっていうのはどうだ?」


「全国の学校が集まれるのは夏休みくらいですからね。春休みにはすでに春の甲子園がありますし」


「冬休みは? サッカーやラグビーは冬に大会やってるよな?」


「野球はルールで冬場の対外試合が禁止されているんですよ。動きの少ないスポーツで、寒い時期は特に体が冷えやすいですから。その状態で急に激しいプレーをすると、それはそれで怪我に繋がってしまうということで」


「そうか、そういう違いがあるのか」


「あとは屋根のない甲子園じゃなくて、冷房の効いたドーム球場でやるって案もよく挙がりますけど……」


「みんな甲子園でやりたがるんじゃないか?」


「実際、球児を対象にしたアンケートでは、そういう結果が出てるみたいです」


「高校野球といったら甲子園だもんなぁ」


「『教育が目的なんだから、球児の希望よりも安全を優先すべきだ』という意見もあります。けれど、『具体的にはどこのドームでやるつもりなんだ』って反論もあります。甲子園ってそもそもは高校野球のために建設された球場ですからね」


「えっ、そうなのか?」


「それで今も高校野球文化を守るために、プロには別会場で試合をしてもらったり、高野連から使用料を取らなかったり、そういう配慮の上で球場を貸しているんだそうですよ」


「金が絡んでるのか。それじゃあ、尚更変えるのは難しいよな」


「それに仮にドーム開催になったとしてもまだ問題は残ります。天王寺みたいなワンマンチームのエースはどうしても球数が多くなりますから」


「涼しくても、結局投げ過ぎで疲れちまうってことか」


「ええ、そうです。プロのピッチャーは、ローテーションで一週間に一度投げるだけで、それも六、七回で交代することがほとんどです。一方、高校野球は短期間の内に何度も九回完投することが珍しくありませんからね」


「そういえばそうだな。なんなら延長になっても交代しないしな」


「これについても、一試合で100球投げたら強制的に交代にするとか、一試合を九回ではなく七回に短縮するとか、いくつか改善案は出てますけどね。どれも導入には至っていません」


「それはどうしてなんだ?」


「理由はいろいろ言われてますよ。いい投手を揃えられる強豪校が有利になり過ぎるとか、大半の選手は高校で引退するから燃え尽きるまで投げられるようにしてほしいとか。

 ただ一番ネックになってるのは、今までとルールが変わり過ぎるってことじゃないですかね。高校野球はただの学生の大会とは言えないくらい人気や注目度が高いですから、いきなりドラスティックな改革をするのは難しいんだと思います」


「確かに、テレビで全試合が中継されたり、特番が放送されたり、よく考えると普通じゃないよな」


「だから、改革に頑なに反対したり、逆に急激な改革を求めたり、過度な反応をする人も出てくるんでしょうね」


「なるほどね。俺はめったに見ないから、そんなもんだとしか思ってなかったよ」


「でも、まぁ、気になるのはそれくらいですよ。天王寺の敵は、本当に疲労だけだと思います。まさに超高校級のピッチャーですから。甲子園優勝は難しくてもプロ入りは、いえプロ入り後の活躍は間違いないでしょう」


「それは楽しみだなぁ。プロの方では今度こそ優勝したりしてな」


「それどころか、日本人初のサイ・ヤング賞だって狙えるはずです」


「サイ・ヤング賞ってなんだったかな」


「サイ・ヤングというのは昔の名投手で、それにちなんでメジャーでシーズンナンバー1の投手に与えられる賞がサイ・ヤング賞です。受賞者は記者の投票で決まるんですが、日本人選手は今のところ2位が最高なんですよ」


「それじゃあ、可能性はありそうなわけか」


「僕は天王寺なら九分九厘取ると思ってますよ。なんなら複数回受賞だってありえるかも」


「随分彼のことを評価してるんだな」


「僕だけじゃないですよ。他の野球ファンもプロの選手も、野球を知ってる人はみんな同じようなこと言ってます。御仁田おにただって褒めてるくらいですしね」


「御仁田って、あの口の悪い?」


「そうです。〝鬼神〟御仁田です。『俺よりも才能はある』って大絶賛してましたよ」


「『才能』って言い方がらしいな」


「他にも、200勝投手の鷹村たかむらとか、メジャーで3割30本打ったしまとか。現役選手だと〝AIキャッチャー〟の陣内じんないとか……」


「懐かしいなぁ、鷹村。あんたなんか世代じゃないんじゃないか? よく知ってるな」


「名投手ですからね。ネットに好投シーンを集めた動画なんかが上がってますし」


「高校野球ファンかと思ったけど、プロもなんだな」


「もともとプロ野球が好きで、そこから高校野球もチェックするようになったって感じなので」


「どこのチームのファンなんだ?」


「具体的にどこのと言われると難しいんですが……」


「チームが好きっていうより、野球自体が好きな感じか?」


「そうですね。だから、いろんな球団の試合を見ますよ」


「なんとか賞がどうこう言ってたけど、やっぱりメジャーも見るのか?」


「サイ・ヤング賞ですね。見るには見ますよ。身贔屓でどうしても日本人選手の試合が中心になっちゃってますけど」


「本当に野球が好きなんだなぁ」


「ええ、まぁ」


「好きになったきっかけとかあるのか?」


「……刑事さんと一緒ですよ」


「昔は野球をやってたってことか?」


「まぁ、そうです」


「俺は中学で剣道に鞍替えしたんだ。警察目指すならそっちの方がいいと思って。あんたは?」


「僕は高校までですね」


「へー、高校球児だったんだな」


「そういうことになりますね」


「ポジションはどこだったんだ?」


「ピッチャーです」


「もしかして、エースだったりしたのか?」


「一応は」


「すごいじゃないか。俺なんか下手くそでピッチャーやらせてもらえなかったから羨ましいよ」


「僕も似たようなものですよ。肩を壊したせいで、三年の夏はファーストのやつと交代交代で投げてましたから」


「そうか、それは残念だったな」


「別に大したことじゃないですよ。エースといっても弱小校で一番ってだけですからね。甲子園に行けるだとか、プロになれるだとかなんて、もともと思ったこともなかったです」


「でも、なりたかったことはなりたかったんだろう?」


「……ええ、そうですね」


「それに、甲子園にも行きたかった」


「……そうですね。それはそうです」


「なら、天王寺君の気持ちも分かるんじゃないか?」


「…………」


「まだ一回戦も済んでないんだ。このまま負けたら、天王寺君は一度も甲子園でプレーしないまま帰ることになっちまうぞ」


「…………」


「話を聞くかぎり、彼の才能を評価してるんだろう。なんで襲ったりしたんだ?」


「…………」


「自分はダメだったのに、天王寺君が活躍するのが妬ましかったのか?」


「…………」


「それとも、天王寺君以外に応援してる選手でもいるのか?」


「…………」


「約束だろ。質問には答えてくれよ」


「……天王寺のファンだからですよ」


「ファンだから?」


「ええ、そうです」


「よく分からないな。どういうことなんだ?」


「…………」


「自分のことを覚えてほしくてやったってことか?」


「まさか。頭のおかしなアイドルファンじゃあるまいし」


「天王寺君のピッチングを自分だけのものにしたかったのか?」


「それなら頭じゃなくて肩や肘を狙いますよ」


「彼の活躍を目立たせるために、あえてピンチに追い込んだのか?」


「今のはなかなか面白いですね。全然違いますけど」


「だったら、どうして?」


「天王寺に負けてほしかったんですよ」


「ファンなのにか?」


「ファンだからこそですよ」


「普通、好きな選手には勝ってほしいものじゃないか?」


「それは時と場合によるでしょう」


「そうかな?」


「そうですよ」


「あんたはどんな時に負けてほしいんだ?」


「さっき地方大会を一人で投げ勝ってきたから、天王寺は疲労が溜まってるって話をしましたよね」


「それが?」


「甲子園でも勝ち続けたせいで、サイ・ヤング賞を取る前に肩を壊したら困るじゃないですか」




(了)

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