ここではない、何処かへ

 「……ゴメンね、私が願っちゃったから。家に帰りたくない――ここじゃない何処かへ――なんて」


 目まぐるしくテンションの高低が変化するまよいは、泣きそうな顔で呟いた。

 きっとそれだけメンタルも不安定になってしまっているのだろう。

 彼女の抱える悩みは、家庭の問題に起因している。

 ご近所の昔馴染みとはいえ、深入りするのは筋違いとも言えるし、横から僕が口を出したところで良い結果に結びつくとは思えなかった。

 アドバイスをしたり、相談に乗ることはやぶさかではないものの、最終的に向き合わなければならないのは、まよい自身なのだ。


 であれば。

 僕に出来ることなど決まっている。


 「……あんまり気にするなよ、僕だって思ってたから。クソつまんない現実にウンザリして、逃げ出したかったのは事実だ。何もお前だけのせいじゃない。家庭の話に首を突っ込むつもりはないけど――愚痴くらいにはいくらでも付き合うさ。家にいるのが気まずいってんなら、門限ギリギリまで一緒にいてやるし――望むなら何処へでも連れて行こうじゃないか。僕は銀の靴――なんだろ?」


 駅員さんの言っていた帰る方法。

 それはきっと、至って単純なのだ。

 駅へ連れてきた張本人、まよいの心の持ちよう。

 彼女が元の世界へ戻りたいと願いさえすれば――


 「自分で言うのもアレだけど……私、結構面倒くさいよ?」

 「知ってる」

 「割と口は悪いし、ワガママだし、重めのメッセージ連投しちゃうかもだし」

 「……お手柔らかにな」

 「でも――うん、トーくんがそう言ってくれるなら――」


 まよいは涙ぐみながらゆっくりと立ち上がり――

 ――かかとを三回、打ち鳴らした。



 駅員さんは僕らの顔を、正確にはまよいの顔を見て何かを確信した様子だった。

 とはいえ、顔の大半は重装備に覆われているため定かではない。

 目は口ほどにものを言う。ゆっくりと細められた双眸が何よりも雄弁に物語っていた。


 「――どうやら、心を覆っていた迷いは無くなったようですね」


 駅員さんが穏やかにそう口にすると、まよいは真っすぐな瞳で答える。


 「はい。まだまだ問題は山積みなんですけど――少なくても頭を悩ませる場所は『ここ』じゃないって気づきました。これからも、きっといっぱい迷います。遠回りして途方に暮れて――それでもいつかは、きっと」


 彼女の発言を聞き届けた駅員さんは、肩から下げたカバンをゴソゴソと漁り始めた。やがて切符を一枚ずつ手渡してくる。

 一般的な切符と変わりのない大きさではあるものの、両面が真っ黒で何も書かれていない。

 少しばかり不穏なビジュアルではあったが、不思議と不安は顔を覗かせなかった。


 「――間もなく電車が参ります。お気をつけて――少し寂しいですが、もう二度とお会いしなことを願っていますよ」

 「ありがとう御座います……お世話になりました。あのお婆さんにも、伝えておいて頂けますか」


 まよいの言葉に、駅員さんは緩やかに頷いてくれた。

 程なくして、僕たちが降りたホームとは逆方向、改札に近い線路に電車がやって来た。

 他には乗客が一切乗っていない車両に乗り込んで、座席に座る。

 緩やかに動き出した電車の振動によって意識が遠のき、僕とまよいはどちらともなく眠りに落ちていくのだった。



 耳馴染みのあるアナウンスで僕は目を覚ました。

 程よい混雑具合の光景が目に飛び込んできて、人目を憚らずガッツポーズをしそうになるが、もう少しの辛抱だ。せめて電車を降りた後でなければ、SNSで晒されかねない。

 無事に帰って来られたことに安堵し、僕の肩にもたれ掛かって寝息を立てているまよいを起こす。

 彼女もまた見慣れた光景に安心したのと同時に、帰宅の文字がチラついたのであろう、表情が少し曇る。


 父親のこと。

 義母のこと。

 自らをドロシーと称したまよいが、本当の意味で自分の家へ帰ることが出来るようになるのは、いつになるのか。

 

 迷って、彷徨って。遠回りして、途方に暮れて。

 また歩き出して。

 まよいなら、自分なりの答えを導き出せると信じている。

 納得でも、妥協でも、はたまた別の何かでも。

 ロクでもない僕に出来る手助けなど微々たるものかもしれない。

 ――それでも。


 最寄りの駅に到着したことを報せるアナウンスが響く。

 僕はまよいの手を強引に引っ張って、電車を降りる。


 「――言っただろ、お前が望むならいつでも何処へでも――まあ、今日みたいなホラー展開は勘弁してもらいたいが――連れていくさ――」


 ――ここではない、何処かへ。

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エレホン・ステーション くだまき @kuda-maki

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