銀の靴
僕らはホームのベンチに座り、黙り込んだままじっと線路を見つめていた。
やがてまよいが、ポツポツと話し始める。
「――今まで疎遠になってたから、トーくんが何処まで知ってるか分かんないけど……私が中学の頃、お母さんが事故で亡くなったのは知ってる?」
「……ああ、線香を上げに行ったのは覚えてる……。でもお前とは話さずじまいだったな」
家も近所で、彼女の母親についても知らない間柄ではなかった。
線香を上げに足を運んだのは事実だけれど、打ちひしがれるまよいを目にし、掛ける言葉を見つけられなかった僕は、逃げるように立ち去ったのも薄っすらと記憶している。
――今にして思えば、それも疎遠になった切っ掛けの一つなのかもしれない。
時間差で自分の不甲斐なさを目の当たりにして、僕は胃の辺りが重くなるのを感じていた。
「――でね、高校に入る前くらいかな。お父さんが再婚したの」
「……そうだったのか」
初耳だった。
もしかしたら僕の両親などは知っていたのかもしれない。
敢えて話題に出さなかったのか、仮に話されていたとしても、僕自身が気に留めていなかっただけなのか。
「……もちろんお父さんだって、考えなしに再婚した訳じゃないんだよ。何度も何度も私と話し合ってね。でも当時の私は抜け殻みたいで――きっとまともに取り合ってなかったし、生活が変わるって認識も薄かったんだよね」
無理もないだろう。
母親が急に亡くなるだなんてショッキングな出来事、引きずるなという方が酷な話だ。
きっとまよいの父親も、数えきれないくらいの葛藤があったに違いない。
世間体に娘のメンタル、将来を見据えた選択に絶対の正解など存在しないとも言える。
再婚に対する大人と子供の尺度だってそうだ。
立場上は母親とはいえ、まよいにしてみれば血の繋がりのない赤の他人。
更に生々しく掘り下げていけば、既に思春期の真っ只中だった彼女にとって、肉親としてではなく、男として母親以外の女性を選んだという父親の姿に、全く嫌悪感を示さないはずはないだろう。
例え娘の為を思っての再婚だったとしても、付き纏う悪感情は拭い切れない。
「勘違いしないでほしいんだけど、私はお父さんもお義母さんも嫌いじゃないからね? 娘に軽蔑されるかもって理解した上でなお、男手一つで育てていくよりは母親って存在がいた方が良いって判断な訳だからさ」
「……ああ、そうだよな」
『嫌いじゃない』。
僅かばかりの含みがある言い方に、引っ掛からなかったと言えば嘘になる。
それでも話し続けるまよいの表情は穏やかに見えたし、無理に突っ込むのも不粋だと思った。
「お義母さん――良い人なんだよね、変に気を遣わないで親身になってくれて。本当の娘みたいに扱ってくれて――」
穏やかに。
話し続けていたまよいの口調が。
表情が。
不意に。
切り替わったのを感じた。
「でもね――だからこそ――私は自分が大嫌いになった」
首の錆び付いたアンドロイドを連想させる程にゆったりとした動作で、まよいが僕を見る。
笑顔。
楽しいでもない、嬉しいでもない、悲しいでもない笑み。
感情が欠落して空っぽの笑顔が、そこにはあった。
「……まよ……い」
「お父さんも、お義母さんも、本気で私のことを考えてくれてるのに……! 二人の気持ちが痛いほど分かるのに……! 心の何処かでお父さんを軽蔑してて、お義母さんとの間に壁を作って打ち解けようとしない……! 私はいつまで経っても、『あの家』に帰りたいって思えないの! 常に思ってる、常に考えてる――『ここではない何処かへ』行きたいって――! ねぇ、どうすれば良いの……? 私の帰る場所は、何処にあるの……?」
感情のダムが決壊し、ため込んだ涙が溢れ出ていく。
僕に縋りついて泣き叫ぶまよい。
掛ける言葉を見つけられないまま動き出せない僕は、彼女の母親が亡くなった時から何も変わっていないのだろう。
気づかなかった。
いや、気づかない振りをしていたのか。
記憶を遡ってみれば、コーヒーショップでのやり取りの中でも。
まよいの感情の揺れ動く兆しがあった。
稲葉燈也という人間は、呆れるほどに他人の感情の変化に疎いようだ。
僕も――こんな自分が大嫌いだよ。
どれくらいの時間が経っただろうか。
慣れない慰めの言葉を投げかけつつ、まよいを宥める僕の有様は、酷く不格好だったに違いない。
「――電車に乗る前にさ、シンデレラの話をしたの覚えてる?」
「ああ、門限に掛けた小粋なジョークのつもりだったんだが……よく分からん返しをしてきたよな」
「私はシンデレラよりも、ドロシーかなって言った」
そうだった。
渾身のネタをノータイムでレシーブされて、困惑したのは記憶に新しい。
「ドロシー? って何だっけ? 言われれば思い出す気がするんだよな」
「……不勉強だなぁ。『オズと魔法使い』の主人公でしょ。竜巻に巻き込まれて不思議の国に飛ばされたドロシーが、仲間たちと一緒に悪い魔法使いを倒して――自分の家に帰る物語。――心の底から『ただいま』って言える家を望んでる私にはピッタリかなって」
想像以上の重めな返答に、僕はまたもや閉口してしまう。
咄嗟に出たのは、我ながらどうかと思うレベルの軽口だった。
「じゃあ僕は相棒の犬かな? 愛らしいマスコットキャラには打ってつけだろ?」
「……空気が読めなくて人の心の機微には疎いし、頭も良くない上に臆病だし……ロボット、案山子、ライオンの一人三役で良い感じじゃない?」
「まさかの欲張りセットか……」
反論を試みたものの、どうにも的確過ぎる配役にぐうの音も出なかった。
僕のウィークポイントを的確に穿ってくる児童文学、恐ろしい。
「なんてね――本当は決まってるよ。ドロシーの魔法のアイテム――
「……そりゃ良かった――けどあれだな、まさかの生き物ですらないとは」
「え、こんな美少女に踏みつけられたら嬉しくない?」
「人に特殊性癖を付与しないでほしいな」
軽口を叩きつつ、僕は駅員さんの言葉を
まよいが家に帰りたくない理由。
心の底にある願望が、形を成して僕らを招いたのだと推測する。
駅員さんのあの言葉――つまりは帰る方法も、朧気ながら予想はついていた。
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