帰る方法
ザワザワと悪寒にも似た感覚が全身を走った。
思わずまよいをかばうようにして、僕はお婆さんと対峙する。
落ち着いた色のブラウスに身を包んでいて、綺麗に撫でつけられた真っ白な髪は上品さを感じる佇まい。痩せこけている程ではないが、単純な腕っぷしなら僕にも分がありそうに思えた。
警戒を解かないまま僕がお婆さんの出方を伺っていると、彼女は目を丸くして話し始める。
「おめさんら、なんでこんなとこにいんだ?」
所々に訛りにもにたイントネーションが散りばめられていて、完全には聞き取れないが、ニュアンスは何となく伝わった。
それと同時に、お婆さんの雰囲気から危害を加えられる可能性は低そうだとも判断し、警戒のレベルを一段下げることにした。
断言は出来ないものの、僕ら二人を心配する雰囲気にも似たものを感じ取ったからである。
拙いながらも、僕は駅にやって来るまでの流れを説明していく。
混乱する頭から捻り出した言葉が、上手く伝わるか不安はあったけれど、お婆さんは大仰に何度も何度も頷きながら話を聞いてくれていた。
やがて話が一通り終わたタイミングで、彼女は一転して怒りの形相になる。
僕とまよいを緩慢な動作で手招きすると、改札の方へずんずんと進んでいく。
さっきまで僕の話を優しく聞いてくれていたお婆さんは何処へやら、閉め切られた窓を乱暴に叩き出し、物凄い剣幕で捲し立て始めたのだ。先ほどとは比べ物にならないレベルで訛りがブレンドされていたため、もはや聞き取ることは困難で。
あまりの迫力に、僕とまよいは少し怖くなった。
しばらくして窓とカーテンが開き、駅員さんと思われる人が顔を出したのだが、僕はその風貌に一瞬息を呑んでしまう。
夏だというのに長袖、マスクにマフラー、帽子に手袋――ほとんど肌が隠された異常な外見。僅かながらに覗く素肌は、見間違いでなければ墨汁で塗りつぶされたかのように真っ黒だった。
インパクトのある見た目に僕とまよいが気圧されていると、駅員さんは拍子抜けするほど気さくに話し掛けてくる。
「いや、申し訳ありません。ここ数日徹夜続きで……仮眠のつもりが爆睡してしまいまして」
人間の肉声とはかけ離れた無機質な声質。しかし機械音声とも違う妙な温かみを宿した不思議さを纏っていた。
「先ほどのお婆ちゃんに大方の事情は聞きましたが――」
怒鳴っているだけだと思っていたが、どうやら僕らの事情を伝えてくれていたようである。
僕はお婆さんにお礼を言おうと、辺りを見渡す。
しかし影も形もなく、彼女は消えてしまっていた。
まよいも困惑しながら首を振っている。
あのお婆さんがいなければ、僕とまよいは立ち尽くしていたに違いない。
一言感謝の思いを伝えたかったが、仕方ないだろう。
僕は気を取り直して、駅員さんと話を始めた。
お婆さんを信用していない訳ではないが、伝達に
電車に乗り込んで早々に眠り込んでしまったこと――目が覚めたら乗客が消え、僕らしかいなくなっていたこと――走り続ける電車、身に覚えのない駅――降りるか否か迷ったこと――降りてからの出来事――等々を、出来る限り詳細に伝えていった。
「――なるほど。お話は分かりました。まず土壇場でのお二人の判断――この駅で降りるという選択は、決して間違いではありませんでしたよ。むしろこの先に行ってしまえば――おっと失礼。怖がらせるつもりはないんです」
僕とまよいは、思わず顔を見合わせた。
情報の洪水で溺死寸前のタイミングの中、突き付けられた究極の二択。
まよいの一声で動き出せたものの、僕一人だったら思考の海に沈んだまま、どうなっていたか分からない。
あのまま電車を降りなかった場合の未来についても聞いてみたい好奇心はあったけれど、怖いので深堀りするのはやめておこう。
「お二人にも分かりやすく説明するとですね――此処はあの世との境目、実在しない空間に佇む駅なんです。しかし通常であれば、一般人が迷い込んでくる事などあり得ないはずなんですが――」
駅員さんは言葉を切り、温度のない瞳で僕とまよいを交互にじっと見る。
そして数秒の後、ポツリと声を漏らした。
「――ああ、そうですか。理由はどうやら、そちらのお嬢さんにお有りのようですね」
「……え?」
思わず間抜けな声が口から零れ、僕はまよいに視線を向けた。
「――っ……!」
唇を固く結び、床の一点を見つめて震えているまよい。
みるみる内に顔が青くなっていき、あわや倒れそうになる彼女を、僕はギリギリのところで抱き止めた。
「――失礼、少し言葉選びが乱暴だったかもしれません。しかしこれがお二人の知りたがった真実に他ならない――私は只の駅員なので、とやかく言うつもりはありません。貴女なら――――帰る方法も何となくご理解されているのでは?」
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