第8話 アリガトウ
くさい、クサイ、臭い
大量の袋に入ったゴミに囲まれた空間の中、そんなことを考えながら目が覚める。
眠さを堪え、体を起こして、ふと横を見る。
髪はボサボサ、肌は荒れ荒れの下着姿の女がタオルを腹にかけて寝ている。
これが、僕、黒上雷也の母親だ。
だが、その横に父親はいない。
僕がお腹にいたころに、逃げたらしい。
母親の名前? 母親の名前は...忘れちゃった。
だけど、この母親について覚えていることがいくつかある。
1つはこの部屋の悪臭の一つということだ。
童謡では、お母さんの匂いは洗剤のいいにおいがするとか言っていたみたいだけれど、うちの母親の匂いはキツイ香水とゴミの生臭い匂いがブレンドされている。
2つ目は...
「はぁー、目ぇさめたわ...だる」
母親はさっき起きたばかりの隣にいる僕に目を向けると鬼のような形相をしながら怒鳴り始める。
「おい! メシは母親が起きる前までに作っとけって言ったよな! なにしてんだよ! 作れよ早く!」
そうして、僕の頬を殴る。
そう、2つ目は僕を怒鳴ったり、殴ることだ。
殴られた僕は倒れ、隣にあったテーブルに頭を勢いよく頭をぶつけた。
いたい、イタイ、痛い
だが僕は、そんな感情を押し殺し、キッチンへと向かう。
あのままあそこで痛みに悶えていれば追撃の暴行が加えられるからだ。
痛いのは避けたい、痛いのは・・・
「イタイのは・・・いやだょぉ」
僕の目から涙が流れ落ちる。
しかし、声は出さない。出さなければ、また殴られることは無いはずだ。
だが、そんな考えは裏切られる。
「おい、なに泣いてんだよ、早くメシ作れよ」
なんで? いつもならなにも言わないのに・・・
突然、いつもと違う反応をした母親に戸惑っていると横を漫画雑誌が通り抜ける。
どうやら母親が僕に向かって投げつけたようだ。
とにかく僕は頭の中が真っ白になって、何をすればいいのかわからなくなった。
けれど、頭のどこかでは無意識に何をすればいいのか分かっているようで、ふらふらとした歩調で冷蔵庫に向かう。
だけど、今思い出すと、わかっていたのではなく、“恐怖”と思い出される“痛み”によって生存本能がそれらを回避するために無理やり体を動かし、本来の目的を達成させようとしたのだろう。
そうして、冷蔵庫からいつ買ったかもわからない卵を取り出し目玉焼きにし、昨日の晩に炊いておいた1合の白米を鍋からお茶碗によそう。
そして、朝食をさっき頭をぶつけたテーブルにならべ、母親のもとにそのままテーブルごと移動させる。
母親は、ご飯を作った僕を一瞥し、ご飯を食べ始めた。
僕は部屋の端っこに行き、ただ正座して食べ終わるまで待機する。
え? 僕の分? 用意したのは一人分、つまり俺の分は、ない。
母親が食べ終わった。
僕は母親のもとへ駆け足で向かい、皿を下げようとする。
その時、母親は皿を近くに放り投げた。
俺は急いで取りに行く。
あぁ、さらサラ皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿怖い怖い痛いのこわい怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い痛いのこわい怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
僕は、脳内がぐちゃぐちゃになりながらも皿を取りに行こうと手と足で4足歩行しながら向かう。
すると、突然背中に鈍い衝撃がはしった。
僕は前のめりに倒れこむ。
背後の状況を確認しようと僅かに首を動かす。
そして目に入った光景は今でも鮮明に覚えている。
その光景とは、ガラスの灰皿を振り上げた母親の姿だった。
その後も幾度も幾度も、灰皿で殴られた。
時間で見ればものの数分だが、僕にはとても長く感じられた。
母親は怒りが収まったのか、はたまた、僕の姿を見て満足したのか、踵を返し、服を着替えて何も言わずに出て行った。
恐らく、外で怖い男たちと遊びにでも行くのだろう。
一回だけ、ドア越しでだが、怖い格好の男を見たことがある。
この家の玄関まで来た男たちは、つるつるの頭に、サングラスをして、金と白と黒色のジャージを着ていた。
ちなみに、母親は僕のことを隠したかったのか、こちら側の部屋から一切扉が開かないように、ドアの前に重い物を置いたり、ドア止めを置いていた。
だが、僕はドアの僅かな隙間から向こうの光景を見ていたのだった。
まあ、そんなことはどうでもいい。
とりあえず...ぼくは...
「ねよう」
そう言って再度睡眠を取ることにした。
普通は小学校って所に俺くらいの歳の子は通うそうだが、俺は...うちは普通じゃないから、そんな所には行っていない。
というか、外に出た記憶自体がない。
多分、物心付いていないときに行ったのが最後とかだろう。
まぁ、興味ないけど。
敷きっぱなしの布団に向かおうと立ち上がった俺は背中周辺に今までにない程の強烈な痛みを感じた。
これがいわゆる、骨折というものなのだろうか、僕はあまりの痛みに倒れこんだ。
そのまま、這いつくばりながら布団に向かおうとした僕は、チラッと見えたテーブルに普通は見ないような色が付着していることに気が付いた。
赤黒い色だ。
そう、まるで血のような色。
そして、あの場所は頭を打った部分だと思う。
試しにテーブルに打ち付けた後頭部を触ってみると、手のひらに鮮血が付着していた。
多分、ぶつかった際に頭の皮膚を切ったのだろう。
・・・僕はとりあえず、寝ていれば治ると信じて、痛い体を動かしてまで布団に行こうとするのを諦め、その場で眠ることにした。
ピンポーン
このアパートの各部屋に備え付けられたインターホンが鳴る。
誰だ? こんな時間に。
とりあえずは、どうでもいい。
なにがあっても来訪の対応を禁止されている。
なんなら、外に少しでも出ること自体禁止だ。
そうして、度重なるチャイムと呼び声を無視すること数分、相手は諦めたのか音がしなくなった。
僕はそれを確認し、気を抜いたその時、鼻がムズムズして盛大なくしゃみが出た。
その時だ、外から叫び声がした。
「今、中でくしゃみが聞こえなかったか?」
「ああ、聞こえた。 しかも、子供の声で」
「ということは、中にいるのか!」
「恐らくは!」
そうやって、外が騒がしくなっていき・・・
僕はその後、保護された。
そして、保護されて4年、僕は小学校3年生、今年で9歳になっていた。
僕がいるここは所謂、児童養護施設。
僕みたいに虐待に遭ったり、訳アリの子供が連れてこられる場所。
初め来たときは、僕はひどい状態だったそうで、大ケガ、栄養失調、そして何よりも精神的な傷が深かったそうだ。
たしかに、この施設に来た当初を思い出すと、肉体面では、体はあちこち痛く、骨が浮き出ていた。
精神面では、毎日あの殴れれる光景、怒号、痛みを思い出し、夜中に恐怖のあまり叫びだしていた。
さらに、当初は今以上にふさぎ込んでおり、どんな質問にも答えなかった。
まぁ、今もこの点についてはあまり変わってはいないが。
しかし、職員や周りのおかげもあってか、少しづつ心も体も“人間っぽさ”を取り戻してきたように思える。
余談だが、僕が保護された後、俺の母親は虐待がバレてしまい、逮捕されたそうな。
そして、あの日いつも以上に態度がおかしかったのは、付き合っている暴力団の男から借りた金の返済期限が近づいていたらしい。
また、あの日家を訪ね、僕を保護した人たち。彼らは児童相談所というところの職員で、たまたま今回、母親がいない時間に来たそうだ。
実際に職員から面と向かって言われたことではないが、近くで盗み聞きしていたから間違いない。
そんなこんなで4年間過ごしてきたわけだが、少しではあるが周りになじみ、優しい施設の人が優しくしてくれるこの場所が気に入っている。
明日でこの施設に来て5年だ。
施設にいる子はもちろん、この施設の大人たちには特に感謝している。
この施設には様々な子がいるが、俺には特に手を焼いたはずだ。
「本当にありがとう」と伝えたい。
まだ恥ずかしくてこの気持ちを伝えるには至っていないが、明日何かプレゼントを持ってこの気持ちを伝えよう。たしか、近くの公園の花とか綺麗だったな、明日、摘みにいこう。
そう決心し、布団の中で眠りについた。
「ここはどこ」
僕は広い草原、その中心の小高い場所にいた。
あたりを見回すととてもきれいな場所で、金のカーペットのように稲が生えている。
僕はその光景に見とれていた。
「綺麗だろう」
不意に男の人の声がかけられた。
誰だろう? と横を振り向くと鎧を着て、黄色いバンダナを頭に結んだおじさんがいた。
おじさんは“トール”っていう人らしい。
なんと神様だそうだ。
僕はゲームってやつの説明を聞いて、おじさんと契約を結んだ。
そして、契約をするとき、電気が僕を包み込んだ。
その時、強い痛みと痺れがしたんだけど、別のことも思ったんだ。
「なにこれ! 気持ち良い」ってね。
そして、これをプレゼントにしようって決めたんだ。
公園の花よりも良いじゃないか!
こんなに良いものは、皆に分けてあげなくちゃ。
前に、施設のエミちゃんにお菓子を分けてもらった時すごく嬉しかったんだ。
施設の人も嬉しいことは、皆に分けてあげなさいって言ってた。
だから、だから...
「みんな、本当に・・・アリガトウ!!!」
翌日、この施設から焼けた遺体がたくさん見つかったそうだ。
原因は、電球からの火災らしいが、本当の真実はいまだ不明なのだそう。
Resistance 月影闇心 @tukikageenshin
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