呼吸を合わせて
蒼桐大紀
*
予感があった。
踏み込みの直前、
『上しかありません』
姿勢制御AI
「たあぁぁぁーーーー!」
次の瞬間、寧音が先程までいた空間を気勢とともに
彼女は寧音と同じく体にフィットする濃紺の
竹刀が振り抜かれる。
寧音は空中で一回転して、間合いを取る。
この間にも紅那は寧音の着地を完璧にサポートする。スーツを介して最適な動きになるよう寧音の四肢の動きを誘導し、落下軌道を修正、接地圧と
『残り時間はまだあります。慎重に』
距離を取ることで多少の余裕ができたからだろう。紅那はひと言付け加えてきた。姿勢制御AIは自然言語を介する。名前通りに姿勢制御を補うのみならず、戦術の提案から軽口にも答えることができた。
(わかってる)
寧音は心中で応じ、正面に戻りつつある視界に相手の姿を捉えた。
指導教官だけあって
寧音が静かに着地した。
(さすが、
跳ねる心臓をなだめて寧音は相手を見据える。息を整える寧音に対し、鳴海は呼吸一つ乱れた様子もない。
体にまとわりつく熱を感じながら、寧音はヘルメットバイザーに表示された警告をにらむ。紅那は音声でも伝えてきた。
『試合の続行には問題はありませんが、脚部の排熱と冷却に一分三十七秒のインターバルが必要です』
身体強化服は全身の各所に仕込まれたパワーアシストギアの複合体だ。人間の筋肉の動きをそのまま拡張して人体に可能なあらゆる〝仕事〟を支えるが、いまの彼女達のようにときに体の限界を引き出す〝仕事〟においては機械として超えてはいけない一線がある。
人体の限界を超えるような強化を提供してはならない。
それは絶対の安全基準だった。
姿勢制御AIは
無理のある動きをしようとしても動ける限界が厳然として存在する。
そのため、身体強化服によって拡張された力を振るうには、その力をいかに使いこなすかが鍵となってくる。それがバイオニック・クロスアーツの基本であると同時に、バイオニック・クロスアーツを競技たらしめているゆえんだった。
身体強化服は医療分野における
当初は部分的にしか機能強化を行えなかったものが技術進化によって全身をフォローできるようになると、次第に選手が万全の状態で着装した際の力を競うことに目が向けられるようになる。
やがて身体強化を前提とした競技種目の選定がはじまると、拡張された力そのものを競うのではなく〝拡張された力をいかに使いこなすか〟を競うことが重要だと認識があらためられる。
この過程を経て、明確な勝負判定のルールがありそのルールを守る限りにおいては身体強化服によって拡張された運動機能を十分に発揮できる種目として剣道が注目された。
竹刀の安全性と勝敗を分かつ〝技〟の明快さ、選手への負担を考慮した短い試合時間などはほぼそのままバイオニック・クロスアーツのルールとして取り入れられている。この他では「試合時間五分の一本勝負」とよりシンプルにまとめられ、十八メートル四方の試合場においては多様な動きを許容するものとして身体強化服の機能を発揮できるようルールが整えられた。
そうして、二一一三年の国際バイオニック・クロスアーツ連盟結成から十年の時を経て、この競技は徐々に競技人口を増やしている。これは、男女間の身体能力の差異を身体強化服が埋め合わせた部分も大きいだろう。
寧音がバイオニック・クロスアーツをはじめたのは中学に入ってからすぐのことだ。彼女の通う中高一貫校は先進性を掲げるだけあって、新競技の導入にも熱心だった。物珍しさからバイオニック・クロスアーツ部に入った寧音だったが、気づけば誰よりも熱心にトレーニングへ打ち込むようになっていた。
しかし、寧音が高校二年生になり、選手として大きく成長しようとしていたとき、顧問の鳴海から姿勢制御AIを初期化するように指導を受けたのだった。
納得できなかった。
紅那と名付けた姿勢制御AIは寧音の動きのクセに対応し、戦術の幅にも広がりが望めるようになっていたからだ。寧音は初めて鳴海に反抗した。説明を求めても「いまの紅那は桜田の成長を妨げる存在でしかない」としか教えてくれない。
ならば、と寧音は鳴海に勝負を持ちかけた。
——私が勝ったら紅那の初期化を止めさせてください。
鳴海は澄んだ瞳を鋭くしたが、「それで桜田が納得するなら」と応じた。
かくして、夏真っ盛りの八月の早朝、新設されて間もない第二格技場で寧音は鳴海と対峙している。事前の打ち合わせ通り六人の部員は無言で見守るのみ。ただ審判AIを搭載した円筒型の汎用ロボットが忙しなく位置を変えていた。
『冷却完了まであと二十四秒です』
紅那は淡々と告げるが、寧音のほうは
目前に迫った竹刀をとらえて、寧音は決断した。自分の間合いに踏み込まれる手前でこちらから前に出る。負荷は
「やっ!」
「とうっ!」
気合いが交差し、竹刀が打ち鳴らされる。互いの力が強いため、
そのまま一進一退の攻防が続くかに思えたとき、ふいに鳴海が身を引いた。
『誘い込まれます。注意』
次の動きを予測した紅那が警告した。
(紅那、このままじゃあなた消されちゃうのよ)
しかし、寧音は警告を無視して鳴海の見せた隙に飛び込んだ。狙いは鳴海の胴、右脇腹。
「やあぁぁぁっ!」
(でも、ここから——!)
防がれるのはわかっていた。寧音は力が
その時だった。
鳴海は竹刀を自分の方へ引き寄せると、左足を
「えっ?!」
寧音が
審判AIが勝敗を告げる。
試合時間三分十一秒。鳴海の一本勝ちだった。
「あの一撃は見事だったよ、桜田」
互いに礼をしてヘルメットを脱ぐと、鳴海は意外な言葉を口にした。ショートにそろえた前髪から覗く、湖水のような光をたたえた瞳が寧音を見つめている。
「ありがとうございます。ですが、スーツの方が……」
寧音は熱のこもった髪を払いつつ、薄く白煙を上げる体を見下ろした。彼女の身体強化服は一部の機構がオーバーヒートを起こしていた。紅那も熱処理に対応するため待機状態になっている。
「いや、それでいいんだ。桜田、君は姿勢制御AIをこの部で誰よりも上手く使いこなしている。だがその反面でAIの提案を素直に呑みすぎるんだ。装具をいたわりすぎていると言ってもいい」
「でも、バイオニック・クロスアーツの理念は『拡張された力をいかに使いこなすか』ですから、勢いのまま力を振るって装具を壊してしまうわけにはいきません」
鳴海は苦笑した。
「そう。だけど勢いも同じくらい大切なんだよ。私は桜田が紅那と呼吸を合わせることにとらわれすぎて、勢いを殺してしまっていると感じていたんだ。でも、この様子ならもう大丈夫だね」
「じゃあ、紅那の初期化は……」
「ああ。それは、そうでも言わなければ桜田はなりふり構わないようにならないと思ったからだよ。試合はこっちから持ちかけるつもりだったんだけど」
鳴海が手を差し伸べた。
「良くも悪くも君には紅那の存在が欠かせないようだ」
「はい」
寧音はうなずくと鳴海の手を握り返した。ゆっくりと立ち上がり、寧音は静かな闘志を宿したまなざしで鳴海を見つめる。
「先生」
「ん」
「またお手合わせ願います」
二人の足元に置かれたヘルメットの中で、紅那の声が人知れず響いた。
『次は勝ちましょう』
それは弾む寧音の呼吸と重なる明るい声だった。
呼吸を合わせて 蒼桐大紀 @aogiritaiki
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