『考えなくてもいいことに悩まされる―生きる意味とは?―』
小田舵木
『考えなくてもいいことに悩まされる―生きる意味とは?―』
なあ。君。君の人生は満たされたものだろうか?
俺?俺の人生は空虚なものさ。
大体さ。人間の生きる意味って何なんだろうな?
俺は暇なもんでこういう問題をよく考えるが。
その答えはいくら経っても出てきはしない。
食って寝て性交でもしてれば人生は満たされる。
これはある種の真理だが。俺はこのどれをしても、よく分からない空虚感に
そういう事もしていても、なお俺は問う。
人生に意味などあるのだろうかと。ただ、俺は動物的欲求を満たしているだけなのではないかと。
動物的欲求。遺伝子に刷り込まれた自己保存本能。そんなモノに俺達は駆動させられている。
これを思うと情けなくなってこないか?
かと言って。俺は宗教の
宗教なんて。自己啓発とイデオロギーの組み合わせでしかない。
あいつらの究極目的も結局は自己保存的な動物的欲求に行き着いていると思うのだ。
◆
人生に意味を与えよ。
いつから俺はそんな問題に関わる羽目になったのか?
考えてみるが。それは道徳の授業か創作物で見つけちまったように思う。
より善き人生を生きよ。
善きってなんだ?お前にとってか?俺にとってか?
善き、って言葉が悪い。
善悪。それは道徳的概念である。そして道徳とは人間社会を保全する為のお題目でしかない。
善き人間が
かと言って。俺は悪、動物的欲求の権化にもなりきれない。
道徳教育の賜物である。
人に迷惑をかけるな。迷惑をかけない限りはお前の人生の自由が保証される。
自由。俺は自由だ。今のところ。
それは日本という比較的マシな国家に産まれたお陰なのかも知れない。
俺は何を考えてようが、働いてなかろうが。犯罪を犯さない限りは自由を保証される。
だが。俺の人生には意味がない。
いっその事、日本ではなく、もっと不自由な国家に生まれるべきだったのかも知れない。
そこでどうしようもない理由で人生を決めつけられた方が楽だったのかも知れない。
だって。そこでは俺はこの人生の難問にぶち当たらずに済むのだ。
どうしようもない理由で自由を制限されていれば。
人生の意味を見つけられない自分を恨まずに済むのかも知れない。
◆
そう。俺は自分の人生に意味を見つかられない事に腹を立てているのだ。
なんとも情けない話ではある。
他のみんなはどうしているのだろうか?
ウチの親なんかは―「生きる為に日々を生きる」なんて
こう言われると俺は反論できなくなる。彼らには問がないのだ。
人生の意義、意味とはなにか?という問が。
問なんて。持たないほうが幸せなのかも知れない。
人生の意味を問い続ける人生なんて幸せなもんじゃない。
それは苦しい事だから。自らを否定することに繋がるから。
そう。人生を問うという事は自らを否定する行為なのだ。
自らをできるだけ客観的に考えて。自分には意味があるのか?と問う。
そんなモン。出てくるはずがない。最初から負ける事が決まっている問なのだ。
あーあ。死んでしまいたくなる。
俺の人生にはとことん意味がない。
そんな事当たり前なのかも知れないが。俺は意味ある人生を望むようにインプットされてしまっている。
◆
どうして俺はこんなに空虚で意味のない人生を送っているのか?
責任者を呼べ、説教したる…と思うが。
俺の人生の責任者は俺である。当たり前だけど。
俺の人生を決められるのは俺だけだ。
うん。これも確認するほどの話じゃない。
だが、俺はどうにも頭が悪いらしい。俺の人生を決めかねているのだ。
どうにも人生の意味が見つからないと。
人生に意味があれば。俺はもっと生産的な人生を送るだろうか?
ふと考える生産性ゼロの俺。
だが。俺はどうせ。人生の意味を見つけたとしても、そこから、なお問うだろう。
俺の人生の意味。これで良いのだろうか?と。
ああ。クソ面倒臭い精神に生まれた事を呪いたい。
◆
面倒臭い精神。コレは生まれつきのモノなのだろうか?
いいや。そうじゃない。俺は後天的にこの面倒な精神を身につけた。
俺は中学2年の時に読書に目覚め。そこから学校をサボってまで本を読み進めた。
一日10時間近く読書をしていたこともある。
そんな俺は書を師匠として思春期を過ごし。書を友として思春期を過ごした。
結果がこれだ。
人生の意味を問いたい病に
とりあえず本でも処方してみるが―無駄である。長い読書人生で身につけた疑り深さが薬を無駄にする。
俺はこういう他人からしてみれば、どうでもいいような問に悩まされているから、人生を棒に振る…
うん。そうなのだ。俺は思う。人生の意味なんて問わなければ、そこそこ幸せな人生を送っていたのではなかろうか。
チャンスはいくらでもあった。だが。俺はチャンスの度に問うてしまった。
人生の意味とは何か?を。
◆
チャンスを不意にしてしまう人生。それが俺の人生。
だが。俺は別に特段不幸な人間ではない。人生に意味を求められない事を除いては。
俺は案外
人に愛されない人間ではなかった。親からも、友人からも多くの愛を与えられて生きてきた。
だのに。俺はそんな幸せの中に居ようがが問うてしまう。
人生の意味とは何か?を。そんな事、幸せの中に居たら問う必要はないのにさ。
うん。分かってるんだ。人生とは何か?という問を起こさなければ。俺の人生は適当な彩りがあることを。
俺は。贅沢者なのかも知れない。
他人が考えずに済ませていることを考えてしまう贅沢者。
コイツは―罪だぜ。強欲が過ぎる。
強欲な者は罰せられる。俺は人生の意味を問う病という罰を課されている。
◆
俺は文章を書き連ねている。これは思考の整理の為でもあるし、ある種趣味でもある。
そう。文章を書いている時の俺は楽しい。それをしていれば人生の意味を問うという病から開放される…気がする。
だのに。今日は。
これを書き上げたら投稿するが。こんなモン誰が読むというのか?
それを思うと胸が苦しくなる。
俺は自己満足の為に文章を書いているが―その一方、誰かに読んでもらいたいと切に願っている。
俺は空に向かって一人喋る。それはエッセイと言う形を取る。
これが誰かに届くと良いな。俺はそう願っている。
俺は孤独に生きる
友の居ない人生なんて。彩りがないように思えてしまうのだ。
友がいれば。人生に意味があるだろうか?
…分からない。だが。俺は友を俺の問題に巻き込みたくない、と一瞬思ってしまう。
俺がどんなに空虚な人間でも。友には必ず意味がある。
それは俺が友自身ではないから言える事だ。俺は他人には意味を見つけてやれる。
俺なんかに意味をつけられたくはないだろうが、俺は友にただ、生きていて欲しい。俺のような意味のない問に関わらせたくない。
俺は俺だから。人生の問という難問にぶつかっているのかも知れない。
一見、意味のない言質。だが。ここには自我というどうしようもない問題が転がっている。
俺は俺自身から出られないから。自分を認めてやれないのかも知れない。
俺は自分が嫌いだ。動物的本能に満たされた自分が嫌いだ。
これはうつという病に
俺は人に迷惑をかける厄介さん。今までも色んな人に迷惑をかけて生きてきた。
俺はその度に自己嫌悪に陥るが。ちょっとしたら、そんな事もすぐ忘れちまい。また他人に迷惑をかけて生きている。
俺は自分が嫌いな割には開き直りの達人である。
ま、いっか。死ぬわけでなし。
これで多くの問題を水に流してきた。ホント、鬱陶しいヤツそのもので嫌気がさしてくる。
◆
自己嫌悪。
これをしていれば、俺は人から許されると思っているフシがある。
俺は俺が嫌いです。俺には価値がありません。さあ、俺は自分の問題を
…コレ。客観的に書き出すとなんと傲慢な事をしているのだろうと思う。
問題は文の後半。『俺は自分の問題を真摯に認めている。だから軽蔑するなかれ。』、ここに重大な問題がある。俺は自分の醜さを自覚している。だからお前なんぞより高尚だ。そんな意図が透いて見える。
俺は高尚な人間ぶる悪癖がある訳だ。大した人間でもないくせに。
その上、その自己欺瞞に気付いていますよってポーズまで取ろうとしている。
ああ。なんと醜い。俺は泥沼にハマりつつある。
◆
泥沼思考。
俺はよくこの泥沼で溺れている。
例えば人生の意味とは何か?
例えば俺は自己嫌悪を客観的に把握している…だとか色々。
俺はこの泥沼にいる限りは自由になれないし、自己を愛せない。
そして。自己を愛せない者は不幸である。
健全な自己愛は人生には必須。これは自明の事実だが。
俺は自己を愛せそうにない。人生の意味を見つけきれないからだ。
堂々巡りする思考。俺はグルグルと己の
ああ。大した人生じゃないのに。
どうしてこうも悩まなければならないのか?
俺は思う。フィクションの登場人物A…俗に言うモブキャラみたいな人生なのに、どうしてこうも主役級の苦悩を背負っているのかと。
俺は自己を背負って山を登っている気分だ。その自己はあまりにも重い。
俺はコイツを手放してみたくなるのだが。自己を手放したら。俺ではなくなってしまう。
俺は自分が嫌いな癖に自己を手放すのは惜しいのだ。
◆
自己を手放す。
俺は自殺を考えた事が幾度かある。病んでいるのだ。
自殺を考える度にクローゼットにしまったロープと睡眠薬を取り出す。
そしてその前で考え込んでしまうのだ。そして、結局はそいつらを片付ける羽目になる。
俺は自殺を考える時。死ぬ瞬間の事は考えられない。その後の事を妄想してしまう。
首を吊った俺が自室で発見され。親がそれを見て悲鳴をあげる。
その後、
遠くにいる友人も何故か式に参列してる。
そのシーンの中の登場人物の心理を思うと自殺に踏み切れない。
俺は…周りに居る人間たちの事を愛している。改めて言うと恥ずかしい事だが。
愛しているからこそ。俺は俺をないがしろに出来ない。
俺という人間のピースが世界から失われた時。彼らにどんな傷を負わせてしまうか?そう思うと恐ろしくなる。
こんな事を言うと。
お前は自己愛が強いんだよ、結局は。
とか言われそうだが。人の死は―どんなヤツの死だって大きな傷を残していくものなのだ。俺はそんな経験がある。
知人が自殺している。俺はその知人が嫌いだったし、その知人も俺の事が嫌いだった。彼が自殺する前には和解できたが。
かの知人の自殺は10年も前だが。俺は折に触れて彼の死を思い出す。
彼の死は俺に重大な影響を与えた。俺はある意味、彼のせいで自殺が出来ない。
彼が棺桶に収まった絵は強烈だった。
ほんの半年前まで彼と喧嘩をしていたのに。彼は首に跡をつけて棺桶に収まっている…ああ、人間とは無常だと思ったものだ。
俺は自分の死に姿がどうにも想像できない。だから死を
◆
俺の未来はどうなるか?
これはみなさんもよく考えるだろう。俺もよく考える。
…まずは就職しなければならない。それは分かっているのだが。
俺は度重なるうつでの辞職のせいで自信を失っている。いつ、またうつが炸裂するか考えると恐ろしくなる。
うつ。それは俺に課された
…一応言っておくと、うつは脳の機能障害。ニューロンの働きが落ちる事で起きる疾患である。決して気の持ちようでどうにかなる問題ではない。
だが。俺がこの病気に
俺は自分の人生を問い続けた。そしてうつの診断を下された。脳の器質が変化してしまったのだ。
俺がもっと楽天的な人間だったら。この病気には罹らなかっただろうか?
この可能性を考えると、俺はなんとも言えない気分になる。
うつではない俺。それはどんな人生なのだろうか?
うつという思考空間に入った俺はそれをうまく想像できない。
うつに支配される人生。コイツは不幸だ。
だから俺は病院に通う。そしてニューロンの働きを補助する薬を貰って、なんとかうつを遠ざける。
だが。そいつは俺の背中の辺りにしがみついて離れない。
俺の未来はうつと共にある。
未来は暗い。俺の未来は暗い。
だが。俺は自殺というカードを切ることは出来ない。さっき話した通り。
では?どうすれば良いのか?
◆
―緩慢に自殺せよ。
俺の中の賢いヤツは言う。
うん?緩慢な自殺ってなんだよ?
―生きろ。そしてなるべく早く死ね。
…結局。お前も俺にただ生きろっていうのかい?
まったく。ただ生きるのが嫌でここまでウダウダ考えてきたのに。
―人生の意義、意味とはなにか?そんな問に答えはない。だけど問い続けてしまうのならば。お前は一生をかけて考え抜くしかないのだ。
そして死ねと?おいおい。冗談が過ぎる。そんなの懲役刑を喰らうようなものだ。
―人生ってそんなもんじゃない?
急に雑な締めである。
そんなもんで俺の苦悩を形容するとは。
だが。俺が尊敬する作家のカート・ヴォネガットはよくこの表現を使った。
『So it goes.』そういうものだ。
◆
…ここまで俺は駄文を積み重ねてきた。
そして得られた結論はひとつ。緩慢な自殺だと思って日々を生きよ。
そういうものだ。
◆
『考えなくてもいいことに悩まされる―生きる意味とは?―』 小田舵木 @odakajiki
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