「長年」に関する話

脳幹 まこと

意外と想像しにくい云十年


 電車に乗っている時、整体に関する書籍の広告があった。

「感謝の声・続々!」という赤背景に白抜きの見出し。


「学生の頃から悩まされてきた腰痛がピタッと治りました! (50代女性)」


 よくある文だ。

 ただ私はぼんやりと「この人、30年くらい腰痛に悩まされてきたんだ……」と思っていた。

 真偽は定かではない。個人差もあるだろう。

 しかしこの50代女性の方は、人生の半分以上を腰痛と一緒に過ごしてきたことになる。

 旦那さんやご両親にも負けないくらいパートナー(どうしても切れない悪友に近いのかもしれないが)していたわけである。


 整体の本を手に取ったということは、過去にも治そうとずっと努力してきたことになるのか。それとも途中で諦めていたが、人生の節目、一念発起して完治チャレンジすることにしたのか。

 はたまた今までは「なあなあ」で過ごしてきた関係だったが、向こうの押しが強くなってきたのか。

 ないしは、こちらにやむを得ない事情、例えば肩こりという新しいパートナーを得ることになって、悩んだ末に手放すことにしたのか。

 ひょっとすると、テレビの特集で「腰痛による機会損失はおよそXXX万円!!」というショッキングなものを見てしまったのかもしれない。


 ともかくピタッと治したのだ。これでしばしのお別れだ。

 その際の解放感ったらないだろう。当たり前なのだと、自分の宿命だとさえ思っていた痛みが消えたのだから。



 カクヨムが生まれてからまだ7年と半年程度だ。

 私が入会したのは更に1年半経過して、もう少しで6年といったところだ。

 あの人の腰痛期間のおよそ5分の1でしかない。


 私はその中でちょくちょくと書いたり読んだりしてきた。

 物語を書くのには時間がかかる。読むのにも時間がかかる。

 カクヨムに出しているのは、見せられる程度のものだけであって、出していないものは紙やPCやタブレットにも多くある。

 その大半は墓場まで持っていくことになるだろう。


 カクヨムがこのまま続くのか、別の形態に変わるのかは分からないが、おそらく私の書いたり読んだりは変わらないはずだ……

 単純に5倍したらどうなるだろうか。


 今から24年後――カクヨム入会から30年経った自分を想像する。

 膨大な数の執筆作品を送りだし、部屋じゅうに蔵書やら、中途半端にメモ書きされたノートやら、電子ファイルが置かれているのかもしれない。

 すっかり書くこと、読むことに慣れている自分がいる。


 書いてて良かったこともあれば、悪かったこともある。

 前者は「10周年」や「20周年」の時に噛み締めることになるだろう。

 後者はこの30年で生まれた機会損失を勘定する時になるか。まあ、「これ以外に道はなかったのだ」と思うのだろうが……


 いや、どうなのだろう。

 あの人だって30年間の付き合いだった腰痛とお別れしたのだから、 

 ひょっとしたら何かのきっかけでピタッと治まってしまうかもしれない。


 例えば「脱・文章宣言」という作品と出会うことになり、それを手に取る。

 そのあまりの衝撃に「お客様の声」を投稿する。


「これが最後の文章になる! もっと早く知りたかった! N・Mさん」


 それが偶然にも電車の広告に採用されるようになるかもしれない。

 揺れる電車の中で、自分の意見と向き合うことになった時、私にやってくる思いとは一体何なのだろう。


 腰痛持ちだった50代女性の気持ちに、少しでも近付けるのだろうか――

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