patriotism

フカ



夢の中で夢だな、と気づく。あんまりにも悪い夢ばかり見るもんだから、俺の頭が俺にあきれて世話をやいているのかもしれない。

今日は頭が半分になった等々力が床で、膝を抱えて座っている。右目のほうに斜めに飛んだ頭のなかから緑、赤、青、まだらもようのカエルが、ポップコーンみたいにわいて出てくる。ポコポコ、ポコポコ、わいたカエルは半分残った等々力の顔に貼りついた。

何かの贖罪なのだっけ。それなら、と思ったとたん、俺の顔にも貼りついた。しめった皮膚がひんやりしてる。両生類が鼻を這うけど、匂いはないからやっぱり夢だ。今の現実世界はずっとサンダルウッドの匂いがするし、この空間にマダラがいない。

まばたきをすると瞼のうえのカエルが身を捩る。

もう一度目を閉じ開くと、目の前に来た等々力の口の中にもカエルがいた。喋る。「朝だよ」。

ずんぐりとしたデカいカエルがマダラの声で喋ってくるのはさすがに嫌だな、と思う。ただ、その瞬間から香りが漂う。サンダルウッドは浄化の力があるらしい。


「ねー、朝だって。ちこくするよ」

クルーザーが揺れている。デコに前髪が降りかかるぐらい、間近でマダラが俺の顔を覗き込む。



朝の飯屋は戦場だ。次から次へ注文が入る。パン、腸詰めに目玉焼き、魚、フレンチトースト。焼いても焼いても終わらない。黄金色になったトーストを皿に引き上げて、ホイップを山盛りにする。カウンタにそれを滑らせるとマダラが席へ持っていく。


この国に来てからもう一年ぐらいが経った。最初はずっと眠りっぱなしで、少し経ったらプラプラして、しばらくしたら暇になった。朝日で起きて散歩をし、朝飯兼昼食を食べたら昼寝をする。仕事を終えたマダラが帰ると会話をしたりショーギをする。夕方になったら釣りでもして、月が出たらまた眠りについた。健康的な老人のような生活を繰り返しても、眠れば夢ばかりを見たから、もっと体を動かして、社会生活のようなものをすれば、少しましになるだろうと思った。

ちょうど、マダラの働く食堂で人手を募っていたから話を聞きに行く。この国の言語は、俺たちの国と同じ造りをしていた。耳の良いマダラに会話の相手をして貰っていたから、そのうちに俺もいくらかは聞けるし話せるようになっていた。ラガ店長が俺の背中をばたばた叩く。その日から俺は週に三回ぐらいずつ、誰かの朝飯を作っている。


香ばしい匂いのなかでひたすら作業をしていると、気が楽だった。ラガ店長が捌くから魚は切り身になっていたし、肉があまり出てこないのも助かる。腸詰めだけは、初めのころは目を逸らしながら焼いていたけど、脂も肉も香辛料もたっぷりなここのは非常に美味いから、慣れた。


グリドルの上、白身のふちがかりかりになり、フレンチトーストに焦げ目が付いて、飛んだ油が麻の前掛けに吸われていった。髪が伸びたから後ろで縛る。坊主にしたい気もするが、髪が短いと汗が直接目に入る。

換気扇がばだばだと鳴る。タイマーが止まり音を立てる。新しくグリドルへ乗るウインナー・ソーセージが、脂と匂いを撒き散らす。

昼の14時ごろになるまで俺はそれを繰り返す。カウンターに料理を置くと、マダラがウインクしたりピースをしたりするのを見る。



14時前のラストオーダー、14時になれば店じまいをして、15時あたりまで片付けをする。べたべたになった換気扇を洗う。床をデッキブラシで擦る。グリドルへ水を差して、湯だったそれをスクレーパーで隅まで流して濯ぐ。皿を片して、シンクを片して、おびただしい数の卵の殻をまとめて、農家へ持っていく。

エプロンを外していると、ホールからマダラがこっちに来る。作業台の端に並べてある皿の中には、焼きすぎた魚や破けたフレンチトーストが載っている。

「わ、やった〜フレンチトーストあるじゃあん」

マダラが顔を輝かす。この店のフレンチトーストにはホイップがかかるのが常だけど、マダラは頑なに粉砂糖をかけたがる。動物性じゃない、スプレーボトルから絞り出される、まさにホイップクリームの味の白い植物性油脂。俺は好きだがマダラはそうでもない。

フレンチトーストは人気だから、あまり材料も余らない。ラガ店長がわざわざ毎日、多めにパンをスライスしているのを知っていた。

パンが載っている方の皿を、マダラの前にずらす。

俺は魚が食べたかったからちょうどいい。この店の、どの魚料理へもたっぷりとかけてあるライムのソースが好きだった。ホットドッグ屋のケチャップ容器になみなみ入ったソースをかける。皿に緑と香りが広がる。マダラも皿に砂糖を振りかけていた。


白身魚を口にしながら、俺みたいな人間はよく、駄目になったら料理人をやる奴が多いことを思い出した。親父がよく口にしていたからだ。人を殺せなくなってきたら、同じ手で飯を作って人に喰わす。殺人犯の店には同じく殺人犯が飯を食べに来るから、特に気にしないのだろう。確かにやっていて思う。人をつつがなく殺しに行くのも、料理を段取り良く作るのも、嫌だが、手順が似ていた。どこに行っても居ても、結局は同じようなことをしている。俺と同じ色の親父の、光の透ける虹彩を思い出す。

憐憫に浸るのも、起きているうちはあまりしなくなった。死んだ人間は何をしたってもう帰ってこないから。


「あ、ねーそういえばさあ」

マダラが、ホイップまみれのフォークをこっちに向けて言う。

「なに?」

「ショーギ。あるじゃん、なんかさあ、あれおれたちのやりかたじゃないやつがあるんだって」「へ?」「ますに並べてなんか動かして?相手の駒とって使うんだって」

「なんだそれ。平たく並べるのか?」

「そう。真ん中にやまもりにしてさあ、いっこずつ取ってくんじゃないんだって」「へえ」「ダンさんが言ってた」

通りで。異郷の文字が駒のひとつひとつ、しかも裏表に違ったものが丁寧に彫られているはずだ。浜辺の砂取りゲームのように、山を崩したら負けになる程度の玩具じゃない。

「でもさあ〜ひどくない?相手の駒で相手倒すのなんかひどくない?ジンギじゃなくない?」

マダラの口の端っこに粉砂糖がくっついている。指をさすと手の甲で拭う。

「まあ。サムライは首落として道に飾っとくらしいしな」「エッ」「クレイジーだよ」

俺は魚を咀嚼して返す。フォークに切り身をもうひとくち分刺して、ふと眺めた。サムライとショーギの生みの国では、人は何を食べているんだろう。

極東の島国は、海と太陽のこの国からずいぶん遠い。何の変哲もない大地の向こうとこっちがわで、国が変わらない国。不思議だった。

「サムライって何食べてんのかな」口をついて出る。

「え〜肉?」「肉が喰える宗教なのかね」「あ〜そっかわかんない」「謎だな」「アッあれだよ、ブシはクワネドタカヨウジだよ」「なんだそれ」「わかんない。」「やっぱ謎だな」

適当な雑談をして、腹が膨れて、眠くなる。ブシはクワネドタカヨウジ、等々力に似合いそうだな、と思う。頭の入れ墨を思い出す。サムライはカエルを食べるだろうか。






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