悪霊

土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり)

とある女性の一人語り

 いつの時代も人は噂話が大好きなものでございますね。やれ、あの男とあの女はできているとか、もう別れたとか。あることないこと面白おかしくあげつらうのが好きすぎます。ゴシップ? そうゴシップですよ。人さまの家庭の事情に首を突っ込んでなにが楽しいのでしょう。そうは思いませんか。


 わたし? わたしはそういう噂話は大嫌いです。どうしてですかって? そうですねえ。そう、わたしの存じ上げているお方がその噂話、ゴシップに随分と悩まされたものでして。勝手な酷い噂を立てられた側の気持ちになると不愉快じゃありませんか。


 嘘の噂話で人を傷つけるだなんて許せない、その方が気の毒だって? 気が合いますねえ。本当にそうです。わたしも腹の虫がおさまらないほどです。少し話をお聞きいただけますか? え? それも噂話になるのではないですかって? 大丈夫。当事者の方にはお許しを頂いておりますから。本当です! 当事者の方はむしろ積極的に正しいことを広めて欲しいとおっしゃっていますから。きちんと最後までお聞きくださいませ。よろしくお願いします。




 むかし、あるご夫婦がいらっしゃいました。ご主人は婿養子でしたが、ご夫婦は仲も睦まじく子宝にも恵まれ後継ぎもできました。お金持ちというわけでもありませんがごく普通につつがなく人生を送りそれぞれ天寿を迎えてお亡くなりました。おしまい。




 え? それだけかって? そうです。真実は平凡なものです。でも、ことの起こりはこの平凡なご夫婦がお亡くなりになって何年も経ってからのことなのです。


 このご夫婦の名前を勝手に使って物語を書いた不届き者がいたのです。ご主人の上司が愛人を妊娠させてしまいました。それが本妻に知られては一大事だと困っていたところに、ご主人がそのお腹の大きな上司の愛人に惚れていたというんですから馬鹿ばかしいにも程があります。それで上司が愛人をご主人に譲ることとなって邪魔になったのは奥さまです。婿養子のくせに、こともあろうに奥さまを騙して追い出してしまいました。その一部始終が奥さまにバレて挙句の果てに発狂させてしまったと言うのです。その因果が祟ってその家も不幸が続きとうとう断絶したというのがあらすじです。


 実際にはその家は続いているのですから完全なウソっぱちの作り話です。その物語もそれほど売れはしなかったようなので、ご夫婦のお子さまやお孫さんも、目くじらを立てるまでのこともないと大人の対応で放っておいたそうです。でもそれが間違いの元だったのですね。


 それから百年ほど経ってからその馬鹿ばかしい物語を種本に、なんと一流作家がお芝居の脚本を書いて舞台化してしまったのです。しかも、それが爆発的な大人気となってしまいました。


 そのお芝居ではご主人は実物とは違って素行不良が甚だしく、公金を横領した上に奥さまのお父上を惨殺します。加えて奥さまに毒を盛り、不貞を働いたとの濡れ衣を着せて殺そうとするのですから煮ても焼いても食えない大悪党。奥さまご自身はそのご主人に盛られた毒で見るもおぞましい姿になって命を失い、挙句の果てには悪霊になってしまうというのですから救われません。奥さまが悪霊だなんて事実無根、荒唐無稽、風評被害も良いところです。


 ところがこのお芝居があまりにも評判になりました。そのせいでご夫婦の子孫の方々がいくら本当はそうじゃないと声を上げたところで誰も聞く耳を持ってはくれませんでした。


 そしてそのお芝居以来、奥さまはまるで悪霊の代名詞のようになってしまったのです。そのおかげで子孫の方々もそのご夫妻の子孫であることを隠して暮らすようになってしまいました。これは本当に不幸なことだと思いませんか?


 おや、顔色が悪いですね。悪霊? 大丈夫ですよ。それはあくまでも作り話の世界のことですから。本当の奥さまはとてもお優しいお方です。


 ところがそれだけではございません。そのお芝居は大勢の人の商売のネタになりました。そして、奥さまを化け物やら悪霊に仕立てるオドロオドロしい物語が何度も何度も手を変え品を変えて作り直されるようになりました。人の噂も75日と言いますが、その千倍以上の間、世間の皆さまは飽きることなく奥さまを悪霊扱いし続けたのです。


 これには奥さまも草葉の陰で大変にお嘆きになりました。平凡な人生を送った一人の女性を勝手に化け物や悪霊に仕立て上げて、それを金儲けの手段にするなんて本当にひどい話です。あなたもそう思うでしょう?


 でも、話はそれだけで終わらなかったのです。調子に乗った馬鹿者どもが勝手にのお墓をこしらえてお寺を立てたり、を祀ったおやしろを何ヶ所もこしらえたりしたのです。それも全て身勝手な金儲けのためです。本当に神も仏もあったものではございません。ただの坊主丸儲けです。


 そんな薄汚い、欲望のために作られたお寺やお社とは言え、そこに願をかけ参拝する者も集まってくるわけです。では、その者たちの願いと言うのは一体どこへ行くのでしょうか。それらの願いはあの世で静かに過ごしていた奥さまのところに集まるのです。でも、ただ平凡な人生を送っただけの一人の女性が様々な願いを勝手に求められたとしても何ができると言うのでしょうか。


 ところが願いは良かれ悪かれ力となるのです。それらの願いはあの世の奥さまの元にどんどんと集まってきました。そしてそれはやがて大きな力となり、奥さまは望みもしないのに神格というべきものを備えてしまったのです。


 でも神格を得たとはいえ、奥さまを化け物とか悪霊扱いする無礼千万な人たちの願いをどうしてわざわざ叶えなければならないでしょうか。奥さまは平凡な存在に、普通の霊魂に戻りただ安らかに過ごしたいのに。


 そこで奥さまはその力を自分のために使うことにしました。自分を悪霊とするお芝居をしたり物語を演ずる者たちや、創作する者たちの近くに現れてさまざまな力を見せてお願いすることにしたのです。どうか私を悪霊扱いしないでくださいと。


 でもそれが裏目に出てしまいました。奥さまは新しく得た力をうまく使いこなすことができず、正しくその意図を伝えることができなかったのです。そのため例の物語に携わる者達の周囲でポルターガイストのような奇怪なことを起こすことしかできませんでした。それを指して人々はこう言いました。


「これは祟りだ。彼女がお怒りだ。彼女の怒りを鎮めるためには彼女を祀った寺社にお参りしなければならない」


 奥さまはそのような参拝も願掛けも求めていないのにこれでは完全に逆効果です。奥さまがそんなことをしないでと力を使えば使うほど奥さまを恐れてますます多くの人々が奥さまを祀った寺社を参拝する悪循環。かえって奥さまの力を強めてしまいました。もはやまるで祟り神だか邪神扱いです。


 ある日、自分の姿をこの世でぼんやりと実体化できることに気づいた奥さまは姿を見せたならば大丈夫かと人々に話しかけてみました。でもこれも完全に逆効果。当然ながら人々には幽霊だ、悪霊だ、怨霊だとかえって怖がられてしまいました。奥さまは何も悪いことをしていないというのに。


 力をどんどんと強めながらも、奥さまは困り果てました。そして、いっしょう懸命に考えました。まあこの世での命はもう失っているのですけれども。


 考え抜いた奥さまはとある結論に至りました。


「悪霊ではないと言っても信じてもらえないのであれば、悪霊だと信じてもらったまま言う通りにしてもらって、諸悪の根源のあの傍迷惑はためいわくな物語を上書きしてしまえばいいのでは良いのではないでしょうか」


 おや、お帰りですか? まあ、もう少しだけお付き合い下さいな。最後までお聞きくださらないときっと後悔なさることになります。


 さて、実はその奥さまから言伝ことづてがございます。奥さまが普通の霊魂に戻るために、。たったそれだけのことです。


 もうお分かりでしょうか? 今日で一番肝心なことをこれからお話します。それはですね、ということです。お分かりですね。そして、忘れずに


 なにを怯えていらっしゃるのです? ちっとも怖くなんかないじゃないですか。


 奥さまが悪霊だなんて信じていない方はお気になさる必要はございませんよね。でも、できましたらば奥さまのことを哀れんでと思います。


 奥さまが悪霊だと信じていらっしゃるのならば、ご自身が何をすべきかお分かりですよね。、ただそれだけのことです。


 もし、奥さまが悪霊であるにもかかわらずお願いを聞かないで何もしなかったらどうなるのか、ですか? さあ? こんなささやかなお願いも聞いてくれないような薄情な人がどうなろうと、わたしは一向にかまわないのですが、おそらく奥さまのことですから誠心誠意ご説得にいらっしゃるか、それともあの世にご招待なさるのではないかと思いますよ。


 誤解なさらないで下さい。奥さまは本当にお優しい方なのでこのお話を広めてくださる方には感謝こそすれ害をなすことはありません。脅すようなことをして申し訳ないと恐縮なさっています。


 わたしがお岩奥さまですかって? とんでもございません! わたしは奥さまに使えていた侍女の子孫にすぎません。お岩奥さまなら、にこにこと、わたしの話を聞きながらそちらで微笑んでいらっしゃいますよ。このお話を最後までお聞きになった貴方さまならば、お岩奥さまのお姿が見えるかも知れませんね。ああ、そちらではありません。後ろではございませんよ。ほら、お隣に・・・・・・おや、失神なさるとは、困りましたね。


 他人事のように見ていたそこのあなた! あなたも同じですよ、忘れずに。さもないと・・・・・・


 

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