ロマンチックは行方不明

りりぃこ

青い海に溺れる

「クレオパトラが、真珠のイヤリングを、飲み干したエピソード知ってる?」


 ある日の夜、ユウくんはキッチンで食器を洗いながら突然語りかけた。


「すっごく高級な真珠をワインビネガーに溶かして飲み干して見せて。それでなんやかんや偉い人をやり込めたんだよ」

「後半曖昧すぎじゃない。なんやかんやって」

 私が苦笑いしながらスマホを開く。適当なページでクレオパトラを検索してみる。

「偉い人って、将軍アントニウスだってさ。へえ、でも、実際は真珠が溶けるくらいの酸性だと、飲めないんだぁ」

「ちょっとちょっと、すぐにスマホで調べるのって情緒がないんじゃない?」

 なぜかユウくんは焦ったように言う。

「ほら、ダラダラしてるならおつまみ持っていってよ。今カクテル作ってあげるから」

「わあい」

 私はいそいそと立ち上がる。

 夕食後、いつもユウくんは私にカクテルを作ってくれる。ユウくんの家にはたくさんのリキュールが可愛い顔をして並んでいて、そのカワイ子ちゃんの中から一人を選んで、その日の気分で創り上げていくのだ。


「そんなわけで。今日はクレオパトラです」

 コーヒー色のショートカクテルが私の前に差し出された。

「よ、待ってました!てかこのカクテル作るためにさっきの話したの?前説?」

「そういうこと言っちゃうのも情緒が無いと思いまーす」

 ユウくんはふくれっ面で抗議する。

「てか、これは俺の。マリカのはこっち」

「こっち?」

 私は、ユウくんの出してくれたもう一つのカクテルをキョトンとして見つめた。

 真っ青なロングカクテル。ブルーキュラソーを使ったのだろうか。いや、案外ただのハワイアンブルーのシロップで色付けしただけなのかもしれない。でもとにかく、南国の海を思わせる美しい輝きがあった。

「キレイ」

「トルコのクレオパトラビーチっていう海を、前テレビで見てさ。きれいだなあって思ってて。青色のスパークリングワインが売ってたから買ってみて使ったんだ」

 そう言って、ユウくんは微笑んだ。

「素敵だね。クレオパトラビーチかぁ。行ってみたいね」

「そうだね。テレビでみただけでも、青くてキレイな海だったよ。行ってみたいね」

 実際に行くかどうかはわからない。多分行かない。でもこうしてユウくんと未来の話をするのは楽しい。

「ところで、今日はなんでクレオパトラ縛り?」

「これを、やってみたかったんだ」

 そう言って、ユウくんは私に大きくて白くて丸いラムネを差し出した。

 「これ、入れて飲み干せば、気分はクレオパトラだよ」

「わあ」

 私は、ユウくんの手から受け取ったラムネをまじまじと見つめた。

「もしかして手作りラムネ?すご。ラムネって作れるんだ!」

「材料あれば固めるだけだから。あ、崩れやすいから気をつけてよ」

「これを入れるの?」

「うん、ほら、クレオパトラみたいに溶かして見てよ」

「どうなるかな?味変わるのかな?色変わるとか?」

 私はワクワクしてラムネを真っ青な海に落とした。


 その途端、ラムネから勢いよく泡が吹き出した。

「わぁ、溢れた!!」

「ヤバいヤバい!」

 私とユウくんは慌てて布巾を取りに行く。


 青い海に幻想的に溶けていくのかと思いきや、勢いよく大嵐でも起きたかのように消えていった。


「いやあ、全然クレオパトラの優雅感無かったね。完全に海が牙を剥いたよ。青い海で溺れてたよ」

「あはは。よく考えたら、炭酸のお酒にラムネ入れたらメントスコーラ状態になっちゃうよね。そりゃこうなっちゃうよねー」

 そうユウくんは溢れたカクテルを拭きながら照れたように言った。しかし何となく、ユウくんはちらちらと落ち着かないような雰囲気を出していた。

 なんだろう。ふと、ユウくんの目線の先、残った青い海に目やった。


 海の底に、キラリと光る何かがあった。

 私はグラスを持ち上げた。

「これ……」


「結婚しよう」


 ユウくんが拭くのを止めて、真面目な顔をして言った。


 海の底にあったのは、ダイヤモンドの指輪だった。


「ラムネに、入れてたの?」

「うん」

「カクテルで溶かして、それで出てきたんだ」

「うん。ちょっとドタバタしたけど」

「……」


 私は恥ずかしそうに微笑むユウくんの顔をちらりと見ると、思わず言った。

「信じらんない!!」

「え?」

 ユウくんはキョトンとしている。

 でも私は止まらなかった。


「信じらんない。信じらんない!今時プロポーズでこんなダサいことする人いる?食べ物の中に指輪って!間違えて飲んじゃったらどうするのよ。てか衛生上もよくないし。食べ物粗末にしないでよ。指輪自体も糖分ベタベタで洗わなきゃつけれないし」


「そ、そう、ですね。ごもっとも……」

 私の勢いに飲まれて、ユウくんはオドオドと小さくなる。


「それに何よクレオパトラって、意味わかんない。あの人毒蛇で死んだ人だし魔性の女だし、その人選はプロポーズには向かないでしょ」


「詳しい、ね」

 ユウくんは困ったように小さく笑った。

「さっき検索したもん」

「そうでした」


「だいたいね、こんな風に溢れてグダグダになってる時点で……」


「マリカ?」

 急にユウくんは私に近づいてきた。そして、私の顔を両手で優しく掴んでたずねた。

「ねえ、文句言ってるけど、何でなんでそんなに顔が赤いの?」

「そんなの!」


 私は自分が真っ赤になっているのを自覚している。

「そんなの!こんなダサいプロポーズされてんのに、嬉しいからに決まってるでしょ!」


「うん、そっか」

 嬉しそうに頷くユウくんが今は憎い。


「こんな、こんなので、こんなダサいプロポーズで喜んじゃう私が一番信じらんない」

「そっか」

「嬉しくて仕方ないんだもん!」

「そっかそっか」

 ユウくんは私の頭を何度も嬉しそうに撫でる。

 むかつく。

「えっと、じゃあ返事は……」

「オッケーに決まってるじゃん」


 さて、青い海に溺れて沈んだ、海底の秘宝を引き上げなくちゃ。まったく、バカな真似するんだから。

 そして私は、そんなバカなユウくんが大好きなんだからしょうがない。

















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