海の悪魔は絡みつく

梨野

海の悪魔は絡みつく

 あるところに浦沢次郎という青年がおりました。目の前にビードロのような真っ青な空と海が広がる場所に住んでいた彼は、浜辺に降りて小さなシャベル片手に散歩をすることにしました。漂流物を蹴飛ばしながら歩いていると子供が3人、座り込んで地面を覗き込んでいました。他の物に目もくれず、一心不乱に見つめ続ける子供たちを不思議に思った浦沢次郎は声をかけてみることにしました。


「どうかしたのかい? 何かおもしろい物でもあったのか?」


 そう聞くと少年たちが口ぐちに言いました。


「物っていうよりは生き物だよ、お兄さん」


「生きてるか生きてないかだったら、コレは死んでるから物だよ」


「とにかくおれらが頑張っても開かなかったんだから、ほっといて別ンとこであそぼーぜ!」


 と質問に答えると、興味を無くしたように浜辺を少年たちは駆けて行ってしまいました。

 それを見送った後、浜辺に1人残された浦沢次郎は改めて少年たちの見ていた地面を覗き込んでみました。


「生き物であって生き物ではない物とはいったいなんだ……?」


 不思議に思う青年の目に入ってきたのは、サッカーボール大の丸い薄汚れた瓶でした。

 ただの瓶か、とホッとすると同時に好奇心が湧き出てきました。


「子供たちが開けられなかったというのなら、僕はどうだろうか?」


 小さなシャベルを砂に刺し、蓋が固く閉まっていそうな瓶を持ち上げました。思っていたよりも重量があり、丸い形のせいで今にも落としてしまいそうです。


「なるほど、子供たちが開けられなかったのはこのツルツルとした持ちにくいデザインのせいもありそうだな……しかしなんでこんなに重いんだ? それに子供たちの言っていた言葉も気になるしなあ」


 表面の汚れを取ろうと、Tシャツで瓶を拭いてみるとまだら模様で赤褐色の中身が見えてきました。

 すると赤褐色の中に一部だけ黒い斑点がこちらを見ていることに気が付きました。


「あれっ? 今……いやあまさか、瓶の中身と目が合うなんてな」


 その瞬間、ギョロリと品定めをされているような感覚と背筋の凍るような恐怖に襲われ、カチリという音に合わせて手を掛けていた瓶の蓋が開いてしまいました。


「うわあっ!?」


 驚いた青年は慌てて瓶を投げました。しかしそれは既に空になっており、浜辺の岩に当たって割れてしまいました。


「なっ無い!! 中身が無い!! それに……今見ていたのはいったい!?」


 周りを見渡した青年は、自分の肩にずっしりとした感覚があることに気がつきました。


「ククク……このオレ様に恐怖の念を覚えたか、ニンゲン!!」


 なんと驚くことに、自分の首に1匹のタコが巻き付いていたのです。


「た……タコが……は、話している……のか!?」


「その1つしか無い脳みそでよく考えたな、ニンゲン。そうだ、オレ様が貴様に話しかけている。しかし今、聞き捨てならんことを言ったな? タコ……とかなんとか」


 青年はタコに巻き付けられて、吸盤に吸い寄せられている首でなんとか返事をしました。


「ああ……い、言った……」


「やはりなぁ〜〜〜!! 貴様!! どこをどう見間違えたらタコに見えるんだ!! オレの名は"クラーケン"!! 船をも沈める海の王だぞ!! あんな腕が八本しか無いような有象無象とは違う! 見ろ! この腕、このツノを!!」


 青年はよろよろと動き、言われた通りに背中のタコを見てみました。確かに数えると十本の脚、もとい腕が這っています。しかも丸い大きな頭に生えた黒い目の上には、たんこぶのような出っ張りがあるのが見えました。

 浦沢次郎はそんなタコの様子を観察してみて、先ほどの捲し立てるような話し方を思い出し、(なぜこんなタコに上から目線で話されないといけないんだ?)という怒りがふつふつと湧いて起こってきました。 このタコを瓶から出したのは自分であり、感謝の一つくらい言ってもらってもいいのではないだろうか、と。

 そして冷静になった頭で思い出したのは、"クラーケン"は大量の腕を持ったタコの化け物の姿をしていることが多い、ということでした。そして帆船を飲み込むほどの大きさをしていて、こんなに小さなタコのはずはない、ということも思い出していました。


「その……海の王とやら、船を沈めるとか言ったな……」


「フッ、言ったがなんだ? その話でも聞きたいのか?」


「ああ……是非とも聞かせて欲しいね……その小さな体で、どうやって船を沈めるのかを! なぜお前が話せるのかはよく知らないが、言葉を話せるのならありがとうの一言でも言ってくれたら嬉しかったよ!!」


「クソッ、こいつのおかげで出られたんで見逃してやろうと思ったが! どうやら今すぐ自分の首を絞め落とされたいらしいな!!」


 そう言われるや否や、青年は地面に刺してあった小さいシャベルをつかみ、首に巻き付いていた蛸足へ向けて思いっきり振り上げました。金属製のそれはまるでナイフのような役割を果たし、右に巻き付いていた二本を切り落としてしまいました。


「何!?」


 そして、青年は残った左の蛸足へ小さいシャベルを突きつけました。


「何ってこれから、タコ焼きパーティーだよ。それだけ蛸足があるんだ、さぞ大量にできるだろうね」


「タコ焼きだと!? 貴様、正気か!? 普通こんな腕がある海の生物なんて、気持ち悪くて食欲が失せるだろ!?」


そう言うと赤褐色の身体が次々と変わり、バラバラのルービックキューブのような色になってしまいました。


「そうか知らなかったのか。ここ日本ではタコ、デビルフィッシュはよく食べられる生き物なんだよ。酢の物にしても結構おいしいんだ。……で、どうする? このまま続けるかい。まだこの陸で僕を襲いたいなら、その脚を全部切り落として真っ赤になるまで煮ることにするよ」


 すると、目の前のタコは八本になった腕をワナワナと震わせて喚くように言いました。


「あ……脚を切り落とすのだけは……それだけは勘弁してくださぁい!! 狭いところに閉じ込められて、ようやく外に出られて……ちょっと浮かれてただけなんです! もう襲いません!! いくら再生するからといっても……痛いのは嫌だ……!!」


 それだけを言うと首から離れ、ボトリと砂浜へ落ちました。


「そうだな……今回はこの二本で済ましてあげるけど、次はないからね」


 タコはガクガクと首を振るように、頭に見える真っ青な体を振りました。


「あぁそうそう。"クラーケン"って学説によるとタコじゃなくてダイオウイカらしいね。だから最初の方の腕が十本あった方が正しかったみたい。今の君は八本脚のただのタコっぽいけど。というわけで僕は帰るよ。じゃあね」


 青年はタコと海に背を向けて、歩き始めました。


「ちょ、ちょっと待ってくれぇ!! オレをここに置いていかないでくれぇ! とても身勝手なお願いだと思ってるんだけどさあ! オレは自分の海に帰りたいんだ!! 頼むよぉ一生に一度のお願いだ!!」


 その言葉を聞いて(確かに気の毒だ。よくわからない土地まで流されて、腕を二本も切られるなんてかわいそうだな)と同情した青年は振り向きました。


「わかったよ。君はどこの海に住んでいたんだい? ってあれいない!?」


 脚に何かまとわりついた感覚がして足元を見ましたが、何もないように見えます。


「ククク……ここだニンゲン。タコは身体を周りの景色と同化させられるが、オレのような完璧なステルス能力をもつヤツはいないだろうな」


「も……もしかして僕の家までついてくるっていうのかい!? 水槽とか持ってないよ!」


 擬態能力を解いて、やはり脚に巻き付いていた自称"クラーケン"はこう言いました。


「オレ様はこんなに力も姿も小さくなってしまったがな、腐っても"クラーケン"だ。貴様の家で世話させられてやる」


 その物言いに、これから世話をするのは僕なのになんでこのタコはこうも上から目線なんだろうな、と思わずにはいられませんでした。


「今回は貴様の勝ちにしといてやるが、力を取り戻したら必ずや食ってやるからな!」


「そうか……で、力を取り戻すってどうやるんだい?」


 青年は自分の家へ帰ろうと浜辺を後にして歩き出しました。


「故郷の海水を浴びることだな。ここのは軽くてな」


「なるほど、海によって塩分濃度が違うからか」


相槌を打つとタコは茹でられた時のような赤色になりました。


「フン! おいお前、エサは新鮮なマグロにしろ。いいか? そこら辺で採れるようなものはダメだ! ちゃんとオレの故郷のヤツをもってこい」


「ええ〜……もしかしてそれは僕が用意するのかい?」


 青年は、当然だとでも言うような視線を向けてきたこの奇妙なタコとの行く末を考えてため息をつきました。

 浦沢次郎は竜宮城には行けませんでしたが、二本の蛸足を使った今夜のタコ焼きパーティーについて考えてみて、これからの生活も悪くないかもなという気持ちになりました。

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