アイゼンめぐり

武江成緒

アイゼンめぐり




 どきどきどきどきどきどき……。


 どうしようもなく心臓は鳴ってる。

 こういうのを、切ないって言うのかな。

 ううん、違う。コレはそういうのとは、ぜったい違う。


 もう夕暮れ。空は夕焼けを通りこしてもう暗い青 ――― 藍色だ。

 点々と街灯とか家の明かりは見えるけど、ここはソレからかなり離れた林のなか。

 ちょっと高い丘みたいになってて、むかしはそのてっぺんにお寺が建ってたって調べた。

 こんな時間にこんなとこで一人きり、そりゃドキドキもしてくるよ。




 お寺があったその頃にも、こんな夕方にこっそりと、この道をぐるぐる巡る人がいたのかな。

 ちょうど今の私みたいに、手にインディゴ……ううん、あいぞめの布をにぎって。


 そんなこと思ったとき、すぐ右のヤブのなかから、ザザッ、となにかが飛びでて、心臓がほんとに破裂しそうにドキッとした。


 目の前を、そのまま駆けてく黒い影が、タヌキだってわかったときは、じわりと泣きそうになった。

 怖かったのと、安心したのと、あと、情けないのとで。


 なんだよ。なんでアタシ、こんな林のなか、今月はじめに買ったばっかのスニーカー、土まみれにして歩いてるんだろ。


 ヤケクソみたいに、懐中電灯もってないほうの手にもってるハンカチを、ぎゅっ、て握りしめてみた。

 ハンカチには、名前テープが縫いつけてあって。

 そこには学校の先輩の名前が書いてある。




――― 相田さん、歴史部だったよね。

――― そこの丘……開然山について、よく効くおまじないの言い伝えがあるって聞いたんだけど、知らない?


 そんなこと、男の人が。

 それも成績優秀、頭脳明晰、性格だってやさしくて、うちの学校のレジェンドだなんて言う子まだいる、あけ先輩が。

 零細部活の歴史部をほとんど一人で支えてるだけの私なんかに聞いてきたときは。


 ほんとに伝説の調べ過ぎでちょっとアタマがおかしくなったかな、って思った。

 ちょうどこのひと月くらい、開然山の言い伝えを調べるのにかかりっきりだたんだから。




 このU県は江戸時代、産業として綿花や藍の栽培が奨励されてた土地のひとつ。

 城下町で栄えていた藍染の職人たちは、この丘にあったお寺に、守護仏として愛染明王をまつった。


 愛染明王。

 古代インドの愛の神、カーマが密教に取り入れられたとも言われる明王だ。

あいぜん』の名前が『あいぜん』に通じるっていうことで、藍染職人の守護者として祀られることも多かったらしい。

 それでも愛欲の神って側面が忘れ去られたわけじゃなくって、縁結びや恋愛成就の願かけをする人も多かったみたい。


 その中には、邪道っていうか、かなりあぶない“おまじない”も、これまた多かったみたいで。


 私がいま、やってるのもその一つ。

 近代になって海外から化学染料が入ってきて、藍染業がすたれちゃって、お寺もいつか朽ちちゃっても、古い本や言い伝えに生きのこったおまじない。


 日が暮れてから、この林を、愛染明王を祀ったお寺の領地だった、その外側を、左回りにぐるぐる回る。

 藍染の布を、おもう相手の名前を書いた布を手に握って。

 回って、回って、巡って、巡って。

 その足取りが何回目かになったとき、彼岸の力の扉がひらいて、愛の願いが成就する。

 想う相手に巡りあえる。




 なんとかまとめたおまじないのデータを入れてたフラッシュメモリ、キョドりすぎて、明野先輩にそのまま渡しちゃったんだけど。

 頭のなかに入ってるから、実行するのに問題はない。


 ないはずだけど、やっぱり何かあせってたのかな。

 だいたい、ほんとはこんなこと、実行なんてするつもりはなかったんだよ。

 おまじないを一生懸命しらべたら、それだけで、なんだか気持ちがラクになった気がするからしてただけなの。


 それなのに、そんな話を先輩にしちゃってから、実際にやらなきゃダメみたいな気持ちになって、いまこうして暗い林を、ゴールもないのにぐるぐる歩いて。




 だいたいこんなの、かなり妖しいおまじない、ううん、呪法ってやつじゃないのかな。

 恋愛は、愛っていうのは、仏教じゃあんまり良くないもののハズ。その良くないものを、悟りにつなげてくれるのが愛染明王の信仰だっていうんだけど。

 こんな中途半端なかんじで手を染めるなんて、ものすごく。

 バチ当たりなことじゃないのかな。




 そんなこと考えたとたん。

 今度こそほんとうに、心臓が破裂しそうになった。


 ガサガサと、足音が。

 後ろの方から近づいてくる。




 やばいやばいやばい。

 よく考えたら、こんな時間に、人通りのない林の中。バチ当たりとかそれ以前に、ふつうに危険に決まってるじゃん。


 逃げようとして、その途端、足がすべって、その場にころんだ。

 夕暮れの藍色が、白い光に染められて。


 懐中電灯の光のむこうに、驚いたような、明野先輩の顔があった。

 左手には、インディゴのハンカチが握られてて。

 縫いつけられた名前テープには、マジックで私の名前が書かれてた。




 

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アイゼンめぐり 武江成緒 @kamorun2018

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