第2話 The other side story

 私には好きな人がいる。その好きな人とは、たった今目の前で難しい顔をして私の病室のベッドの横で座っている幸彦ゆきひこだ。幸彦は隣の家に住んでいて、幼稚園、小学校、中学校と一緒に過ごしてきた幼馴染だった。幸彦は今、幸彦のお母さんがお見舞いに買って来てくれたりんごや梨の皮と格闘している。


「ほら、りんご剥けたよ、本当に人使いが荒いんだから」


「ありがとう、って、ほとんど実が残ってないじゃん!しかも芯とってないし!」


幸彦の向いたりんごは皮と一緒にほとんどの実が皮と一緒に捨てられ、残っていたのはタネの周りの芯の部分だけだった。どうやったらこんなに実を削れるのだろうか。


「え、りんごって皮以外食べれるんじゃないの?」


幸彦はキョトンとして言った。この人はリンゴを食べたことがないのだろうか。


「梨は私がやるから」


「いや、ごめんって。頑張るから見てて」


 10分の格闘の末、ソフトボールほどの大きさのあった梨は見事二口サイズへ変身した。最後の最後になぜか梨を切断して大きい方の実を床に落としたのが敗因だった。手の中にかろうじて残った梨を二人で分けて食べた。二つに分けた梨はあまりに小さく、一口食べてから幸彦と目を見合わせて笑った。その日幸彦は面会時間いっぱいまで私を笑わせて帰っていった。

 私の心臓が悪くなって入院してからというもの、幸彦は毎日放課後面会に来てくれている。それだけでなく幸彦は幼い頃から私が困った時や辛い時はなんとかして助けてくれる。りんごを全て削りとるほど不器用だけれど、そんな不器用な優しさに私は何度も救われてきた。物心ついたときには私は幸彦のことが大好きだった。だが、この恋はどうやら叶わずに終わりそうだ。ある夜、主治医の先生とお父さんとお母さんが話しているところを見かけてしまった。何を話しているかまでは聞き取れなかったが、診察室のドアの隙間から泣き崩れるお母さんの姿を見た。そして、その日の夜手術を受けなくてはならないことを告げられた。お父さんもお母さんも何も言わなかったが、二人の眼差しから私の命はもう長くないことがどうしようもなく感じ取れてしまった。手術は7月7日、七夕の日だった。

 7月6日、私の手術の前日になった。その日は土砂降りの雨で、病室に一人の私は不安に押しつぶされそうだった。病室の扉が開いて、入って来たのは幸彦だった。さっきまでの不安が嘘のようで、嬉しくて心臓が飛び跳ねたような気がした。ただ、今日の幸彦は言葉を決めあぐねるようなそんな顔をしていた。


「また、陰気な顔してる。ただでさえ雨なのに、そんなんで私の病室に入ってこないで!」


結局、口に出たのは思ってもいないようなことだった。素直じゃない私はいつも思ったことを言えない。


「悪かったな、これだけ置いてすぐ帰るよ」


幸彦は、大量の短冊が下げられた七夕の笹の葉をベッドの横に無造作に置かれた。よく見ると私の高校の同級生や、中学の友達からの応援が書かれている。このとき私は急に明日の手術を実感した。振り返した不安が瞬時に全身をめぐった。幸彦は振り返って帰って行こうとしていた。


「お願い、行かないで」


気がつくと体が勝手に動いて、幸彦の腕をつかんでいた。幸彦は振り返って優しく私の手を解いてくれたが、その時の幸彦はなんだかとても悲しい顔をしていた。


「また明日、その笹に僕の短冊もかけに行くよ」


幸彦は得意げに言った。素直に励ましの言葉じゃないのも幸彦らしい。いくつもの短冊に書かれている、励ましの言葉よりも幸彦の言葉に何よりも励まされた。幸彦はいつも私の不安をどこかへやってくれる。結局その日、幸彦は面会時間が終わるまで一緒にいてくれた。

 その日の夜、仕事が終わって会いに来てくれたお父さんに短冊を買って来てくれるように頼んだ。手紙とかじゃなくていいのかとお父さんは言ったが、私は短冊に書きたかった。幸彦ならばたとえ手術の結果がどうなったとしても、短冊を渡しにに来てくれるという確信があった。そのとき読んでくれたならばそれでいいし、たとえ読まれなくてもそれでいいと思った。


『ありがとう、大好きだよ』


私は短冊にそう書いてすぐに消した。幸彦の人生の重荷になってしまう。それだけはだめだと思った。わかってはいるのに不思議と涙が溢れて止まらなかった。結局、私は『ありがとう、また明日ね』とだけ書いたが、短冊の文字が涙で滲んでぐちゃぐちゃになってしまった。明日の手術が成功したらきっと、自分の声で好きだと伝えようと心に決めた。

 その夜、私は星空の中で眠る夢を見た。私のいる星空の下には雲海が広がっていてとても幻想的な世界だった。星々が雲海へ向かって流れ落ちる様子は昔の人が銀河を天の川と名付けたことに納得するものだった。ただ、雲海を突き抜けるように私の大嫌いな病棟の屋上だけが見えた。だが、そんな大嫌いな病棟の屋上には幸彦がいた。私は雲海へと続く星の流れに乗って彼に会いにいった。彼は何も言わなかったがこっちを見て微笑んだ。もう心配することはなかった。私は彼に想いを告げて、そして満天の星空のもと彼の腕の中で眠った。

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ビルの屋上は銀河 野上けい @nogamikei

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