お夏の幽霊屋敷

貞弘弘貞

お夏の幽霊屋敷

 真夏の深夜、鬱蒼と木々が茂る山道を桑原武と柳川礼子は歩いていた。

 武はスマホのライトで前方を照らしながら、めんどくさそうな表情で歩いており、礼子は懐中電灯を両手で持って武の少し後ろに付き、期待と不安の入り混じったような表情で歩みを進めている。

「まったく、急に車出せっていうから何事かと思ったら、また心霊スポットかよ。くだらねぇ」武はため息交じりに言った。

「卒論の取材って言ったでしょ?」礼子は少し頬を膨らませる。

「文学部ってのは幽霊を研究するところなのかよ」

「郷土史です! 東京都の不可思議ないわれを持つ各地の歴史を調査して……」

「わかったわかった! さっさと行こうぜ……」武はあきらめの表情で先を急ぐ。

 虫の鳴く音と足音しか聞こえない静かな山道を歩いていると、ここが東京である事が信じられなくなる。

 東京都の西側、埼玉県との境にある山に二人は居るのであった。

 熱帯夜が続いており、山とはいえ蒸し暑さが残っていたのだが、突然、空気が冷んやりとした。

 目の前にトンネルの入り口が見えた。車が一台通れるくらいの大きさで、草木が覆い被さり、朽ち果てている。

「ここか? ずいぶん古びたトンネルだな」武はスマホのライトをトンネルに向ける。

「すぐ横の街道に新しいトンネルが作られてからは、この旧トンネルはほとんど使われなくなったの」礼子は小さいデジカメを取り出し、フラッシュを焚いて写真を撮っている。

「ふーん」

 武がトンネルに近づいていくのを、やや躊躇しながらも礼子が付いていく。

「このトンネルを作るときに、落盤事故が起きて、多くの人が亡くなったの」

「ふうん……」

「それ以降、このトンネルでは様々な不可思議な現象が起こると言われているのよ」

 トンネルの入り口前まで来て二人は足を止める。

「何が起こるっての?」

「トンネルの壁から手が出てきたり、うめき声が聞こえたり、足を掴まれたり、そういった体験談が多い場所なの」

「へぇ、そりゃ面白そうだな」武は躊躇することなくトンネル内に足を踏み入れた。

「ちょっと! 怖くないの?」礼子はトンネル入り口に立ったままである。

「俺が幽霊の存在を信じているとでも思ってるのか?」武は礼子の方を振り返って言う。

「そんなことは分かってるわ。理工学部だしね」

「学部は関係ないだろ。大体、心霊現象と言われているものは錯覚や気のせいなんだよ」

 武と礼子は高校生の時に同じクラスだったのがきっかけで付き合いはじめ、今は同じ大学の四年生である。

 礼子は不満げな表情をするも、意を決したように駆け出し、武の側に来る。

「行きましょ」と礼子はデジカメで動画撮影を始めた。

 真っ暗なトンネルを二人は歩いて行くが、特に何が起こるでもなかった。

「なぁ……、壁から手でも出てきたか?」

 礼子は、デジカメを上下左右の方向に向けながら撮影を続けている。

「必ずしもそんな事が起きるわけではないわ……」

 二人は足を止めた。しん、と静まり返ったトンネル内は妙に冷たい空気に包まれている。

「なんかもうよくね? 帰ろうぜ」

「う、うん……。取材は十分できたと思う……」礼子は緊張のせいか、少し疲れたような表情をしている。

 二人はゆっくりと入口の方に向きを変え、歩き始めた。

 と、その瞬間、バサッという音とともに、二人の目の前に黒い影が現れた。

「きゃあああああああ!」

 礼子は両手で頭を抱えながらしゃがみ込んだ。同時にデジカメと懐中電灯を地面に落とし、懐中電灯の明かりが消える。

 武のスマホのライトのみとなり、周囲をかろうじて照らしている。

「どうした?」

 武が周囲を見回すと、コウモリが一匹頭上を飛んでおり、パタパタとトンネル奥に飛び去って行った。

「コウモリだ、コウモリ」

 がたがたと震えている礼子を一目見て、武はトンネル入口に向かって歩き出す。。

「帰るぞ」

「ちょ、ちょっと待って!」と、礼子は立ち上がり、駆け出す。

 二人は無言のままトンネルを後にしたのだった。

 

 雲一つない青い空。セミの鳴き声が響いている。

 東京の下町にある遊園地は、歴史があり、昔懐かしい風情のようなものを感じる。

 さほど広いわけではなく、やや寂れている印象もある。平日のためもあるが、混雑はしておらず、むしろ閑散としている。

「うわぁ懐かしいな。小学生の頃に来たことあるわ」礼子はうきうきとした様子で周囲を見回している。

「懐かしいな、じゃねぇよ。今度は遊園地か」武は無表情である。

「ここのお化け屋敷はね、本当に出るらしいの」礼子は武の耳元に手をかざし、ひそひそ声で話す。

「こないだのトンネルは何も出なかったじゃねぇかよ」

「この遊園地は江戸時代に大きな屋敷があった場所でね……」

「心霊スポットだか何だか知らねぇが、くだらねぇんだよ」

「霊に失礼でしょ、そんな言い方……」

「じゃぁ、その霊にあやまってやらぁ」


 そのお化け屋敷は、まさに江戸時代の屋敷をイメージしたような外観をしており、看板には『迷路型お化け屋敷 死霊の屋敷』と書かれている。かつて、迷路が流行した時期があり、その流れに乗ったようだが、もはや目新しさは特に感じない。

 誰も並んでいない入口に着くと、若い男性スタッフが出てきて説明を始めた。

「……ですので、ギブアップの際には壁にあるヘルプボタンを押して下さい。スタッフが出口へ誘導いたします」

「ギブアップするやつなんているのか?」武は礼子に向かって言う。

「いるいる! 突破率二十パーセントなんだって。迷路で迷い、さらに迫りくる恐怖で耐えられなくなるのよ。きっと」礼子は胸に手をあて、期待と不安の入り混じったような、どちらかというとウキウキとしたような表情をしている。

「これ卒論の取材なんだよな?」

「も、もちろん! この土地のいわれを歴史から調査して……」礼子はおどおどと答える。

「わかったわかった……」武はため息をつく。

「お荷物を預かります。また、情報を遮断するためにスマホも預からせていただきます。こちらをお持ちください」

 二人は荷物とスマホを渡し、武は提灯の形をしたライトを男性スタッフから受け取った。

 入口奥に扉があり、スタッフが「では、お気をつけて」と言いながら扉を開けると、その奥は真っ暗な闇となっていた。

「さっさと行こうぜ」と、武がすたすたと闇の中へと進んでいく。

「ま、待って!」礼子は武を追って駆け出した。


 提灯ライトはランタンのように周囲を照らすが、照度は弱く、うっすらと周囲が分かる程度である。

 目が慣れてくると、すぐ前に木製の引き戸が見えた。薄汚れていて古びた感じであり、これが屋敷への入口なのであろう。

 武が引き戸を開けると、廊下がまっすぐ伸びているのが見えた。一応、天井には照明が付いているが、薄暗い。

 足を踏み入れると、ギシッと木のきしむ音が鳴り、本物の木で床が作られているのが分かる。

 すたすたと進もうとする武の腕を礼子が掴む。

「ちょっと、そんなに急がないでよ」

「さっきまでの勢いはどうしたんだ? で、ここは江戸時代に何だって?」

 礼子は深呼吸して、落ち着いた様子で話す。

「江戸時代に、大きな屋敷があった場所でね、とても仲の良い夫婦が住んでいたの」

 二人はぎしぎしと音を立てながらゆっくりと廊下を進む。

「旦那さんは結構位の高い人だったらしいわ。奥さんの名前は『お夏』さんっていうの」

 二人は足を止めた。廊下が突き当りになっており、左右に廊下が続いているのが見える。

「とりあえず右に行ってみるか?」

 二人は右の廊下を歩いて行く。

「で、お夏さんがどうかしたのか?」武は提灯ライトで前方を照らしながらゆっくりと進む。

「あ、ある日の夜、その屋敷が火事になったの。二人は寝ていたんだけど、気づいたときには周囲が火に囲まれていて、旦那さんはお夏さんの手を引いて逃げようとしたの」

 廊下の突き当りに障子戸がある。障子は本物ではなく白いプラスティックである。

「開けろってことか?」武は障子戸を開けた。

 その先は暗闇になっているが、ぎし、ぎし、と足音のような音が近づいてくるのが分かる。

「な、なに!?」礼子は武の腕を強く掴む。

 武が提灯ライトを前方にかざすと、その姿が見えてきた。

 甲冑を着た血まみれの武士がゆっくり近づいてきている。

「きゃあああああああ!」

 礼子は床に尻を付き、後ずさっている。

 武士は武の目の前まで近づいて止まった。武士はどことなく首を傾げているように見える。

「お疲れさま」

 武がそう言うと、武士は驚いたように頷き、奥に戻って行った。


 二人は一旦分岐したところまで戻り、今度は左の廊下を進む。

 礼子はなんとか気を取り戻している。

「で、火事でどうなったって?」

「えっと、そう。旦那さんはお夏さんの手を引いて逃げようとしていたんだけど、天井の梁が落下してお夏さんは足を怪我してしまったの」

 廊下を進むと、今度は十字路になっており、右、前、左と廊下が続いている。

「また分岐か。左に行ってみるか」

 左に曲がって二人は歩みを進める。

「火の手が迫っている中、旦那さんは怪我をして歩けないお夏さんを置いて行っちゃったのよ」

「ふぅん、旦那は逃げて助かり、お夏さんは焼死しちゃったわけか?」

「そう……。そして今でもこの場所には、お夏さんの幽霊が出るんだって……」

「助けてくれなかった旦那を恨んでか?」

「悲しいでしょ?」

「何でだよ? おぶってでも助けろと? 旦那も死ぬかもしれないんだぞ」

「自分が助かりさえすれば、妻を見殺しにしていいっていうの?」

 その時、廊下の両側の壁から手が十本ほど飛び出してきた。

「きゃあああああああ!」礼子はまたしゃがみ込んだ。

 その手をよく見るとゴム製で、近づくと自動的に飛び出てくるのだろう。と武が思っていると、モーター音とともに手が壁に引っ込んだ。

 しゃがみ込んだまま震えている礼子を見て、武はため息をついた。

「もうギブアップするか?」

 武が壁に指を差しているところに赤く点灯しているボタンがある。ボタンの下に『ギブアップボタン』と書かれている。

「だいじょぶ……」礼子は頭を振りながら立ち上がり、武の前に出て歩き始めた。


 廊下の突き当りは襖になっており、今度は礼子がゆっくりと襖を引いた。

 そこは六畳の畳部屋になっており、三方の壁が襖となっている。つまりこの部屋から三分岐するという事である。

「とりあえずこっちに行ってみる?」礼子が向かって右の襖を開けた。

 そこは部屋に沿った廊下になっており、二人は出て向かって左へ歩いて行く。

 少し廊下を進むと、土間のような所に出た。かまどなどがあり、当時の屋敷の炊事場を再現しているようだ。壁際に井戸があるのが見える。

「あれは井戸か?」武が興味深そうに聞いた。

 礼子はゆっくりと井戸に近づく。

「土間に井戸がある家もあったみたい。便利だものね」

 礼子が井戸を覗こうとした時、プシュッと井戸の中から白い煙が噴き出た。

「きゃあああああああ!」

 井戸の中から手が一本出てきて、井戸の縁をつかむ。さらにもう一本出てきて、縁をつかむ。

「ひいいいいいい!」礼子は尻餅をつく。

 井戸の中から、長い黒髪で白装束を着た女性が出てきた。ゆっくりと這って来る。

「いやあああああ!」礼子は尻餅をついたまま後ずさっている。

「なんで貞子なんだよ……」武は首を傾げている。

 武の声に反応したのか、その女性はぱっと顔を上げた。真っ白な顔で黒目が大きい。そして、四つん這いのまま走り出した。

「きゃあああああああ!」礼子は立ち上がり、駆け出した。

 礼子は武を追い越し、前方に見える廊下を駆けて行く。

「おいおい」武も仕方ないといった表情で礼子を追いかける。

 廊下を進むと、またも左右の二分岐に差し掛かった。

「どっちどっち?」礼子が慌てて後ろを振り向くと、武の後ろから貞子が四つん這いで追いかけて来ているのが見える。

「き、来てる来てる!」礼子は慌てて左方向に曲がり走り続ける。

「あの姿勢でよく頑張るな」武は後ろを振り向き、感心した様子で早歩きで礼子に付いていく。

 廊下の先に襖があり、礼子は勢いよく襖を開け、武が通過した直後、ぴしゃりと襖を閉めた。続いて襖をドンドンと叩く音が聞こえ、静かになった。貞子はこれ以上追っては来ないようだ。

「もう嫌……」礼子は座り込んで息を整えようとしている。

「無理そうならギブアップするか?」武は礼子の様子を見て言った。

「だ、だいじょぶ……」礼子はゆっくりと立ち上がった。

 昔から礼子は強がるところがある、と武は思った。


 そこは六畳の畳部屋だった。壁に浮世絵が飾ってある。向かって右側のみに襖があり、つまりここは分岐ではないということである。

「そっか、じゃあ、進むか?」武は右側の襖を指差しながら言う。

 その時、何やら部屋の中が白いもやのようなもので覆われているように感じた。線香のような香りも感じる。何かが起こる演出なのだろうと武は思った。

 いや、違う。線香の香りではない。煙の色も黒っぽくなっていっているように見える。とはいえ、元々薄暗い中、提灯ライトで照らしてもはっきりとは分からない。

「ねぇ、なんか煙臭くない?」礼子は周囲を見回した。

 その時、ジリリリリリ! と、大きなベル音が鳴り響いた。

「な、なに!?」礼子は驚いた様子で周囲を見回している。

「火事だ!」武が提灯ライトを天井に向けると、黒い煙が充満してきているのが見えた。

「えっ、う、うそ……、本当なの?」礼子はしゃがみ込んでしまう。

「ギブアップボタンがあるはずだ!」

 武が周囲を見回すと、向かいの壁に赤く点灯しているボタンらしきものが見えた。

「あそこだ」武がボタンに近づこうとすると、バシッという音が聞こえ、天井の照明が消灯した。ギブアップボタンも消えている。

 武は提灯ライトで照らしながらギブアップボタンに近づき、ボタンを押した。しかし、特に音がするわけでもなく、反応したかどうか分からない。武は何度かボタンを押してみるが変化はない。

「くそっ! スタッフの人聞こえるか! ここにいるぞ!」武は大声で叫んだ。が、特に反応は無い。

 館内の気温が上昇してきているのが分かった。とにかく、脱出するしかない。

「入口に戻るぞ」武は礼子の手を取り、呆然としている礼子を立ち上がらせた。

 元来た廊下に出ると、やはり照明は消えていた。提灯ライトの明かりのみで駆けて行く。天井には煙が充満してきている。

 廊下が二分岐している所に来た。

「えっと、ここは左に曲がって来たから、右だ」武は礼子の手を引いて右の廊下を進む。

 井戸のある土間に出た。

「こっちだ」武は土間へと続く廊下に礼子を誘導し走る。

 前方にうっすらと襖が見える。最初に来た畳部屋だ。ここまで来れば入口へのルートは武の頭に入っている。

 武が襖を開けようと手を取っ手部分にあて引こうとするも、妙に重い。力を込めて引いた時、爆発的な勢いで襖が吹っ飛んだ。同時に、武と礼子も後方に吹っ飛ばされ、廊下に倒れ込んだ。部屋からは真っ赤な炎が噴き出している。

 武と礼子は咳き込みながらなんとか起き上がった。

「大丈夫か!」

「だ、だいじょぶ……」礼子は、何が起こっているのか分からない、といった様子である。

「スプリンクラーは付いてないのかよ!」武は天井を見回すが、あきらめたような表情になる。

「こっちは無理だ。非常口があるはずだ。行こう」

 武は礼子の手を取り、元来た廊下を戻って行く。

 廊下の途中にあるギブアップボタンを見つけるたびに武はボタンを押すが、何の反応もない。


 浮世絵のある畳部屋へ戻って来た。煙はさらに増している。

 武は右側の襖を勢いよく開けた。そこは同じような六畳の畳部屋だが、向かいの壁際に甲冑を着た武士が椅子に座っており、周囲に刀が数本飾られている。向かって左右に襖がある。ただの甲冑の展示なのだろうか、武士は動かない。

 部屋の中はかなり気温が上がってきており、天井沿いに煙も充満してきている。

 武が武士に近づいてみると、がたがたと震えているのが分かった。

「おい! あんたさっきの武士だろ?」武が声をかけると、武士はがたがた震えながら何やらつぶやいている。

「か、か、火事です。火事です!」

 武士は怯え焦燥してしまっているのか、身動き取れずにいたようだ。

「非常口があるだろ! どこだ?」

「ひいいいいいいい!」

 武士は突然立ち上がり駆け出し、部屋の左側の襖を開け出て行く。

「おい待てっ!」

 襖の先は部屋に沿った廊下になっていたが、煙がさらに充満していた。

 武は礼子の手を引きながら前方を走る武士を追いかける。三人が走っている廊下の振動のせいか、天井から木くずのようなものが落ちてきているのが見えた。

「気を付けろ!」

 武が叫んだ時、ボンッ! という音とともに天井が炎に包まれ、目の前に崩れてきた。礼子は止まろうとして足を滑らせ、武は後ろを振り返って礼子の上半身を覆い隠すように二人とも倒れた。木の板や火の付いた破片が降りかかって来る中、武は礼子を引っ張り、元来た方へ移動した。

「大丈夫か!」

「だ、だいじょ……痛っ!」

 礼子の右足のくるぶしあたりから血が出ている。落ちてきた木の破片が刺さったのだ。武はポケットからハンカチを取り出し、血の出ているくるぶしを包むように縛った。

 武士が駆けて行った方は、崩れた天井や壁の破片で埋まっており、炎で覆われている。

「立てるか?」武は礼子の手を取った。

 礼子は立ち上がろうとするが、激痛に歪んだ表情で右足を押さえて倒れ込んだ。

「む、無理みたい……」礼子は涙を流す。

「ご、ごめんなさい……、私のせいで、こんな所に来なければ……」

「何言ってんだ!」

「武は逃げて……、私はいいから逃げて……」礼子は涙を流し続けている。

「ふざけんな! 痛みはこらえろ!」

 武は礼子をおぶり、提灯ライトを口でくわえ、元来た方へ進んだ。

 武士の居た部屋に戻って来た。壁の一部が燃え始めており、煙がかなり充満し、視界もかなり悪くなっている。

 元々この部屋に来た入口への方へは戻れない。となると、まだ行っていないもう一方の襖を開け進むしかない。

「げほっ……、規模からしてゴールは近いはずだ。とにかく行くしかねぇ……」

 武は襖を開けた。

 そこは同じような六畳の畳部屋で、煙も炎もなかった。

 隅に鏡台が置かれているのが見えた。部屋の壁は全て襖になっており、つまりここから三分岐という事を意味した。

 直後、バーン! という音とともに、元居た部屋から炎が噴き出してきた。

 後方から壁の破片などが飛んできて、武は礼子もろとも倒れ込んだ。提灯ライトが壁にぶつかり落ち、消灯した。

「バックドラフトか、俺としたことが……」

 部屋の天井、壁が炎に包まれている。肌が焼けるように熱い。もはや、どこにも移動できない。

「げほ……。礼子、大丈夫か?」

 礼子は気を失っているようだ。煙による一酸化中毒かもしれない。一刻の猶予もない。しかし、もうどうすることもできない。

 武もどことなく意識がぼうっとしてきた。妙に眠い。

「ダメかもしれねぇ……。悪いな礼子……」

 薄れゆく意識の中、武は目の前にある鏡台の鏡を見た。

 そこには、着物姿の女性が映っていた。武が顔を部屋の中に向けると、綺麗な水色の着物を着て、切れ長の澄んだ目をした大人の女性が立っていた。

「スタッフの人! 非常口はどこですか?!」

 着物の女性はゆっくりと武に背を向け、炎の壁に向かって歩いていく。

 武は起き上がり、礼子をおぶり、着物の女性に付いていく。

「ちょっと! 火が!」

 武が叫ぶと、何故か周囲の火は消えていた。煙も無い。熱くもない。

 着物の女性は目の前の襖を開け、廊下を進む。武は礼子をおぶりながらその後ろを付いて行く。なぜかとても静かで、女性と武の木の床を歩くギシギシという音がするのみである。武は意識が朦朧としつつも、女性に付いていく。

 ふと気づくと、目の前に鉄製のドアがあり、ドアの上に「非常口」と書かれた誘導灯が見えた。

 武はそのドアを開けると同時に、意識が遠のいていくのを感じた。


「大丈夫ですか!?」

 大きな声で武は意識を取り戻した。

 側にいる救急隊員が武に声をかけている。

 武は地面に置かれた担架に乗せられており、酸素マスクが付けられている。

 消防車が何台かあり、消防士らが放水している姿が見えた。お化け屋敷はところどころで炎が上がっている。

 救急隊員らが礼子を乗せた担架を救急車へ運んでいるのが見えた。

「れ、礼子は!」武は身を乗り出した。

「足の怪我と、一酸化炭素中毒の症状が少し出ていますが、大丈夫だと思います。あなたもこれから病院に運びます」救急隊員は礼子の方を見て言った。

 武は一安心したように担架に体を戻したが、近くの地面に座っている男性を見つけて、がばっと起き上がった。酸素マスクも外した。救急隊員は驚いた様子で何かを言っている。

 座っている男性の近くには甲冑が脱ぎ捨てられている。武はその男性に近づいた。

「おいあんた、屋敷にいた武士だろ? 俺らをほっぽってよく逃げ出したもんだな」

 男性は武を見上げて驚いた表情をする。顔は黒くすすけている。

「す、すみません! もう、わけがわからなくて……」

 武はしかたがないといった表情をした。

「でも、着物の女性のおかげで助かったぜ。あのスタッフさんも避難できたんだろ?」武は周囲を見回す。

「白装束の女性スタッフのことでしたら、避難できました」

「ああ、貞子ね。それとは別の、水色の着物姿の女性の事だよ」

「は? いえ、今日は場内スタッフは私と白装束の二人だけです」

「え?」

 武はまだ燃えているお化け屋敷を呆然と眺めた。

 

 数週間が経過した。

 あの遊園地からさほど遠くない所にある寺の敷地内の墓地に、武と礼子は居た。

 小さな墓の前に二人はしゃがみ、目を閉じ、手を合わせている。墓には花が供えられている。

 二人は目を開け、立ち上がった。

「足に痛みはないのか?」武は礼子の様子を見ながら聞いた。

「うん、だいじょぶ。走る事だってできるから。武も何ともない?」

「ああ、俺は早々に退院したしな」

 お化け屋敷の火災は、配電盤の漏電が原因だったそうだ。きちんと点検が行われていなかったらしい。また、スプリンクラーの設置がされていなかったのも問題だったと、テレビのワイドショーでも取り上げられていた。遊園地は今も休園が続いている。

「しかしまぁ、よく墓の場所が分かったな」

「どういう風の吹き回しか知らないけど、武が探してくれって言うから調べたわよ。ここがお夏さん。そしてこっちが旦那さん」礼子はお夏の墓の左隣にある墓を手で示した。

「自分を置いて逃げた旦那が隣ってどういうことだよ」

「お夏さんの死後、旦那さんは自責の念にさいなまれたそうよ。もし自分が死んだらお夏さんの隣にしてくれと言ってたらしいわ」

「なんか勝手だな。お夏さんは喜んじゃいないだろうよ」

「どうかしらね……」

 寺は少し小高い所にあるため、少し離れた所にある遊園地の姿が見える。二人は遊園地を眺めた。

 礼子が改まった様子で武の方を向いた。

「ありがとう。私を助けてくれて」礼子は頭を下げている。

「おいおい、気色悪いな」

 礼子はクスッと笑顔になった。

「でも、私は気を失っちゃってたから分からないんだけど。よくあの状況から出て来られたわね」

「えっと、そりゃあ……」武は言いよどむ。

 あの着物の女性に助けられたいきさつは礼子には話していない。何故か、自分の中だけにしておきたい気持ちがあった。

「迷路なんて、理工学部の俺には楽勝なんだよ。右手法っていう攻略方法があってだな……」

「なにそれ」礼子はおかしそうに笑う。

 武は前を歩く礼子を眺め、お夏の墓の方を振り返り、心の中で言った。

「ありがとう。お夏さん」


(了)

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お夏の幽霊屋敷 貞弘弘貞 @SADA_HIRO

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