最終話:ご主人との新しい暮らしも悪くないのじゃ

翌日の昼下がり。即日発送、ネット通販にあった簡単な看板と絵馬のまとめ売りを買って、俺とミケは神社に向かっていた。秋も近づいてきただけあって、少し涼しくなっている。



「……こんなものか」


「いいと思うのじゃ」



拝殿の前に立て看板を置いた。優しく吹く風が、境内の空気を運んでいく。土草と砂利、木々の青々しい匂いがした。



『神様、諸事情により引っ越しました。現在こちらの住所にいます。御用の方はお尋ねください。願いごとは絵馬に書いて奉納してください。神様の使いの狐が運んでくれます。』


元より誰も管理していなさそうな神社だ。立て看板の一つや二つ、問題ないだろう。


……改めて読んで、重要なことに気づく。微かに弱くなった蝉の鳴き声が、静寂を打ち消していた。やべ、と思わず声が出てしまう。



「……ミケ、俺ヤバいことに気がついた」


「へっ?」


「どうやって使いの狐、集めるんだろ」


「あっ……」



無言で顔を見合わせた。



「……ご主人、考えてなかったのじゃ?」


「いや、ミケが狐だしなんとかなると……。なんか呼べないのか。コンコーンとか鳴いて」


「コンコーン! ……って、違うのじゃっ……!」


「その手の形は猫の手だぞミケ猫」


「細かいことはいいのじゃ!」



──沈黙。

顔が真っ赤だなー、こいつ。

……じゃなくて、どうするか。



「あぁでも、ほら、狐と交渉する用に油揚げ買ってきたじゃん。これ置いとけばいいだろ。狐語でミケから書いとけばいけるんじゃん?」


「狐語の文字なんてありゃしないのじゃ……。日本語を読めることを願って書いとくのじゃ」



そう言って、ミケが立て看板の裏に回る。市販の油揚げを袋ごと置くと、子供みたいにたどたどしい手つきで看板に何やら書き始めた。


『守り番の狐、募集中。報酬は油揚げ。一ヶ月に市販の油揚げを十個支給しますじゃ。』



「よしっ、帰るのじゃ!」


「通じるのか、これ……」


「……通じることを願う」



やることはやった。ちょっとした満足感を抱きながら、俺とミケは徒歩十分の家路を辿る。


木漏れ日の降る境内を出ると、日射しがウザったらしかった。眩しさに目を細めながら、田んぼの広がる脇道を歩く。


水路を流れる水の匂い。どこも変わらない、土草の蒸した匂い。稲の青っぽい匂い。アスファルトの埃臭さ。すべて感じられるわけじゃないけど、微かに鼻に香った。



「なんか、そろそろ稲も黄色くなってきたな」


「困るのじゃ……秋はめちゃくちゃ辛いのじゃ……また人間に物乞いして花粉症を──」


「……お前、俺のとこにいるんじゃねぇの?」


「あっ、そうなのじゃ……へへ、つい癖で。毎年毎年、こうやって人間に世話になってたし」


「まぁ、たぶん花粉症もマシにはなるな」


「だと思うのじゃっ! お薬は偉大な"──っくしゅっ! あ"ぁ……言ったそばから……」


「久々に聞いたな、おじさん声……」


「おじさんじゃない"──っくしょん! う"ぇー……ここ嫌だ……絶対に花粉あるのじゃ……」


「はいはい、早く帰るか」


「……でも、なんか、あんまり実感ないなぁ」


「なにが」


「ご主人の家にずっといられること」



アスファルトの上を白線に沿って歩きながら、ミケはゆるっと尻尾を振りつつ零す。



「一ヶ月、二ヶ月って一緒にいて、ある時ふと分かるようなものなんだろうな、そういう幸せって。たった数日じゃ実感も湧かねぇし」


「ろまんちすと、じゃねぇ、ご主人」


「俺の鼻は今すぐにでも良くなってほしいんだけどな……真っ先に分かる幸せだろ。まぁ、じわじわ治してくしかないから困るんだが」


「一ヶ月先でもわらわがいるから平気だね」



二人で顔を見合わせて笑う。

少しだけ、吹く風が涼しかった。





ミケが定住することに決まって、数日、一週間、と、あっという間に日が過ぎた。神社の守り番をしてくれる野良の狐も、ミケの面接を通過し、無事にお迎え。すべてが順風満帆だ。


──俺の鼻が万全に良くならないことと、秋になり、ミケの花粉症がいよいよ本格的に悪化してきたことを除けば、の話……なのだが。



「はっ──くしゅ"っ! う"ぁー……」


「おいバカ、皿に唾が飛んだろうがっ……!」


「しょうがないのじゃ出ちゃうんだから!」


「せめて口を押さえるとかしろよ! あと顎にマスクかけてるんだったら即上げるとか!」


「食べてる時に咄嗟の動きは無理じゃっ!」



唾が飛んだ、ほとんど食べ終わりに近い俺お手製オムライスを睨みつける。匂いや味こそ前よりも少し分かるようになったものの、残念ながら、完全に治ったとは言いにくい。



「ったく……。これくらい食えるだろ。ほら」


「え"ーっ!? 残飯処理とか嫌じゃっ」


「こっちも嫌だ──っくしょん! あぁ……くっそ……これミケのせいで感染っただろ……」


「ふふんっ、わらわの苦しみを味わえ……!」



なぜか勝ち誇った顔で胸を反らしているミケを横目に、俺は二人分の薬をテーブルの上に置いた。真っ先に飲んでから点鼻薬も差す。なり始めが肝心っていうからな。予防予防……。



「やだよ俺……ずっとクシャミしてる音しかしない部屋なんて……。堪えろよせめて……」


「はーっくしょんっ……なんちゃって……えへ」


「……ぶりっ子ぶるなよ、早く食えよ」



苦笑する。ペットボトルのお茶を一口だけ飲み込むと同時に、ミケがすべて食べ終えた。



「ご主人、ごはん作ってくれてありがとなのじゃ」


「ミケにも作ってもらってるからお互い様だ」


「わらわは住まわせてもらってる身じゃから。ご主人にご奉仕するくらいは当たり前」


「じゃあ、あとでメイド服買わないとな。せっかく狐なんだし大正ロマン風とかどうだ」


「おぉ……懐かしき大正の時代……! あの頃は良かったのじゃ。よおろっぱの文明が──」


「何気にスルーしてたけど長生きだなお前」


「神様じゃからね。民を見守ってるのじゃ」


「それなら俺のことも見守っててくれ」


「もちろんじゃ。油揚げくれたらね」


「油揚げくらいなら買ってやる」


「えへへ……」



顔を見合わせて笑う。本当に楽しそうだ。というか、ぶっちゃけ俺も楽しいもんな。


当初の目的はまったく達成していないし、むしろ悪化している感じではあるけども──少なくとも、ミケの境遇に関しては、少しだけ改善できたんじゃないと、密かに思っている。


ピンポーン──。



「あれ……? 誰か来たのじゃ」


「ここに来るやつなんか決まってるだろ」



ミケが耳も尻尾も隠さずに玄関へと向かう。俺もその後ろをついていった。少しだけ開いたドアの隙間から、鮮やかな狐色が──



「おっと」


「あっ、キューちゃんお疲れ様なのじゃっ! 今日も絵馬キチンと持ってきてくれたのじゃ? ご苦労さまじゃのー、ありがとねっ」


「キューン」



ミケの足元に擦り寄りながら、まだ子供みたいに小さい狐が絵馬をいくつか咥えている。それを彼女が手に取るや否や、前足でドアの向こうをちょんちょんと示し始めた。



「おー……また御用人が来たのじゃ?」


「だろうな」


「どれどれ……あっ、こんにちはなのじゃ」


「こんにち、……えっ? 狐……えっ?」



ドアの向こうに立っていた若いお姉さんが、混乱したように目を回し始める。……たいていミケの姿を見た人は、同じリアクションするんだよな。まぁちょっと驚くのも無理ないか。



「あの……神様に、相談がありまして……?」


「ぜひぜひっ! なんでも聞くのじゃ。ご主人はお茶出ししてあげてね。キューちゃんも少し涼んでいくのじゃ? いつもありがとじゃ!」


「キューっ!」



──ミケが神社じゃなくて我が家に引っ越したことで、参拝客がたびたび訪れるようになった。そんな人間たちのお悩み相談や頼みごとを、ミケと俺がペアになって解決することに。


予想していた結末とは少し……いや、だいぶ違っているけれど、ちょっと変わった日常も、悪くないなと思った。今もまだ夏休みだからな。



「それじゃご主人、今回も頑張るのじゃっ」



部屋に入り込んできた風越しに、お姉さんの付けている香水の爽やかな香りが匂ってくる。


隣に立つミケからも、昨夜のシャンプーの残り香を感じた気がした。俺の気のせいだろうか?


本当に何も解決していない、それどころか別に話は広がりつつあるけれど──まぁ、お狐様との同棲も、意外に悪くないか。



【あとがき】


ここまで読んでいただきありがとうございました! 作者の水無月彩椰です!


G`sこえけんに応募するために、締切ギリギリで書いた新作短編……のじゃロリお狐様のお話、無事に完結! ありがとうございますなのじゃ。


こういう短編を書く、コンテストに出す、というのは久しぶりなのですが、どんな形であれ、まずは完成してよかったなと思っています。


作品にフォローや応援、レビューくださった皆様、ありがとうございました! まだの方はぜひ……。励みになります!


ランキング上位作品が選考通過にも影響するらしいですね。本作はありがたいことに順位がどんどん上がっていき、9月3日現在、コンテスト内週間ランキング6位です! 本当に嬉しいです! ありがとうございます〜!


それでは、またどこかの作品でお会いしましょう!

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【短編完結】のじゃロリ狐が治療のためと称して自分の匂いを毎日嗅がせて寝かしつけてくれる話 水無月彩椰@BWW書籍販売中 @aya20031112

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