怨み電話

翠雨このは

****-***-***

 とある真夜中、リエの住むアパートの一室で、ケータイ電話の着信音が突然鳴った。

 

「もう、誰よ。こんな時間に……」

 

 リエは首を傾げながらもケータイ電話を手に取る。

 

「はい。もしもし」

 

 すると、電話の向こうから男性の低い声が聞こえてきた。


《……突然の電話、申し訳ございません。私共は“怨み電話”というサービスをお客様に提供している者です。あなた様はいま、とても深い怨みをお持ちではございませんか?》

 

「は? あの、何言ってるのかさっぱり分からないんですが……」


《はい……この電話はですね、特殊な電波を使っておりまして……怨みが強い人間にしかこちらの電話は繋がらない仕組みになっているんです。こちらの電波が繋がったという事はつまり、いらっしゃるのでしょう? 殺したいほど憎んでいる相手が》


「……」


 リエは男の話を聞いてみることにした──


《……ですから、そういった方々の強い怨みを私共が少しでも減らしてあげられたらなと思い、始まった新しいサービスなんです。私共が代行してお客様の怨みの源となるものをこの世から消してさしあげます》


「この世から……“存在すべてを”ってことですか……?」

  

《はい。ですが……怨み電話を使うにあたって、が一つだけございます》


「……ひとつ? なんですか?」

 

《はい。それは『怨み電話の存在を決してだれにも知られないこと』──です。もし、私共と電話をなされている姿を第三者に見られてしまいますと、あなた様から頂いた怨みはすべてあなた様のもとに戻ってきてしまいます……あなた様にその覚悟はありますか……?》


「それだけのルールでいいんでしたら……はい」


《やはりどなたか……いらっしゃるんですね》


──リエは決意した。


「……“一人”、お願いできますか?」


 次の日、リエはいつものように会社に出勤した。

 だが、社内はいつもとは違う空気に包まれている。

 

「あ! リエ」


 同僚のキョウコはリエを見つけるなり、慌てた様子でリエのもとに駆け寄った。 


「ねぇねぇリエも聞いた!? オカザキさんが今朝、布団の上で亡くなってたんだって……」

 

「え……」


 リエは全身から血の気が引くのを感じた──


(怨み電話だ……)


 亡くなった『オカザキ』という男は昨夜、リエが怨み電話サービスに指名した人物の名だった。


(まさか、ほんとうに死んじゃうなんて……)


 自分のデスクに座り、ぼーっとうなだれるリエ。

 そこへキョウコが心配そうにリエの顔を覗き込んだ。


「リエ、大丈夫? 今日顔色おかしいよ?」

 

 リエは魂が抜けた人形のようにぽかんとしたまま現実を受け止めきれていなかった。

 すると──


 ドサッ!


 リエの前に沢山の書類が無造作に置かれた。

 顔を上げて書類を置き捨てた人影に顔を向けると、同僚のユリコが悪戯な笑みを浮かべてこちらを見つめていた。


「ごめ~んね、リエ! コレ頼めるぅ~? 実はうちの親戚が突然倒れちゃったみたいで~。すぐに行かないといけなくなったんだけどぉ~。でもこれ明日までに仕上げないといけないんだ~? だから一生のお願いっ! 残りの仕事、片付けてくんないかな~?」


「え?」

「じゃ、お願いね!」


 ユリコはリエの返事を待たず、足早に立ち去った。

 

「ね、ちょっと!」


 楽し気に去っていくユリコの後ろ姿をリエは恨めしく睨んだ。

 すると、後ろからキョウコの大きなため息が聞こえた。


「ユリコのやつ! あたし、この前見たのよ! 朝はピンピンしてたのに、急に大げさに咳こみ始めてさ、風邪で早退したんだけど、その日の仕事帰りにあいつが合コンしてるのを見かけたのよ! 『親戚が倒れた』とか言う話もどうせ嘘に決まってるわ。本当ムカつくっ!」


 リエは目の前の書類に視線を移すと、次第に腹の底から沸々ふつふつと込み上げてくる怒りに拳を握りしめる。


(友達面して、私に仕事を押し付けて、自分は遊んでばかりだなんて……許せない!)


 思い立ったようにリエはケータイ電話を取り出すと、キョウコに「ごめん。トイレに行ってくる」と言って女子トイレの個室に入った。


──……ピピピピ


 すると、受話器のほうから信号が乱れる音とともに聞きなれた男の声がした。


《──はい。こちら"怨み電話"サービスでございます……怨みの御指名ですか?》


「はい」

 

《承知しました……では、“竹沢ユリコ”で宜しいですね?》


 リエは一瞬(なんで……)と思ったが、疑問よりも怨みの感情のほうが勝ったリエは深追いせず、疑問は胸の中にしまった。


「はい、お願いします」


──それから数か月後。

 社内には数か月前とは比べられないほど笑顔に満ち溢れたリエの姿があった。


(私をけなす人はもう誰もいない。私をいじめる人がいたら、電話一本で消してしまえるんだもの。私に怖いものなんてない!)


 リエはそれからも頻繁に怨み電話を利用しては、次々と怨みの相手を排除した。

 そうして、いつしかリエの周りには、リエを快く思う人間しかいなくなっていた。


 リエを邪魔する者がいなくなったせいか、リエの成績も順調に上がり、上司からも称賛されるようになり、リエの日常は好調だった。


……だが、日々変わるリエの様子に親友のキョウコは違和感を感じ始めていた──。



 * * *



 ある日を境にキョウコはリエの行動を見張るようになった。

 するとリエが突然、恐ろしい形相でケータイ電話を取り出し、足早に屋上の階段へと走っていく姿が見えた。

 キョウコは不安な思いに駆られつつ彼女のあとを追った。


──リエがやって来たのは屋上だった。

 彼女に気づかれないように足音を忍ばせてあとをつけると、リエは周りを気にしながら屋上の片隅に隠れた。

 キョウコはその様子を物陰に隠れて観察することにした。

 どうやら誰かと電話を始めているようだ。


(リエ、最近電話で抜け出すこと多くなったけど、一体誰と話してるんだろ……?)


 キョウコは軽い好奇心で聞き耳を立てた。

 そして、リエが放った一言に耳を疑う──


「……おかげさまで私の生活もとても楽になりました。あのオカザキもユリコも、いつも嫌味ばっか言ってた部長も、怨み電話サービスのおかげでみんな消えてくれて、もう心がサッパリ晴れました」


 リエの口から出た名前は、最近不自然な死に方を遂げた人の名前ばかりだった。

 

(まさか、リエが亡くなったみんなを……?)


 とんでもないことを聞いてしまった。

 リエは急いで警察に通報しようと服のポケットからケータイ電話を取り出した──


〈~♪〉


 突然、アプリの通知音がキョウコのケータイ電話から鳴り響く。


「!?」


 通知音に気づいたリエは世にも恐ろしい形相でキョウコのほうを睨んだ。


「リエ……今のハナシ、ほんとなの?」


 キョウコはリエの眼光に押し潰されそうになりながらも、なんとか声を振り絞り、リエに尋ねる。


「オカザキさんが亡くなったのもリエが関係しているの……?」


 しかし、リエは途端にうつむき、長めの髪を逆さにしたまま何も言わなくなった。


「ユリコもそうなの?! ね……どうして?」


 キョウコは必死になってリエに言葉を投げた。

 だが、リエは依然として反応しない。

 ただ、下に垂らしたリエの毛先だけが静かに揺れている。


「警察に行こう……ね? あたしも一緒についてるから。あたしたちずっと友達じゃん」


 リエのもとへ近づいたキョウコは彼女の肩にそっと手を置いた。

 すると、今まで沈黙を守っていたリエが小さく頷いた。


「よし。まずは警察に全部話そう! 話せば元のリエにもどる……」


 直後、一歩進んだところでリエの動きが止まった。

 その様子にキョウコは首を傾げる。

 その一方で、リエは怨み電話サービスの男と契約した際に交わした“ある言葉”を思い出した──


 

『……怨み電話の存在を決してだれにも知られないこと──です。もし、私共と電話をされている姿を第三者に見られてしまいますと、あなた様から頂いた怨みはすべてあなた様のもとに戻ってきてしまいます……あなた様にその覚悟はありますか……?』



(リエにだけじゃない。警察にも怨み電話の存在がバレたら……あたしの怨念が全部戻ってきて、私が消されちゃう!)


「どうしようどうしようどうしよう」


 たたずんだまま体を震わせてブツブツと唱えるリエの様子にキョウコは心配そうに声をかけた。


「ね、大丈夫?」


 リエの口元がかすかに動いた。


(何かを呟いている──?)


「リエ、何を言ってるの?」


 リエが顔を上げる──と、リエの頬は涙でびっしょりと濡れていた。


「ごめんねぇ、キョウコ……あたし、これを知られたら……ダメなんだ」

 

「え? リエ、何言ってるの」


 リエはケータイ電話を取り出すと、通話ボタンを押した。



「……“村橋キョウコ”をお願いします……」

 


 リエが涙を流しながら電話の相手にキョウコの名前を伝えると、受話器の向こうから男の低い声が返ってきた。

 

《──かしこまりました》



 * * *



 誰もいなくなった屋上──

 建物の下では、大勢のざわめく声が聞こえる。


「女性がビルの上から飛び降りたんだとよ」

「自殺かねぇ……」

「かわいそう……まだ若いのに」


 野次馬がビルの屋上から飛び降りたキョウコの死を嘆き悲しむなか、リエは人だかりに紛れ、動かなくなったキョウコの姿を静かにじっと見つめる。


(ごめんね。キョウコ……これしか方法がなかったの)


 リエは野次馬から離れると、交差点を行き交う群集の中へと消えていった──



 * * *



──キョウコのお別れの会に参列する人の中にリエの姿があった。

 擦り切れる泣き声に包まれた会場で、こちらを見つめて微笑むキョウコの遺影に一人一人が黙祷を捧げていく。

 自分の番になると、リエはキョウコの遺影の前に立ち、手を合わせて黙祷を捧げた。


(ごめんね、キョウコ……こうするしかなかったの。許して)


 その時、リエのポケットの中のケータイ電話が突然振動を始めた。

 リエは慌ててケータイ電話を取り出し、着信相手の名前に目を移すと【キョウコ】の文字が画面に表示された。

 瞬間、リエの耳元で女の声がした。



《ゆるさないわよ……》



 リエはその声を聞いた瞬間、背中を真水でぶっかけられたような冷たさが体中を巡った。

 受話器から聞こえた声は、間違いなくキョウコの声だった。


 直後、リエの目の前に黒い霧があらわれ、一瞬のうちにリエの体を呑み込んだ。

 四方八方から無数の黒い手が飛び出してきて、両手両足を掴み取られたリエは地面に勢いよく倒れこんだ。

 無数の手の力に引っ張られ、闇の底へと引きずられていくリエ。


 リエは残った力を振り絞り、片手に握りしめていたケータイ電話を使い、怨み電話サービスに電話をかけた。

 

《──はい。こちら、怨み電話サービスですが……》


「ちょっと! なんであたしが怨まれなきゃならないの!? なんであたしが……」

 

《あなた様に消された方々から、怨みの御指名が入ったのです……》

 

「は? 何でよ!? 死んだ人間にできるわけないじゃない!」

 

《何か勘違いされてませんか? 『怨み電話のお客様が』だなんて、わたくし一言も言っていませんよ》


「……どういうことよ?」


《怨みを持たれるお客様は生者よりも死者の方のほうが多くいるんですよ。お客様が生者だけですと、うちの会社は儲からないんです》


 男はそう答えると、電話はプツッと切れた──

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