一人心中

春海水亭

ED/エンディング


 ◆


「そういうことをできたことがないんです」

 夜中の一時を少し回ったぐらいになって、相田が言った。

 罪を告白するような口ぶりであった。

 相田の顔が赤く染まっているのは酩酊のためか、含羞のためか。

 言葉を吐き終えた刹那、彼の目は驚愕に見開いていた。

 この場にいる誰よりも、相田自身が自分の口から抜け出てしまった言葉に驚いているのだろう。


「じゃあ、童貞なんだ」

 相田の告解とは対象的に、からりとした声でりりぃが言う。

 胸元の開いたメイド風の衣装を着たキャストである。

 髪を緑に染め、ウルフカットにした若い女であった。

 二十歳を過ぎていることは間違いないだろうが、そのあどけない顔つきはどうも理性ある男を不安にさせるものがあり、また酩酊した男を深く暗い場所に誘うものがある。


「……まあ」

 相田はちらりと周囲を見回した。

 相田の隣では連れの高橋がカウンターに突っ伏して眠っている。

 このような店に来たことのない相田を誘ったのは高橋であった。

 翌日が全休の大学生である、その夜をしゃぶりつくしてやろうという思いがある。

 一軒目の居酒屋で大層酒を飲んだ後、奢ってやるから行こうと相田に言って、入店から二時間ほど経って、今はぐっすりと眠ってしまっている。

 店内を流れる今季アニメのオープニングテーマに混じって、高橋のいびきがかすかに聞こえてくる。

 オタクを対象としたアニソンバーである。

 平日深夜、他の客はもう帰ってしまって残されているのは相田と高橋の二人だ。

 もっとも、高橋もすっかり眠りこけてしまっているので意識のある客は相田しかいない。


「そういうこと……です」

 高橋の耳には届いていないであろうと思って、相田は呟くように肯定した。

 二十二歳――二年浪人して、今の大学に合格した。

 2021年度の出生動向基本調査において、十八歳から三十四歳まで間で「性体験が無い」と答えた割合は、44.2%、割合を考えれば童貞が珍しいというわけではない。

 しかし全体の動向が如何なものであろうと、実際に女性の前でそれを答えれば恥ずかしいものは恥ずかしい。


「へぇ、そうなんだぁ」

 その言葉に愉快そうにりりぃが言った。

 彼女の口元には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。


「うーん、結構かわいい顔してるのになぁ、ふしぎぃ。おっきいし」

 別にりりぃがおべっかで言っているわけではない。

 身長は180センチメートルで男性アイドルグループに所属していてもおかしくないような、凛々しさと可愛らしさの入り混じった顔立ちをしている。

 体型にも極端さはなく、痩せていても太っていても筋肉がつきすぎているというわけでもない。


「あたしだったら、ほっとかないかなぁ。ここ以外で会ったら……」

 そう言った後、カウンターから身を乗り出し、声を潜めて「うそ、今からでも食べちゃうよ」とおどけるように言って、くすくすと笑った。


 焼酎の水割りを相田は一息に飲み干す。

 情欲の火は胸の奥から現れて、耳の先っぽまで炙っている。

 その火が身体を焼く痛みを誤魔化すためにはアルコールの力が必要だった。

 あまりにも扇情的な女だった。


「もう一杯下さい」

「そんな飲み方、身体に悪いよ」

 肉欲から目を背けて酒に逃げ込もうとする男を見て、女は再び笑って水を注いだ。

 冷えた水が、喉を通り身体の内側で燃える火を少しだけ落ち着かせた。


「……けど相田さん周りの女は見る目が無いね、じゃあ誰とも付き合ったこと――」

「付き合ったことはあるんです」

 相田はりりぃの言葉を最後まで言わせなかった。

 そこに最後の尊厳があるのかのように、割り込み、言った。


「まあ」

「ただ、アレがその…………」

 沈黙がほんの少しだけ長く続いた。

 最後の言葉は相田の口内で具体的な言葉にならないまま、ただ彼の中を曖昧に巡っている。


「本番では、ふにゃっと」

 りりぃは沈黙を切って捨てた。

「……えぇ」

 苦々しい顔で相田が頷く。

 そこで抑えきれなくなったのか、りりぃはきゃんきゃらと輝くように笑った。


「わあ、かわいい」

 心で思った言葉は一切濾過されることなく、りりぃの口から零れた。

 それ以上の思いも彼女の心の奥底で渦巻いている。

 出会って数時間の身長ばかり大きいだけの男をカウンター越しではなく、ベッドの上で弄んでやりたい。

 顔が見たい。

 この男が自分と繋がった時、どのような可愛らしい顔をするのだろうか。

 この男が自分と繋がれなかった時、どのような可愛らしい顔をするのだろうか。


「ねえ」

 りりぃはもう一度、カウンターから身を乗り出して相田の耳に口を当てて、そっと囁いた。

「あたし、今日はもう帰る時間だから……送ってほしいなぁ」

「えっ」

「あ、なんかヤらしいこと考えた?」

「いえ……」


 その瞬間まで、相田が断ろうと思っていたことは間違いない。

 隣で眠る高橋のことであるとか、今までの相手だって段取りというものがあったではないか、とか、そもそも相手がからかっているだけかもしれないし、そもそも何らかの犯罪に巻き込まれてしまうのではないか、とか、そもそも自分は……とか、そういうなけなしの理由を集めて壁を築こうとしていた。


「いいけどね」

 そう言って、女の柔らかな手が男の手を握った瞬間。

 もう、それだけで何もかも吹き飛んでしまって、それ以降は「はひ」とか「ひぃ」とか、言葉のようなただの鳴き声を吐き出しながら、こくこくと頷くことしか出来なくなってしまっていた。


 心臓の音がうるさい。


 ◆


 りりぃの向かった先はどう見たって家ではなかった。

 かといって、ラブホテルというわけでもない。


「ごめん、忘れてた。もう終電無いんだった……始発まで、ちょっと休んでいこうよ」

 全国に展開しているネットカフェである。

 流れるように手続きを済ませ、二人は他の部屋よりは多少は広いカップルシートで向かい合っている。


「ガッカリした?」

 声を潜めて、りりぃが言った。

 ネットカフェの壁は薄く、普通で喋るぐらいの声量ならば他の部屋にも容易に届く。


「いえ」

 確かに落胆はある。

 だが、安堵の気持ちの方が相田には大きかった。

 下腹部で燃える淫靡で甘い火は、己を容易に焼き焦がす。

 目の前の女に完全に下に見られていることはわかっているが、それでも恐ろしい。

 結局、正しい性交を出来た経験はない。

 火は心の中で燃えるっているというのに、その火を灯す蝋燭の方がぐにゃりと溶けてしまう。

 その結果、罵倒されたことはない。

 ただ慰められ、次への期待をし、優しいまま――いつしか関係は終わる。

 別れて当然であると思う。

 ただただ自分が情けない。

 いっそ、二度と女を抱こうと思わなければ良いとすら思う。


 それでも、今こうして――本能の火は、熱く、甘く、燃えていた。

 今度こそは正しい方向に歩ける、と。

 その火が指し照らす道に相田は衝き動かされている。そうしてしまっている。


 抱けないというのならば――悲しい。しかし嬉しい。

 道の先にあるものが拒絶であるのならば、一生暗闇の中を彷徨っていたい。


「ちょっと後ろ向いて」

 何故、そう思うまもなくくるりとりりぃに後ろを向かされる。

 ただ、遅れて「はい」と相田は答えた。


「相田さん、敬語の方がラクな人?」

 今更気づいたかのようにりりぃが笑う。


 敬語のほうが楽だ。

 誰に対しても距離が一定になる。

 距離感というものを間違えるぐらいならば、最初から誰に対しても同じだけ離れればいい。

 そういうことを頭の中で考えるだけで、相田はただ頷いた――


「じゃ、ヤろっか」

 瞬間、暗闇に閃光が走った。

 一瞬、火が強く燃え上がり道を照らす。

 りりぃは耳元で囁き、背後から相田の右手の指に自身の指を絡める。

 初めから一つの生き物であったかのように、体温が一つになる。 


「声出したらバレるよ」

 肌が密着し、二つの膨らみを相田はその背に感じた。

 声を上げそうになったのを必死で堪え、相田はただ耐えた。

 りりぃの左手が相田の唇に触れた。

 人差し指だけをそろりと伸ばして、囁く。


「あたしの指にキスしてて」

 一つの生命だった右手が解けて、雄と雌に戻った。

 その右手が相田の下腹部に向かって動く。


「今から声が出ちゃうようなことをするからね」

 じい。

 ファスナーを下ろす音がやけにうるさい。

 窓が開く。

 中の物を淫靡な手が撫ぜる。

 時に優しく、時に刺激的に、時に手が獣の口になったかのように烈しく。

 相田は蹂躙されていた。

 ひたすらに声が出ないように、赤子のように指をしゃぶりながら。

 唾液で細く長い指が濡れる。

 相田の全身がじっとりと汗ばむ。

 その瞳にはうっすらと涙さえ浮かんでいた。


「……あれぇ?」

 五分ほどが経過し、りりぃは首をひねった。

 中折れ――勃起していても性交中に陰茎が萎んでしまうことである、つまりは相田が性交出来ない原因はそれであると思っていた。

 だが、根本的に勃起していないのである。


 りりぃは手を止め、不思議そうに首をひねった。


「いったん、やめ」

「……っ、はい」

「ごめんね」

 後ろから指で相田の涙を拭い、くるりともう一度相田に向き直る。


「かわいい」

 もう一度、心で思った言葉がりりぃの口からそのまま零れ出た。

 そういう顔を相田はしていた。

 己の内側をとろりと融かす快楽の火は、もう残り火すら無い。

 ただその火と同じ熱量の自己嫌悪が己を焼いている。

 情けなくて、可愛らしい顔だ。


「……違うんです」

「違う?」

「……いつもは。ちゃんと出来るんです」

「んん?」

「ただ……」

 相田はごにょごにょと曖昧な言葉を吐いた。


「ん?」

 りりぃが微笑を浮かべて、聞き返した。

 どこまでも優しい顔をしていた。

 優しいからではないのだろう、と相田は思った。

「逃げてしまおう」と頭の中の冷静な部分が言った。

「きっと、お前は何も言えないぞ」と続ける。

 その言葉通り、相田は何かを言おうとしてずっと黙ったままだった。

 相手が諦めてしまうまで、黙っている――そういう信じられないような処世術がこの世界には存在する。

 自分が傷つきたくはない、しかしはっきりと拒否することも出来ない。

 その結果、歪んだ対処法に辿り着いてしまうこともある。


「気になるなぁ」

 だが、りりぃは真っ直ぐに相田を見つめた。

 目線を逸らそうとすれば、その目線を追い。

 顔を伏せれば、下から相田を睨め上げる。

 心底他人を玩具としか見ていないし、嫌われてもどうでもいい――世の中にはそういう人間がいて、その中の一人がりりぃという女だった。

 逃げるしかない。

 だが、逃げれば嫌われる。

 黙っているのだって愚かなことだが、能動的に行動を起こすよりはマシだと思っている節が相田にはあった。


 結局のところ、女だけに限らず人間関係そのものに不慣れなのである。

 それでもどうかして女を抱く寸前まで行けたのは、顔が良く、身長が高く、その雰囲気がなんとなく放っておけないようで可愛らしい存在だったからである。


 じっと見られている内に、相田は泣きそうになった。

 結局のところ、自分が喋るまでは終わらないのだ。

 つまりは己の秘密を。


「……首を」

「ん?」

「その……首を絞められたり、身体を切ったり、そういうことをしないと――」


 絞り出すような声で相田は「勃起できないんです」と言った。


 ◆


 その年の夏は長い時間を人間と同じ体温で生きていた。

 生きているだけで汗が滲む、外に出るなどとても推奨出来ない。

 そんな暑い夏の日に、相田はコンビニに向かって歩いていた。 


「キミ、おっきいねえ」

 中学三年生の相田に声を掛けたのは、制服から察するに女子高生だった。

 黒い長袖のセーラー服、黒く長い髪、雪のように白い肌、リボンだけが血のように赤い。

 身長は170センチメートルほど、女性としてはかなり高い。

 それでも、十五歳の時点で既に今の身長になっていた相田に比べれば10センチメートルほど低い。

 そんな女子高生がこの真夏日にセーラー服を着て、影にも入らず歩道の隅に佇んでいる。


 女子高生がほんの少しだけ相田を見上げて、笑う。

 妖艶に、笑う。

 心臓が、高鳴る。

 どれだけ離れていたとしても、三歳だ。

 けれど、若い頃の三年の差は大きい。

 少女ではなく、女だった。

 その色香にもう出会った時点で堕ちてしまった。


『初恋?』

 相田の過去に割り込んで、りりぃが尋ねる。

『……初恋というなら小学校の時でした』

『その子とは付き合えた?』

『見てるだけでした』

『そういうところありそうだもんね、相田さん』

 愉快そうにりりぃが笑う。

『ごめん、続けて』


「あっ、はい」

 女子高生の言葉に対し、相田はそのように返事をした。

 それから沈黙があった。

 その沈黙にするりと滑り込んで、蝉が鳴いている。

 沈黙をみっしりと埋め尽くしてしまうほど、盛大に命を歌っている。


「聞いたりしない?」

「えっ」

「イヤ、行くなら行くで良いんだけど、そのまま黙っちゃうから……聞きたいことがあるなら、聞けばいいのにな~って、例えば私が何をやっているのか、とか」

「あー……」

 しまったな、と相田は思った。

 よっぽど親しくないと会話のキャッチボールというものが苦手だ。

 家族でさえ、上手く行かない。

 なにか聞いたほうがいいとか、上手い答え方が、とかそういうことがとっさに思い浮かばず、後から思いついてばかりいる。


『まあ、普通はそういうのテキトーにやるけどね』


「なっ、何やってるんですか?」

 真夏の日に、セーラー服を着て、日差しを浴びている。

 一番近い言葉は自殺だろう。


「んふふ」

 尋ねられて嬉しそうに女子高生は笑い、答えた。

「日向ぼっこ」

「……」

「言いたいことがあるなら、言ってもいいよ」

「えーっと、その……暑くないですか?」

「暑いよ」

「どっか行ったほうがいいですよ……」

「そうだね、じゃあ……」

 微笑んだままの女子高生が誘うように言った。


「私、これから帰るんだけど……キミも一緒に来ない?」

「えっ」


 繊細な唇が誘惑の言葉を紡ぐ。


「ウチ、誰もいないよ」

 鼓膜どころか、心臓が震えた気がした。


『ヤッベェ女ァ~!変態じゃん!』

 愉快そうにりりぃが笑う。

『じゃあ、アレ相田さん変態の女子高生に誘われたワケ?』

 モッテモテじゃんとからかうように相田の脇腹を突く。


 どう返事をすればいいかわからなかった。

 ただ、無言でコクリと頷いて、女子高生の後を相田はついて行った。

 騙されているとか、からかわれているとか、そういうことは一切頭になかった。

 ただ、早鐘を打つ心臓が相田を急かしていた。

 相田の頭は愚かだったが、身体だけはどう動くべきかを知っている。


 五分ほど歩いた木造建築の平屋が女子高生の家だった。

 然程広くはない。

 家中がカーテンに覆われていて、薄暗く、どこか湿っている。

 怪しい。

 けれど、それがどうしようもなく相田の感情を走らせる。


 電気をつけていないが、僅かに漏れてくる外の日差しで中の輪郭ははっきりとわかった。

 彼女の部屋らしき部屋に招かれて、座らせる。


「……ねぇ、キミ。知らない人に着いてきちゃダメってセンセイに教わらなかった?」

 暗い部屋の中、女子高生の姿は曖昧な影を相手にしているようで輪郭しかわからない。けれど、相田には女子高生のからかうような笑みがはっきりとわかった。


「えっ」

 冷や水を浴びせられたようだった。

 からかわれている――その可能性にようやく、気づいてしまった。

 相田の桃色にのぼせ上がった頭が、ようやくマトモに動こうとしている。


「いけないよ、キミ。そういうことをしたら……とんでもないことをさせられるかもしれないよ」

「とんでもないこと」

 しかし、ふっと風に揺れた欲望の火が再び燃え上がった。

 女子高生がセーラー服の袖をめくった。

 薄暗くてよく見えないけれど、なにかしらの線が走っているように見えた。


「舐めて」

「……っ!」

 口では驚いている。

 良識は拒絶している。

 けれど、身体は今すぐにでもそれを舐めたがっている。


「……手首から肘まで」

 女子高生は指でつうと線を引いた後、その線をなぞるように自分でも舌を這わせた。

 暗闇で見えないはずの唾液の線が見えた気がした。

 そのすぐに乾いた唾液の線を、欲望を追うようにすろうと相田は舐めた。

 その肌には線上の奇妙な膨らみが幾つもあった。

 舐められる度に、女子高生の身体はぞくりと震えた。


「ねぇ、キミ。アームカットって知ってる?カッターでね、自分の手を切っちゃうの。痛くてね、気持ちいいんだよ……」


『ヤッベェ女ぁ!』

 また愉快そうに、りりぃが笑う。

『でも、相田さん……いや、相田さんじゃなくても逃げないか』

『……』

『どんな変態だって、食いついちゃうからね。童貞はね。セックスっていうか、そういうのじゃないからね。なんていうか相手に許されたいと思ってるからね。距離を詰めることを女の方に許してもらえるんなら何でもやるでしょ?』


「やってみない?」

 荒い息と心臓の高鳴り。

 興奮が暗い室内を満たしていく。

 

「やってみない……って?」

「親指でね」

 女子高生がカッターナイフを取り出し、親指を切った。

 ぷくりと赤い玉が弾け、流れる。

 その傷口で相田の頬を撫ぜる。


「親指と親指の傷で……チュー」

 人差し指で己の頬についた血を相田は撫ぜる。

 尋常の環境ではない。

 けれど、相田にとっては初めての赦しだった。


「やってみたくない……?」

 厭だ。

 痛いに違いない。

 正気の沙汰ではない。

 けれど、考えてしまっている。

 血に濡れた親指と親指が重なる。

 相手に触れたい。


「あぁぁぁぁぁぁっ」

 時間をかけて、相田は刃先を親指の平に押し付けた。

 不慣れだった。

 血がだらりと溢れる。

「ちゅーっ」

 その赤く濡れた指先が女子高生の親指と重なる。

 オナニーのような甘い愛撫の快楽は無い。

 空想の中で揉んだ乳の柔らかな感触もない。

 けれど、幸福だった。

 そういうものに、相田は出会ってしまった。


「ねえ、また来なよ。キミ……連絡先教えて」

 血の口づけよりも赤い唇が、甘い誘いの言葉を吐いた。

 相田はただコクコクと頷くことしか出来なかった。


『これだから童貞はねぇ……』

 呆れるようにりりぃが言う。

『変態女子高生の内緒の玩具になったワケね。もう、オチはわかったんだけど、一応聞いたげよう』


 家に帰ってきた時に、まともになる機会はあった。

 マトモな女ではない。

 連絡先を消して、二度と会わなければ良い。

 きっと、マトモな女と付き合う機会は――あるのだろうか、と相田は思ってしまった。

 初めてのものは、それが全てのように思える。

 初めての恋人に対して結婚というゴールを見据えてしまうようなものだ。

 初めての一回はその後に何回も機会があれば、後からそれがただの一回だと知ることが出来るだろう。

 だが、誰が未来があると知れるだろう。

 誰が欲の炎に焼かれた理性に従えるだろう。

 女子高生からの連絡が届く。

 相田は返信をする。

 沼に足を踏み入れてしまった。


 切り、殴り、打ち、縛り、締める。

 そういうことをやった。

 自分の痛みよりも、女子高生がうっとりとした瞳になることが相田には嬉しくてたまらなかった。

 赦しを得る快楽。


『つまるところ、恋愛関係はそういうものだなんて言ったりしない?』

 つまるところ、恋愛関係はそういうものだ。


『も~!』


 その関係性が唐突に終りを迎えたのは、女子高生が相田に飽きたからでもなく、相田が女子高生に怯えたからでもない。

 その、関係性が相田の両親に露見したからだ。

 恋愛関係というにはあまりにも異質であった。

 むっつりと押し黙って、相手が誰であるかは決して喋らなかった。

 けれど通院と転校の手続きは速やかに行われ、連絡手段は破棄された。


「じゃあ、もう会えないね……」

 夜中にそろりと抜け出して、昭和の恋人のように小石で窓を叩き、女子高生に来訪を告げ、静かに二人抜け出して、夜中の公園で仲睦まじく寄り添い合った。


「ねえ、キミ……私達」

 いつものように瞳をうっとりとさせて、女子高生が何かしらの言葉を発しようとした。

 けれど、ただ黙って――その後のことは何も言わなかった。

 ただ、言い訳をするように「いつか、また会おうね」と言った。

「はい」

 切らず。

 殴らず。

 打たず。

 縛らず。

 締めず。 

 二人は幼い子供のように、指を絡めた。

 赤い糸は血の色をしている。


 その後の新聞記事で、一人の女子高生が溺死したことを相田は知った。

 あれから相田は普通の人間が失恋をしたように、新しい恋人を作り、そして別れた。


 だが、普通の人間は彼女の死を知った時に、一緒に死んでしまったのだろう。


 ◆


「だから……」

 言葉を続ける前に、りりぃは相田の首を締めた。

 ただ、強く、強く、強く。

 相田の股間が膨れ上がり、そしてパンツを濡らした。

 尿でない臭いが周囲に広がる。


「セックスはあの世まで取っておくんだね」


 相田はただ一人、射精した。


【終わり】

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