リロードとシャッガァーン

神崎 ひなた

*Reload*

 妻はよく杉田智和の真似をする。渋い顔で「シャッガァーン」と言いながら、僕の金玉を掴んでリロードの仕草をしてみせるのだ。そのたびに僕の脳裏には杉田の顔と声が過ぎって、微妙な気分になる。

 杉田智和のアジルスちゃんねる。言わずと知れたバイオハザードの実況チャンネルである。いや、実際はもっと多様な情報を発信しているかもしれないが、それ以外のアジルスちゃんねるを僕は知らない。そもそもアジルスがなにを意味しているのかすら知らない。

 僕は、杉田智和を知らない。

 僕は、アジルスちゃんねるの由来を知らない。

 そして僕は、妻が金玉をシャッガァーンする理由を知らない。


 という話を女友達のヤミタに相談した。つい最近、カウンセラーの資格を取ったとか言うのでその実力を試してやろうと思ったのだ。しかし、女性に金玉シャッガァーンの話を? と思うかもしれないがヤミタは性格が終わっているので問題なかった。むしろこんな話でもないとアイツの興味は引けない。いい年をして、なんでも屋とかいう得体のしれない仕事に精を出してる異常な女なのだ。


「そりゃアンタ、発情してるでしょ。嫁が」


 とヤミタは開口一番に言った。身も蓋もない女だった。オブラートに包むということを知らない、最悪のカウンセラーだった。だから僕以外に友達がいない。かわいそうな女だった。


「誰がかわいそうな女じゃ。いいんだよ。友達なんているだけ面倒くさいだけだから。それより、アタシからすればアンタの嫁の方がかわいそうだけど」


 とヤミタは言う。


「結婚して二年も経つのに、まだ抱いたことないんでしょ?」


 その通りだった。


「結婚生活二年目で童貞って、どうなのさ。それは」


「それは……」


 どうなんだろう、と僕は思った。実際、どうなんだろう。モヤモヤとした得体のしれない煙が、いつまでも肺から出ていかないような気がして、何も言葉が出てこなった。


「黙ってるままじゃなにも分かんないよ。アンタも、嫁も」


 ヤミタは電話を切ってしまった。そのすぐ後、SNSにメッセージが届いた。


『もしかして清純なボクにはヤリ方が分からないのカナ⁉️どうしてもって言うなら、お姉さんが手取り✋足取り🦵🏿🦵🏾教えてあげようカナ⁉️(^_-)-☆』


 バカ野郎。なにがカウンセラーの資格だ。期待したコッチがアホだった。俺はヤミタのアカウントをブロックした。

 寝室に戻ると妻がズオーーーーと寝息を立てていた。起こさないようにゆっくり隣に寝転んで寝顔を観察する。小顔。ショートボブに長いまつ毛、整った顔立ち。何回みても僕には勿体ない嫁だ。未だに、どうして彼女が僕のような何の取り柄もない奴と一緒になってくれる気になったのだろう。

 僕はヤミタのバカ野郎と思いながら、眠る彼女の胸に向かって手を伸ばした。童貞くらいその気になればいつだって捨てられるんだ。もう結婚しているのだから、そういうことがあってもおかしくない。いやむしろ、今まで全く何も無かった方が不自然じゃないのか。そういう意味では僕よりも、ヤミタの反応の方がよほど世間一般常識に近い。

 なら、どうして抱かないのか。


「ムーニャムニャムニャ」


 その時、妻が寝返りを打ってあっちを向いた。心臓が飛び出そうになった。もしかして、ずっと起きていたんじゃないかという思いで頭がいっぱいになった。でも、それを確かめる勇気は無かった。

 もう夜も遅いし、寝ているのを起こすのも悪いから……。そう自分に言い聞かせて僕は布団を被った。



 次の日、目覚めると妻は僕のズボンを脱がして金玉を熱心に観察していた。なんでやねん。そうマジマジと見られると恥ずかしいんですが……。という寝ぼけ眼の視線を送っていると、しばらくして妻と目が合った。


「シャッガァーン」


 妻は杉田の声真似をしながら、僕の金玉を優しく掴んでガシャコンと手前に引き寄せた。そして「へっへっへっ」と笑いながらそそくさ逃げていった。なんだか前にも似たようなことがあったと思ったら、昨日もまったく同じ起こされ方をしたのだった。あんな事があった後でも、僕のシャッガァーンは大人しいままだった。まるで刈られる時を待つ向日葵のように、がっくりと項垂れたままだった。

 妻はいつも笑顔を絶やさない。どんな時もニコニコしていて可愛いらしい。愛くるしさを常に振りまいている。だけど、いつも笑っているからといって、その心が、いつも楽しさに寄り添っているとは限らない。

 一体、妻はどういう気持ちで僕の金玉をシャッガァーンしているのだろうと思った。

 だけど、それを尋ねることは出来ないのだろうとも思った。



 妻が金玉をシャッガァーンする回数は日に日に増していった。朝はもちろん、風呂上がりにもバスタオルを引っペがして金玉をシャッガァーンする。その度に僕は微妙な表情をする。そんな日々が続いたある日、朝起きると妻が猫になっていた。


「ナォ~」


 布団の上できちんと背筋を伸ばし、お座りしたネコが、眩しそうに目を細めながら僕を見下ろしている。ネコの柔らかい肉球は、しっかりと僕の金玉の上に置かれていた。それ即ちシャッガァーンである。だから僕は、このネコが妻に相違ないと確信したのだった。

 僕はベランダでタバコを吸いながらヤミタに電話をかける。1コール目でヤミタは出た。暇人かよ。


「妻がネコになっちゃったんだが……」


「知るかよ。そんなことよりテメー、なにアタシのX、ブロックしてくれてんだよ。イーロンにスパム垢だと思われちまうだろうが」


 良かった。ヤミタはヤミタのままだ。きっと世界が終わる日が来ようとも、コイツだけは変わらず、まるで意味の分からない人間のままだろう。僕は少しだけ落ち着きを取り戻した。


「警察に相談した方がいいかな?」


「バカだと思われて終わりだからやめとけ。どうせすぐに戻ってくるよ」


「でも、財布も携帯もそのままで……」


「放っとけ。どうせアレから嫁を抱いてないんだろ」


 ヤミタは確信しているかのように言い切った。


「戻ってくるって信じて、待つしかないだろ。そのネコがお前の嫁なんだとしても。そうでないにしても。今、お前ができるのはそれだけだろ」


 あといい加減にXのブロック解除しとけ、と言い残してヤミタは通話を切ってしまった。



 結局、僕はヤミタの言う通りにした。警察には相談せず、ネコのおもちゃやエサを買いに行って一日を過ごした。その間も、頭の中は妻のことでいっぱいだった。

 妻がずっと送り続けていたサインに僕はずっと気が付かなかったんだと、その時になってようやく分かったような気がした。

 金玉をシャッガァーンする、弾丸をリロードするという行為の意味。弾を込めた後の銃の使い道なんて、一つしかない。そのたった一つの使い道から、僕は目を逸らし続けてしまった。きっと妻なりに一生懸命考えてくれた方法だったはず。できるだけ自然に、できるだけ楽しく。できるだけ明るく。できるだけ僕を傷つけない方法で、サインを送り続けてくれたのだろう。

 妻の名前でネコを呼ぶと、チャカチャカと足音を鳴らし、僕の元にやってきた。なにを食べさせたらいいか分からないので、マグロのブツ切りを食べさせる事にした。妻が好きだったマグロを。


「ニャッチャムニャチャッチャッ」

 

 ネコは凄い勢いでマグロを食い散らかし、空になった皿を蹴っ飛ばすと寝室に戻っていった。僕もやることがないので早々に眠る事にした。



 夢を見た。妻と出会った頃の夢を見た。とても可愛らしくて笑顔が素敵な人だった。今も昔もそうだった。

 そんな人の側にずっと居られるのが信じられなくて、ずっとこの関係を大切にしたいと思って、些細なことで壊れないように細心の注意を払わなければ気がすまなかった。だからどれだけ手を握る回数が増えても、抱きしめる回数が増えても、その先へ、体を重ねる段階へと進むのが怖かった。ただ体の相性という理由だけで彼女を傷つける可能性のあることが恐ろしかった。だから、肉体の関係に依存しない関係性を目指したかった。


「でもさ、いつまでもそんなこと言ってらんないじゃん」


 それは、杉田智和の声だった。


「バイオハザードだってさ、部屋の外がゾンビだらけで恐ろしいな〜なんて言って行動しなかったら、いつまでもチャプター1から話が進まないワケじゃん。レオンとかクリスだって、そういう恐怖を乗り越えて事件を解決していくんだろ?」


 いつしか杉田智和は僕の隣に立っていて、ショットガンを差し出していた。


「君だってなれるはずだ。レオンやクリスのような主人公に」


 杉田智和はニヤリと微笑んで、親指を突き立てて言った。


「というわけで杉田智和のアジルスちゃんねる、高評価・チャンネル登録よろしくお願いします」


 そこで目が覚めた。まだ深夜で部屋は暗かったが、横からはネコの吐息が聞こえた。そして僕を見下ろす存在がいることも分かった。


「ただいま」


 久しぶりに聞く妻の声だった。感動よりも先にどうして、と声が出たが妻が遮る。


「本当は、もっと遠くまで行こうと思ってたんだけど。ヤミタっていう女の人に捕まって。話を聞いてもらってるうちに……なんか戻ってきたくなっちゃって」


 バカ野郎、ヤミタ。なにが放っておけだ。お前は最高のなんでも屋だ。そして最高のカウンセラーだ。持つべきものは友達だと僕は思った。


「ネコは、君が一人でいる間、寂しくないように、と思って……」


「そんなことより」


 僕は妻の肩を抱きしめた。ネコなんかより、もっと話すべきことがある。


 でも、何から話せばいいか分からない。それにまだ、恐怖を完全に克服できたわけでもない。でもこれ以上、妻の優しさに頼ってばかりではいられない。妻が送り続けたサインを無視することはできない。らしくないヤミタの行動を無下にするわけにはいかない。


 ショットガン、と僕は思った。

 弾はもう、装填されている。

 だから引き金を引く勇気は、僕が。


「頑張れよ、少年」


 杉田智和の声が脳裏を過ぎってゆく。

 きっと、長い長い夜が始まろうとしていた。

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リロードとシャッガァーン 神崎 ひなた @kannzakihinata

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