第3話
ざわざわという人声に、ゆっくりと意識が戻ってくる。
『………の不祥事……どう責任を……』
『…にかく……余計な騒ぎは……』
『家族や……には……ということに……』
まるで私だけ水中にいるように、ぼわぼわとくぐもった声の中で、ひとつだけはっきり聞こえる声があった。
「ジーは私の親友でした。それがまさか、こんなことになるなんて……」
ぐずっ、と啜り上げる音に続いて、衣擦れの音が大きく響く。
『……だ死んだと決まったわけでは……』
「ええ、ええ! ジーはこんなことで死んだりしない。私だって信じてます!」
『……の方々には、くれぐれも……』
「はい。ジーがいなくなったことは、ご家族の方には内緒にしておくんですね。わかります。心配かけちゃいけませんものね!」
――いや、そこはちゃんと知らせろよ!
思わず突っ込みを入れた拍子に目が開いた。
最初に見えたのは、前世の水族館で水槽に使われているような、巨大な一枚ガラスの壁。そして、その向こうに貼りついた一面ピンクの布だった。
あちこち皺になったその布は、時おりもぞもぞ動いており、ガラス面に触れるたびに耳触りな衣擦れの音がする。
『……ころで……こに何を持って………?』
再びくぐもった声が聞こえ、ピンクの布がぱっと消えた。
代わって現れたのは、王立学園の救護室だ。
白いベッドの足元に、ザカリアス先生を始め、王立学園の主だった先生方が難しい顔で立っている。
「あ、これですか? 私の鏡です。倒れた時に、顔が汚れてないか気になって」
フランシーヌの声に続いて、ザカリアス先生が手を伸ばす。
その掌がガラス面いっぱいに広がったかと思うと、くるりと視野が反転した。
ピンク色のワンピース姿で、救護室のベッドに上体を起こしたフランシーヌが、焦った顔でこちらを見ている。
ふいにザカリアス先生の声がクリアに響いた。
「だが、この鏡はミラーズのものだろう。見なさい。裏側にミラーズ家の紋章が入っている」
「えっと、はい、そうです。もともとジーのだったんですけど、この前私にくれるって」
――いやいや、この前のは貸しただけだし! ていうか私、ここにいるし!
私はガラスにドンドンと両方の拳を打ちつけた。
「ザカリアス先生! フランシーヌ! 私はここです!
そう。
なぜそうなったかは不明だが、私は今、ミラーズ家に代々伝わる鏡の中にいる。
目の前のガラスは鏡の面で、私からは向こうが見えるし、音声もちゃんと届くのに、向こうからは私が見えず、声も聞こえていないようだ。
その証拠に、鏡の外では何事もなかったように会話が続いていた。
「ミラーズ家の家宝を? 彼女が君に?」
「はい。私達の友情の印にって」
――いや、だからそんなのひと言も言ってないってば!
「ジーは淋しかったんだと思います。教室ではいつもひとりぼっちで、まともに話せる友達は、私だけしかいなくって」
フランシーヌの頬に、つうっと透明な涙が伝う。
あまりの言い草に、私はあんぐりと口を開けた。
――いやアンタ、それ本気で言ってる……?
私に友達ができそうになるやいなや、全力で邪魔しにきたのはアンタでしょ? 私にはその子の悪口を、その子には私の悪口を、あることないこと吹き込んで。
挙句の果てに、休み時間やランチタイムはぴったり脇に貼りついて、他の子を絶対寄せつけなかったくせに。
けれど、今日初めて授業を受け持ったザカリアス先生は、そんな事情など知るはずもなく………。
「そうか」とあっさりフランシーヌに鏡を返してしまった。
「ミラーズがどういうつもりでこれを渡したのか知らないが、くれぐれも大事にするように。魔力のこもった品は、ひとたび扱いを間違えば、持ち主に大いなる災いをもたらすからな」
その言葉を最後に、先生方はぞろぞろと救護室を出ていき、残ったのはフランシーヌと、鏡の中の私だけになった。
フランシーヌがベッドの上で「んーっ!」と気持ちよさげに伸びをする。
「よかったぁ! ザカリアス先生に見つかった時は、どうしようかと思っちゃった。でもこの鏡、やっぱりヒロイン専用アイテムだったみたいね」
フランシーヌは鏡を持ち上げ、私の顔をまともにのぞきこんでにんまりした。
「というわけで、ジー。これからもアドバイスよろしくねっ♪」
「えっ……」
私はガラスにはりついたまま息を呑む。
まさか、この子には私の姿が見えている?
「あれえ? もしかして、こっちの声は聞こえないのかな。おーい。もしもーし? ジー、聞こえるー?」
綺麗にマニキュアを塗った爪の先で、フランシーヌが鏡の表面を叩く。
その音は鏡のこちら側でとてつもなく大きく反響し、私は思わず耳を押さえてうずくまった。
「ちょっと、何するの! やめてよ!」
「なぁんだ、やっぱり聞こえてるんじゃない。ったく、シカトしてんじゃねぇっての」
「…………」
フランシーヌの口ぶりは、いつもの可愛い子ぶった喋り方とは打って変わって乱暴だ。
「てかさぁ、アンタも本当は転生者なんでしょ。でなきゃ入学式の日に会えないとか、イベントの邪魔とかできるはずないもんね」
そう言うと、フランシーヌはベッドサイドに置いてあったカバンから、ピンク色のスケジュール帳を引っぱり出した。
「あーあ。せっかくヒロインに転生したのに、逆ハーエンド逃すとか、マジ最低。ま、こんなに早くザカリアス先生に会えるとは思わなかったけどぉ」
ぱらりと開いたスケジュール帳には、びっしり書き込みがされている。
【イベント秋】
・エロール殿下お茶会⇒好感度アップ
・調理実習『手作りクッキー』
・魔法実習『魔力暴走』⇒覚醒
・課外授業『モンスター退治』
………などなど。
フランシーヌは『魔力暴走』のところにピンクのマーカーでチェックをつけると、「さて」と鏡をのぞきこんだ。
「早速だけど、好感度を見せてくれる?」
「はあ? 何で私がそんなこと……てかその前に、どうして私、こんなことになってるの!?」
さっき、教室でフランシーヌが魔力を暴走させたところまでは憶えている。
彼女の呪文を止めようと、椅子を蹴って飛び出したことも。
でもその後、フランシーヌの光魔法をまともに食らって気絶した私は、その後何が起きたのかさっぱりわかっていなかった。
フランシーヌは「えー?」と面倒くさそうに口を尖らせる。
「ドルトン君が結界魔法を展開してぇ、ザカリアス様が何かよくわからない魔法を発動してぇ……そしたら私の魔法と一緒にアンタも消えちゃった」
ゲームでは教室半壊、負傷者多数を出していたフランシーヌの魔力暴走は、たまたまその場に居合わせたザカリアス先生とドルトンのおかげで大事にならずに済んだらしい。……ただひとつ、私が消えてしまったことを除いては。
「それで? 何で私はこんな所に?」
一番聞きたかった質問には、しかし、フランシーヌは「さあ?」と首を傾げるばかりだった。
「アンタが消えたら好感度も見れなくなっちゃうから、とりあえず鏡だけでもって思って回収しただけだし。そしたら中にアンタがいてくれてラッキー、みたいな?」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
もはやどこから突っ込めばいいのか。
大勢の怪我人が出るとわかっていながら、わざと魔力を暴走させるわ、人んちの家宝をパクるわ。
何よりヤバいのが、そこまでやっておきながら、この子が罪悪感らしきものをカケラも感じていないように見えることだ。
「そんなわけだから、早速だけど好感度お願い」
そう言ってにい、と笑ったフランシーヌの顔は、どこか底知れぬ闇を感じさせて、私はぶるりと身震いした………。
ヒロインの親友、やめさせていただきます! 円夢 @LuciusVorenus
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