終章 きみを天上に帰すわけにはいかないな 


 薄く開いたカーテンの外は冬の深い闇が横たわっていた。


 ちらちらと天から降りそそぐのは、今宵を祝福するかのような真っ白な雪だ。


 夜も更けて王城内の明かりも数が減っているものの、まだ灯されているあちこちの明かりを受けてきらめく雪は、ずっと見ていても飽きない気がする。


 あたたかい室内から窓の外を眺めていたフェルリナは、扉が叩かれた音にあわてて振り返ると、「どうぞ」と声をかけた。


 ここはアルヴェントの部屋なのにフェルリナが招き入れるのは不思議な感じだ。


「し、失礼する……。自分の部屋に入るのに、こんなに緊張するとは、不思議な感じだな……」


 呟きながら入ってきたのは、礼装を脱ぎ、あたたかそうなガウンを羽織ったアルヴェントだ。


 暖炉の炎とほのかな明かりだけが灯された部屋の中、窓辺に立つフェルリナを見たアルヴェントが眉根を寄せる。


「フェルリナ? いくら暖炉に火が入っているとはいえ、窓際は寒いだろう? 身体が冷えているのではないか?」


 気遣うように言ったアルヴェントが、不意に何かに気づいたように精悍な面輪を強張らせる。


「それとももしや……っ! 逃げ出したいほど嫌がっているのか……っ!? それで窓から逃げる気で……っ!?」


「そ、そんなことはありませんっ!」


 突然、顔を強張らせてわなわなと震え出したアルヴェントに、フェルリナは泡を食って駆け寄る。


「ち、違いますっ! 逃げ出したいだなんて、決して……っ! ただ、雪が降るさまが綺麗で見ていただけ――、ひゃっ!?」


 あまりに急いだせいでき慣れていない室内履きが脱げそうになり、前へつんのめる。


「フェルリナ!?」


 転びかけたフェルリナを抱きとめてくれたのは、駆け寄ったアルヴェントの力強い腕だった。


「す、すみません……っ!」


 あわてて身を起こそうとした拍子に、手のひらがアルヴェントの胸板にふれる。


 布地とは異なる感触に視線を上げれば、アルヴェントは下に簡素なズボンを履いているだけで、上半身は素肌の上にガウンだけを纏っていた。


 フェルリナを抱きとめた拍子にはだけた合わせの間から、たくましく引き締まった胸元が見える。


 黒紫の大きな傷跡が三本走っていたそこに残るのは、まるで色だけ抜けたかのように白く変色した傷跡だ。


 ポイズンスクワールを倒した夜、初めてアルヴェントの傷跡を見た時の衝撃を思い出すと、呪いが解けて本当によかったと安どで涙ぐみそうになる。


「フェ、フェルリナ……っ、その、くすぐったいんだが……っ」


 無意識にアルヴェントの傷跡を撫でていたフェルリナは、困り果てた声にはっと我に返る。


「すっ、すすすすみません……っ! 本当に呪いが跡形もなく解けたのだと思うと嬉しくて……っ」


 ドラゴンを倒した時以外、傷跡を確認する機会がなかったとはいえ、我ながら大胆すぎる行動に恥ずかしさが込み上げる。


 火傷やけどしたように手を引っ込めると、「いや……」とかぶりを振ってフェルリナを見下ろしたアルヴェントが息を呑んだ。


「っ!?」


 一瞬で顔を真っ赤に染めて凍りついたアルヴェントの視線の先を追い、自分の格好に気づく。


 フェルリナもアルヴェントと同じくガウン下はかなりの薄着だ。


 リボンがあしらわれた絹の夜着はえりぐりがゆったりと開いていて――。


「す、すすすすまんっ!」


「す、すすすすみませんっ!」


 二人同時に謝り、はじかれたように身を離す。


 どうしよう。恥ずかしくて気が遠くなりそうだ。


 心臓が肋骨ろっこつを突き破って飛び出すのではないかと心配で、フェルリナはガウンをかき合わせてばくばくと騒ぐ胸元を押さえる。


「も、申し訳ありません……っ! そそそ、その、お見苦しものを……っ!」


「何を言う!? 眼福極まりない――あ、いや……っ!」


 即座に否定したアルヴェントが、途中で我に返ったようにかぶりを振る。


 暖炉の火の粉がぱちぱちとぜるかすかな音だけが鳴る部屋に、しばし、ぎこちない沈黙が漂い。


「その……。俺が焦ってことを進めた自覚はある。本来なら、きみの気持ちが追いつくのを待つべきだというのに……」


 明後日の方向に視線を向けたまま、アルヴェントがたどたどしく話す。


「こんな状況になって、いまさら言うのもはばかられるが、嫌なら無理をする必要はないんだぞ? きみがまだ心の準備が必要だと言うなら、整うまで待とう。結婚式も挙げたんだ。周りにもきみを軽んじるようなことは言わせない。……もっとも、母上や騎士団の面々の言動を見るに、きみは俺よりよほど信頼されているが……」


「何をおっしゃるんですかっ!?」


 アルヴェントの苦みを帯びた声に、思わず振り返る。


「アルヴェント様の妻になれることを嫌だと思うなんて……っ!」


 あふれ出す気持ちに突き動かされるまま、自分からアルヴェントの胸に飛び込む。


「初めて出逢った時からずっと、アルヴェント様のことをお慕い申し上げておりますっ! 役立たずだと蔑まれていた私を気遣ってくださるばかりか、いまだって大切にしてくださって……。そんなアルヴェント様の妻になることを、どうして嫌がることがあるでしょう!?」


 どきどきしすぎて胸が痛い。


 けれども、少しでもアルヴェントの憂いを晴らしたくて、フェルリナは黒い瞳を真っ直ぐに見つめて告げる。


「わ、私……っ! アルヴェント様を愛しています――、っ!?」


 途端、息が詰まるほど強く抱きしめられる。


「俺もだ。俺もきみを愛している。俺が一生隣にいてほしいと願うのはきみだけだ、フェルリナ」


「アルヴェント様……っ」


 これ以上、口を開けば嬉し涙がこぼれてしまいそうで、フェルリナは両腕をアルヴェントの身体に回し、目を閉じてたくましい胸に頬を寄せる。


 アルヴェントの鼓動もフェルリナに負けないくらいばくばくと速くて、言葉はなくても、抱きしめる腕の強さと一緒にアルヴェントの気持ちを雄弁に教えてくれる。


 そのまま、互いの熱をわけあうように身を寄せていると、ややあってアルヴェントが感じいったように呟いた。


「ドラゴンの呪いを受けたとわかった時……。たとえ、命は長らえていても、俺の人生はもう終わったんだと絶望したんだ……。恐ろしい傷を持ち、いつどうなるかわからない俺と人生をともにしてくれる相手など、絶対に現れまいと。俺はただ、残された時を魔物をほふることだけに費やすんだと……。それが故国のためになるというのなら、それでいいと、それだけで満足しなければならないと自分に言い聞かせていた。だが」


 わずかに腕をゆるめたアルヴェントが、フェルリナを見下ろして悪戯いたずらっぽく微笑む。


「俺は、きみと出逢えた。……もしかして、きみは天が俺をあわれと思って遣わしてくれた女神じゃないか?」


「もう、アルヴェント様ったら……」


 大仰な賛辞にはにかむと、アルヴェントが大真面目な顔で言を継いだ。


「俺は本気だぞ。俺にとってきみは、女神に等しい」


「いえ……」


 ふるりとかぶりを振ったフェルリナは、そっとアルヴェントの胸に頬を寄せる。


「私は女神ではないほうが嬉しいです。ずっとずっと、アルヴェント様のお隣にいたいですから……」


「……確かに。きみを天上に帰すわけにはいかないな」


 身体に回されたアルヴェントの腕に力がこもる。


「俺のそばから飛び立っていかないように、腕の中にしっかり捕まえておかなくては」


 腕をほどいたアルヴェントが身を屈めたかと思うと、フェルリナを横抱きに抱き上げる。


 歩を進めた先はアルヴェントの寝台だ。


 そっとフェルリナを横たえたアルヴェントが次いで寝台に乗り、フェルリナの両脇に腕をついて顔を覗き込む。


「フェルリナ……」


 熱を帯びた囁きに応じるようにまぶたを閉じると、さらに熱いものに唇をふさがれた。


 ぎこちない、けれども愛おしさにあふれたくちづけ。


「アルヴェント、様……」


 は、とどちらともなくこぼした熱い吐息にまぎれて愛しい人の名を紡ぐと、「うぐっ」と呻いたアルヴェントの喉が唾液を飲み込んでぐびりと鳴った。


 かと思うと、先ほどより深いくちづけが落ちてくる。


 アルヴェントの熱に身も心もくらくらする。幸せで気が遠くなりそうだ。


 互いの呼気が混じりあい、アルヴェントの手がフェルリナのガウンの紐をほどく。


 おずおずと手を伸ばしたフェルリナがそっとアルヴェントの髪を撫でると、驚いたように身体を震わせたアルヴェントのくちづけがさらに深くなった。


「フェルリナ、愛している」


 くちづけの合間に囁かれる深く響くアルヴェントの声に、身体のあちこちに落ちるくちづけに、優しく肌を辿る指先に、全身に幸せが満ちてゆく。


 大きくあたたかな手がぎこちなく、けれどもたとえようもなく優しくフェルリナを融かし、ほどいてゆく。


 アルヴェントが分け与える熱に甘く翻弄され……。


 降りしきる雪さえ融けそうな熱く夜は、甘くひそやかに更けていった……。


                                 おわり

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レベルアップ支援の加護がない外れ聖女だと売られるように隣国に嫁がされましたが、どうやら私の加護はレベル上限解放だったようです 綾束 乙@迷子宮女&推し活聖女漫画連載中 @kinoto-ayatsuka

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