68 夢なんかであるはずがないだろう


 ちなみにフェルリナがいま着ているのは、二十年以上前、王妃が嫁いできた時に着ていた花嫁衣装を手直ししたドレスだ。


 真っ白な絹地に濃い緑と桃色でふんだんに刺繍がほどこされたドレスは、ため息がこぼれるほど美しい。白は雪深いゴビュレス王国の冬を、緑と桃色は豊かな森とそこに実る恵みをあらわしているらしい。


『嫁入りの時に着て以来、ずっとしまいこんでいたドレスなのに、本当によいの? 一生に一度のことなのだもの。アルヴェントがお式を早めたいと言っているからって、あなたが従う必要なんてないのよ? だから、新しくあつらえたいのならそう言ってちょうだい』


 フェルリナがドレスを譲り受ける際、王妃はそう言って気遣ってくれたが、王妃が自分のドレスを譲ってくれるというだけでも光栄極まりないことだ。


『私に新しいドレスをあつらえるなんて、とんでもなことです! 王妃様のドレスをぜひお貸しくださいませ!』


 と、フェルリナが恐縮しながらも喜んでドレスを借り受けたのは当然だ。


「まさか、俺に呪いをかけたカースドラゴンに感謝する日が来るとはな……。それもこれも、きみのおかげだ。どれほど感謝しても足りないな」


 感慨深げに呟いたアルヴェントが、フェルリナを見下ろし、穏やかに微笑む。


 フェルリナは長身のアルヴェントを見上げ、にこやかに微笑んだ。


「何をおっしゃるのです。私こそ、アルヴェント様にどれほど感謝していることか……っ! アルヴェント様に出逢うまで、これほど幸せな日が来るなんて、夢にも思いませんでした。クライン王国でずっと、役立たずだと蔑まれながら、こき使われる日々が続くのだと……。そんな私に、居場所をくださったばかりか、大切にしてくださるなんて……。本当に、夢のようです」


「夢なんかであるはずがないだろう」


 アルヴェントがぎゅっとフェルリナの手を握る。あたたかく大きな手のひらの力強さに、フェルリナの居場所はここなのだと素直に信じられる。


「フェルリナ……」


 甘い声音でフェルリナを呼んだアルヴェントと見つめあう。


 アルヴェントがつないでいないほうの手をフェルリナに伸ばしかけたところで。


「はいはいっ、そこまでになさってくださいっ、団長っ! 可憐極まるフェルリナ様に見惚れる気持ちはよ――っくわかりますが! ですが、まだお客様達のお見送りもあるんですよっ! 二人の世界に突入するのは早すぎますっ!」


 すぐ後ろからロベスの声が飛んできて、フェルリナはびくりと肩を震わせた。


「す、すみません……っ」


 確かにロベスの言うとおり、先ほどのフェルリナはアルヴェントしか目に入っていなかった。


 身を縮めて謝ると、ロベスが「フェルリナ様が謝られることはありません!」とあわてたように手を振る。


「わたしが苦言を申し上げたのはあくまでも団長ですから! 団長は式典にも何度も出て慣れてらっしゃるのですから、フェルリナ様の分までしっかりして、しゃんとしてくださらなければ困ります!」


「……ロベス。確かにお前の言うとおりだ」


 ロベスの言葉に、アルヴェントが重々しく頷く。


 珍しく素直にロベスの注意を受け入れたかと思いきや、「だが」とアルヴェントが精悍な面輪を引き締めた。


「いままで何度となく、式典に参加して慣れているのは認める。だが、そこにはこれほど可憐で愛らしいフェルリナはいなかっただろう!? このフェルリナを前にして、俺が見惚れずにいられると!?」


「ア、アルヴェント様……っ!?」


 こんな冗談を言っては、ロベスにさらに叱られるのではと焦るフェルリナをよそに、ロベスが悔しげに歯噛みする。


「く……っ! そう言われてはわたしも引き下がるしか……っ!」


「だろう!?」


「アルヴェント様っ!? ロベスさんも落ち着いてください……っ! あのっ、お客様のお見送りまで、ちゃんと頑張りますので……っ!」


 何やら二人だけで納得しあっているアルヴェントとロベスにあわてて声をかける。


「そうだな……。フェルリナがこう言うのだ。フェルリナが不安にならぬよう、式典が終わるまでしっかりしなくてはな……!」


 アルヴェントが表情をあらため、気合を入れ直す。


「アルヴェント様……っ。本当に、ありがとうございます」


 いつであろうとフェルリナを気遣ってくれるアルヴェントの優しさが嬉しくて、満面の笑みで礼を言うと、「ふぐっ」とアルヴェントから何度目かわからぬうめき声が洩れた。


「団長っ!? 本当に大丈夫でしょうね!?」


「だ、大丈夫だ……っ!」


 すかさず突っ込んだロベスに、アルヴェントが早口で答える。


「あの、アルヴェント様。どうかご無理はなさらないでくださいませ。私もできる限り、頑張りますので……っ!」


 ぎゅっとアルヴェントとつないだままの手を握り返し、フェルリナもまた気合を込める。


「あ、あの、フェルリナ様、もう少しお手柔らかに……っ! このままでは団長が先に打ちのめされてしまいます……っ!」


「っ!? アルヴェント様、本当に大丈夫ですか……っ!? 治癒の魔法をかけたほうがよろしければ、すぐにおっしゃってくださいね……っ!」


「あ、ああ。その気持ちだけでもう十分だ。俺は大丈夫だから……っ!」


 赤い顔で口元を押さえるアルヴェントに心配は尽きなかったのだが……。


「フェルリナ様、いまは、団長をそっとしておいてあげてください……」


 何とも言えない微妙な表情のロベスに懇願こんがんされ、フェルリナは不承不承頷いた。


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