67 幸せすぎて、疲れを感じる暇さえありません


「フェルリナ、無理はしていないか?」


「はい、大丈夫です。本当に夢のようで……。幸せすぎて、疲れを感じるいとまさえありません」


 アルヴェントの問いかけに、フェルリナはにこりと笑って隣に立つアルヴェントを見上げた。


 途端、アルヴェントから「ふぐっ!」とくぐもったうめきが洩れる。


「あ、愛らしい……っ! いつだって愛らしいが今日はひときわ特別だ……っ! 俺こそ、夢の中にいるんじゃなかろうか……っ!」


 フェルリナとつないでいないほうの手で口元を押さえ、アルヴェントがそっぽを向く。凛々しい面輪はうっすらと赤い。


「ア、アルヴェント様ったら……」


 朝から何度アルヴェントの大仰な賛辞を聞いただろう。


 聞くたびに頬が熱くなり、気恥ずかしくなってしまうが、同時にくすぐったくてふわふわと浮き立つ心地がする。


「疲れていないのならよかった。きみが幸せを感じてくれているのなら何よりだ」


 表情を改めたアルヴェントがフェルリナを振り向き、穏やかに微笑む。


 精悍な面輪にはもう、黒紫色の傷跡はない。


 さすがに傷跡すべては消えず、皮膚がうっすらと白く変色しているが、近くに寄らなければほとんどわからないほどだ。


 禍々まがまがしい黒紫色の目立つ傷のせいで恐ろしげに見えていた部分が大きいので、いまのアルヴェントはどこからどうしてもたくましく凛々しい青年にしか見えない。


 アルヴェント自身は父親似のいかめしい顔つきを気にしているようだが、フェルリナはむしろ、誠実で意志の強い性格をよくあらわしていて素敵だと思う。


 式典用の黒地に金糸で刺繍された礼装を纏っている姿は、思わずほれぼれと見惚れてしまうほどだ。


「ありがとうございます。その、アルヴェント様こそお疲れではありませんか? 申し訳ございません。ご迷惑ばかりおかけしてしまって……」


「何を言う! 俺こそ幸せすぎて疲れなどまったく感じていないぞ。いますぐ『俺ほどの幸せ者は大陸中を探してもひとりもいまい!』と叫びながら城中を走り回っても平気なほどだ」


「ア、アルヴェント様っ!? ご冗談ですよね!? 間違ってもなさりませんよね……っ!?」


 とんでもないことをさらりと告げたアルヴェントに目をみはる。


 そんなことをしたら、国中にいったいどんな噂が広がることか。


 せっかく呪いが解けた第二王子が次は奇行に走ったなんて言われては目も当てられない。


「きみがそう言うならやめておくが……。だが、天上に昇るほど幸せなのは本当だ。ようやく、きみと正式な夫婦になれたのだからな」


 まぶしげにフェルリナを見たアルヴェントに微笑み返し、フェルリナは明かりの魔法で、真昼のように照らされた大広間を見回す。


 きらびやかに飾られた王城の大広間には、ゴビュレス王国の主だった貴族達のほとんどが集まっていた。


 今日は、アルヴェントとフェルリナの結婚式だ。


 昼過ぎに列席する貴族の前で夫婦の誓いを交わし、先ほど、貴族達へのお披露目も無事に済ませたばかりだ。


 着飾った大勢の貴族達に注目されたばかりか、ひっきりなしに祝福や賞賛の言葉を告げられ、そんな経験のないフェルリナはひたすら緊張してばかりだったが、アルヴェントだけでなく王妃や国王、第一王子までもがフェルリナが粗相そそうをしないよう、そばについて助けてくれた。


 フェルリナを実の娘のように可愛がってくれる王妃達には、本当に感謝しかない。


 つい先ほど、波のように押し寄せる貴族達からようやく解放され、アルヴェントと少し後ろに下がったところだ。


 アルヴェントとフェルリナに代わり、現在、貴族達の注目の的になっているのは、大広間の真ん中に引き出された大小二対のカースドラゴンの角だ。


 月のない闇夜を凝縮したような真っ黒な角は、まばゆいシャンデリアの明かりすら吸い込んでしまいそうなほどの存在感を放っている。


「おお……っ! これがアルヴェント殿下が倒された……っ!」


「ゴビュレス王国に竜殺しが現れるなど、百数十年ぶりのこと! 誠にめでたい……っ!」


「さすが、精鋭ぞろいとの誉れ高いアルヴェント殿下の騎士団ですな」


「なんでも、討伐の時には、クライン王国から嫁いできた聖女殿が大活躍されたとか」


「お式の時に拝見した様子では、戦い慣れているようにはとても見えない可憐極まるお姿だったが……。いやはや、人は見かけによらぬものだな」


「しかし、これだけの立派な角のドラゴンを倒せたのなら、その素材でさぞかしよい武具ができるであろうな」


「騎士団がますます精強になるに違いない」


 居並ぶ貴族達から次々と賛辞と感嘆の声が洩れる。


 ドラゴン鱗や角、骨などはさまざまな武具の素材になる。今頃、タンゼスの町の武具職人達は大忙しだろう。


「……あいつのおかげでフェルリナと出逢い、結婚式まで早まったのだから、ある意味、感謝するべきなのかもしれんな……」


 さざめく貴族達に囲まれたカースドラゴンを見やったアルヴェントが、ぼそりとひとりごとのように呟く。


 本来なら、アルヴェントとフェルリナの結婚式は、早くて冬の終わりという予定だった。


 だが、ドラゴンの討伐なんて、百年に一度あるかないかの慶事けいじだ。国を挙げて祝わずに済ますことなどできない。


 また、ドラゴンやポイズントレントの移動によって、他の魔物が押し出される形となり、今年は各領の秋の魔物討伐が早めに終わったらしい。


 何よりも大きい理由は、ドラゴン討伐の最大の功労者であるアルヴェントが、ドラゴン討伐の祝賀会をするなら、結婚式のほうが先でなければ嫌だと、強硬に主張したことだろう。


 フェルリナ自身は冬の終わりの挙式でもかまわなかったのだが、アルヴェントが早くと望んでくれるのなら、否はない。


 というわけで、アルヴェントやフェルリナのみならず、王妃や国王、第一王子をはじめとした王城の面々全員の尽力で、ドラゴン討伐から約ひと月半の短期間での挙式と討伐の祝賀会となったのだった。


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