66 きみに嫌われたんじゃないのか……?


「きみに嫌われたんじゃないのか……?」


 わけがわからないと言いたげな表情に、ふるふるとかぶりを振る。


「わ、私に愛想をつかされたのはアルヴェント様でしょう……? アルヴェント様の言いつけを守らなかったばかりか、聖女であることしか取り柄がなくて……。ドラゴンを倒したいま、私なんかがアルヴェント様のおそばにいられるはずが……」


「馬鹿なことを言うなっ!」


 ひび割れた怒声にびくりと身体が震える。


 はっと我に返ったように息を呑んだアルヴェントが、フェルリナの手を握りしめる。


「違う。違うんだ……っ! すまん、怒りたいわけではなくて……っ」


 フェルリナの手を掴むアルヴェントの指先に力がこもる。


 剣だこのある骨ばった手はフェルリナの手をすっぽりと包み込むほど大きいのに、まるで迷子の子どもが唯一の道しるべを離そうとするまいというように、冷たく、震えていて……。


「あの時の俺はどうかしていたんだ。呪いのせいなのか自分の中の凶暴な感情を抑えきれなくて……っ! だが、そんなことは言い訳にしか過ぎん。どんなに謝ってもきみを泣かせたことを償えるとは思わない」


 苦しげに告げたアルヴェントがフェルリナを見上げる。


「だが、これだけは伝えさせてくれ。俺はきみが聖女だからこんなにかれたんじゃない。心優しくて、誰のためであろうと真摯しんしに力を尽くすきみだからこれほど好きになったんだ……っ!」


 アルヴェントの言葉が、矢のようにフェルリナの胸を貫く。


「俺がそばにいてほしいと願うのはきみしかいないっ! だからどうか――、っ!?」


 アルヴェントが最後まで言うより早く、ひざまずいたフェルリナはアルヴェントの胸へ飛び込む。


「私も……っ! 私も、アルヴェント様のおそばにずっといたいです……っ!」


「フェルリナ……っ!」


 戸惑った声が洩れたのは、ほんの一瞬。


 掴んでいた手を離したアルヴェントが、逃さないと言いたげにフェルリナを強く抱きしめる。


 途端、周りからわぁっ! と歓声が上がり、フェルリナはようやくいまの状況を思い出した。


「団長っ、呪いが解けて本当によかったですねっ! おめでとうございます!」


「フェルリナ様を泣かせたという点は聞き捨てなりませんが……っ! フェルリナ様が許してらっしゃるのでしたら問い詰めるのはあとにしてさしあげます! いまは勝利を味わってくださいっ!」


「撃退すら危ういかもと思ってたのに、まさか倒せるなんて……っ! まだ信じられませんっ!」


「ドラゴンスレイヤーですよっ、ドラゴンスレイヤー! ゴビュレス王国の歴史でも、片手の数しか出てないんじゃないですか!?」


「どうなるかと思いましたけど、やっぱり最後に勝つのは愛の力ですねっ!」


「ひゅーひゅーっ! そのままちゅーしちゃってもいいですよ〜っ!」


 団員達の言祝ことほぐ声の中に交じるとんでもない言葉に、フェルリナの顔がぼんっと沸騰ふっとうする。


 鎧が下の鎖帷子くさりかたびら胴着どうぎごと壊れたので仕方がないとはいえ、素肌のアルヴェントに抱きつくなんて、我ながら大胆すぎる。


「す、すみません……っ!」


 あわてて身を離そうとするが、それより早く、アルヴェントの腕に力がこもる。


「うるさいぞっ、お前ら! 喜ぶのはいいが、まずは後始末だ! 浮かれるのはもう少しあとにしろっ!」


 アルヴェントが厳しい声で命じるが、喜びに湧く団員達はその程度では静まらない。


「一番浮かれてるのは団長のくせに〜っ!」


「フェルリナを抱きしめたまま言われたって、説得力がないですよ!」


「いーなー! オレだって、フェルリナ様と喜びを分かち合いたい……っ!」


「おいこらっ、いま不埒ふらちなことを言ったのはどいつだ!? 殴り飛ばすぞ!?」


「フェルリナ様を抱きしめたままの団長に言われる筋合いはありませんっ!」


「ここぞとばかりに見せつけるなんて……っ! ずるいですっ!」


「あ、あのっ、アルヴェント様……っ!」


 そろそろ離してもらわなければ、恥ずかしさで気が遠くなりそうだ。


「フェルリナ様はみんなの聖女なんですからねっ!」


「そうですそうですっ、独り占め反対っ!」


「うるさいっ! フェルリナは騎士団の聖女であると同時に俺の大切な花嫁だっ! おまえらと俺とじゃ立場が違うだろうが!」


「団長ってば横暴〜っ!」


「独占欲が強すぎる男は嫌われますよ〜っ! ねっ、フェルリナ様っ!」


「えっ、あの……っ!?」


 わいわいとにぎやかなやりとりは、ついさっきまでドラゴンと死闘を繰り広げていたとは思えない陽気さだ。


 それだけ勝利の喜びが大きいからだろうが、急に変なことを聞かれても困ってしまう。


 戸惑った声を上げたフェルリナに、アルヴェントが愕然がくぜんと黒い目をみはった。


「フェルリナ!? も、もしかして嫌われたりなんてことは……っ!?」


「ち、違いますっ! アルヴェント様を嫌いになるなんてありえませんっ!」


 反射的に否定したものの、さらに頬が熱くなってしまう。


 おさまりそうにない騒ぎに終止符を打ったのは、ロベスの声だった。


「お前達、いい加減にしろっ!」


 ぱんぱんぱんっ! と手を打ったロベスが、険しい目で団員達を見回す。


 これで騒ぎが収まるかと思いきや。


「団長はフェルリナ様に首ったけなんだから……っ! 団長はともかく、フェルリナ様をからかい続けてたら、そのうち『竜殺しの灰色熊』が怒りの咆哮ほうこうを上げるぞ!」


「ロベス! お前が一番不敬だぞっ!」


 間髪入れずにアルヴェントの怒声が飛ぶ。団員達が「おおぉっ!」とどよめいた。


「『竜殺しの灰色熊』……っ! すげぇっ! ドラゴンよりも強い熊っ! さすが団長っ!」


「ドラゴンの呪いは解けたから、次の二つ名はそれで決まりですねっ!」


「でも待てよ? その団長が絶対に勝てないのはフェルリナ様だから……。つまり、フェルリナ様は『灰色熊殺しの聖女様』?」


「おいっ! いま言った奴、出てこいっ! 可憐で清らかで愛らしいフェルリナの二つ名がそんなもののはずがないだろうっ!?」


 アルヴェントに続いて、周りの団員達からも抗議の声が上がる。


「信じられないっ! こんなに可憐なフェルリナ様の二つ名が『灰色熊殺しの聖女様』なワケがないでしょ!?」


「そぉですよぉ〜っ! 『騎士団の癒しの女神』とか『ゴビュレス王国の女神』とか、そういうのがふさわしいと思いますぅ〜っ!」


「あ、あのっ、ナレットさんっ!? チェルシーさんまで……っ!?」


 真っ先に抗議したナレットとチェルシーの言葉に目を見開く。


 明らかに過大評価すぎる。というか、そもそも二つ名なんて御大層なものはまったく望んでいない。


「『ゴビュレス王国の女神』……。うん、なかなかだな。だがもう少しフェルリナの愛らしさが伝わるほうが……」


 アルヴェントまで真面目極まる顔で言い出すので、さらにあわてる。


「ア、アルヴェント様まで何をおっしゃるんですかっ! もうっ、もぅ……っ! みなさん、勝利を喜ぶのはいいですが、落ち着いてください……っ! 後始末をしないといけないのでしょう? 町の方達も、戦いがどうなったのか気をもんで待ってらっしゃるでしょうし……っ!」


「わかりましたっ! フェルリナ様がおっしゃるのでしたら!」


「はいっ、すぐに取りかかりますっ!」


「ほら団長っ! いつまでフェルリナ様にくっついてるんですか! さっさと離れてくださいっ!」


 ざっ! と背筋を伸ばした団員達がきびきびと動き出す。


「……やっぱり、どう考えても俺よりフェルリナのほうが慕われているだろう……」


「そんなこと、ありえません」


 ねたようにぼそりと呟きながらようやく腕をほどいてくれたアルヴェントに、フェルリナはほっとしつつ、くすりと笑う。


「みなさん、アルヴェント様のことが好きだからあんな風におっしゃるんだと思います。私に優しくしてくださるのも、私がアルヴェント様の妻だからです」


「……きみから妻と言ってもらえるのは、格別だな」


 フェルリナの言葉にアルヴェントが破顔する。


 呪いが解けたからだろう。精悍せいかんな面輪に走っていた黒紫色の傷跡は、身体の傷と同じく、うっすらと白く残っているだけだ。


「きみを妻として迎えられた俺は、大陸一の幸せ者だ」


 立ち上がったアルヴェントが、フェルリナに手を伸ばす。


「さあ、後始末を済ませて王城へ帰ろう。母上や父上、兄上達が、吉報を首を長くして待っているに違いない」


「はいっ!」


 あたたかく大きな手のひらに自分の手を重ね、フェルリナは満面の笑みを浮かべて頷いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る