十一 友好の根源は水である
── オリンポス聖域 巫女宿舎
「他の子と交流はあるかって? そりゃあるわよ。別に私は仲間はずれにされてる訳じゃないし」
「そっか! どんなことしてるの?」
光は味方を増やすべく、ヘレナに協力を懇願した。
宿舎談話室にて話を聞いているのもその一環である。
お世話になる身であり、最後の余計な一言には反応したりしない。
「別にどうってことないわよ。普通に喋ったり、一緒にご飯食べたり、お菓子持ち寄って食べたり」
「お菓子」
「うん。各自作ったり、実家から贈られたものを分けたりね」
「え、実家から贈られてくることがあるの? オリンポスに?」
郵便局も配送会社もさすがに異界まではお届けできないだろうと首を傾げる。
「知らないのね。神々への捧げ物と同じよ。『神々に仕える我が娘へ』って文言の対象が変わるの」
ゼウス神殿で自身が献納された後、祭壇上で物に紛れて立っていたことを思い出す。
神々への贈り物の他に使用人への差し入れもあったのかもしれない。
「危険なものはないか検査されるけどね。ま、毒物や凶器でも無い限り、普通に届けてくれるわよ」
ちなみに、オリンポスからも地上へ手紙くらいなら届けてくれるという。
神々の伝令使・ヘルメスの子供達が虹の橋を行き来し地上へと持って行ってくれるという。
「……差し入れをお裾分けしたら、他の子ともちょっとは仲良くなれるかな?」
「まあ、交流のきっかけにはなるんじゃない? どんなの贈ってもらおうとしてるの?」
「化粧品関係ってどうかな」
「へえ、いいじゃない。あんた、そういうの興味あったんだ。どんなの使ってるの?」
「いや、メイクしたことないけど」
「は? すっぴんでそれ? むかつくんだけど…… まあ、日本製品なら喜ばれるんじゃない?」
「ちょっと待ってて」
光は一度自室に戻り、なみなみ注がれたコップを手に戻ってきた。
「これ…… あー、化粧水? 日本から持ってきてた化粧水なんだけどさ、どうかな? ちょっと試してみてよ」
「すごい、ありものに分けてきたって感じね。他になんか容器なかったの?」
ヘレナはコップから掌に注いで、ひとまず反対の手の甲に馴染ませてみる。
「ん?」
今度はもう少し手にとって、片方の頬に馴染ませてみる。
「なにこれ!? 肌がうるっとしてて…… なんか違うんだけど!」
その反応を見て、光は確信した。
これはいけると。
自分だけの武器だと。
───
「光、おはよう、今日の髪型良い感じだね」
「おはよー。ありがとー」
光の環境は一変した。
ヘレナが自分の友人に光を紹介してくれたのだが、始めはその友人たちも戸惑っていたようだった。
実力至上主義な彼女達は新人と馴れ合うのを躊躇ったが、光はその価値を示した。
美も実力の一つであるオリンポス。
保水のみならず、浸せば肌が若返る化粧水と称した若変水はやはりインパクトが大きかった。
彼女達も仲良くしてくれるという。
物で釣った感も否めないが、これから仲良くなるきっかけができたのだから、それはそれで良い。
もともとオリンポスで働くことを許された者達であり、性根の悪い訳ではない。
仲間だと思われたなら、あとは大丈夫だとヘレナは言う。
それぞれスキルの高い彼女達であるから、直接教わる内に、光の仕事っぷりもどんどん上達していった。
……。
── オリンポス神域 ヘスティア宮
「と言うわけで、懐に飛び込んでから、状況はすごく良くなりました。アドバイスありがとうございました」
「そっかあ。ちょっと、想定と違う『懐に飛び込む』だったけど、うまくいったなら良かったよ~」
今日は仕事を習いにおいでと、ヘスティア宮にお呼ばれした折、光はさっそくヘスティアに現状を報告した。
「そうだねえ、優秀な先輩達にお仕事教えてもらえるようになったのなら、せっかくだしここでは侍女のお仕事も覚えようか。オフィーリア、よろしくね~」
「はい。それではいつもの時間に」
光はヘスティアの侍女オフィーリアのもとで学ぶことになった。
と言ってもオフィーリアは常にヘスティアに侍っているわけはないらしく、少ない人員で宮中のすべてを回すべく何でもこなす万能メイドのようであった。
先輩諸氏から学んだスキルをもって、まずはオフィーリアと家事仕事を終わらせていく。
「オフィーリアさん。前にここは巫女が少ないって聞きましたけど、どうしてですか?」
宿舎では、それぞれ専門の職種を担い極めていた。
即ちそれは、神々の宮においても分業が行われているものだと考えていたが、ヘスティア宮においてはどうも違うようである。
オフィーリア他、巫女達はいくつかの仕事を担っている。
浴室の清掃が終わりお湯が溜まるのを待つ傍ら、光はヘスティアに似ておっとりお姉さんな雰囲気を醸す侍女オフィーリアに尋ねる。
「それはね、まず一つ理由をあげるとすれば、ヘスティア様にはお子がいらっしゃらないからね」
ヘスティアは、アテナ、アルテミスと並びギリシャの三大処女神と称される。
伴侶を持たず、子もいないのだ。
他の神々の宮や離宮においては、その子・半神も部屋が与えられており、その子の分の従者も増えてと人の数も多いがヘスティアにはそれがないのだと説明する。
「もう一つ言うとね、ヘスティア様が関わる人を極力減らしてらっしゃるの」
「それはまた、どうして」
「そうねえ、以前ヘスティア様が人間の怨念を受けたというのはご存じかしら」
月讀や白兎に聞いたことはあるが、オリンポスに来てから耳にした覚えはない。
光は首を横に振った。
「そう、二十年程前かしら。ヘスティア様は普段からのんびり屋でらっしゃるけど、いつにも増してのたりのたりとされていたことがあったの」
ヘスティアの異変には従者たちは気づけなかったという。なぜならヘスティアを慕う彼女達にも同じ症状が出ていたから。
全員がだらけきり、ぐったりとしていたのだった。
その後わかったことだが、それは人々の怨念が瘴気となって神に取り憑いていたのだという。
ヘスティアに牙を剥いた悪感情は怠惰。
それは神のみならずその信徒にも影響を及ぼしていた。
炉の女神、家庭の女神の影響力の凄まじさたるや、ギリシャの神々の威光が届く地域の住民全員がその影響を僅かに受けていた。
ヘスティア宮の惨状に気づいたのは、お使いで訪れたアレスの息子・半神アレクシス。
異変を見に来た神々にも怨念が取り憑こうとして瘴気を暴れさせた。
最終的には、アレクシスがあらゆる災厄を祓う力を持つイージスの盾を借り受けて、瘴気を神々の身体から押し出し引き剥がし、オリンポスの外に怨念を追いやったことで幕を閉じることとなった。
「瘴気がどうやってオリンポスに侵入したかなんてわからなかったのだけど、ヘスティア様は自分のせいかもと気に病んでしまわれて。自分が影響を及ぼす範囲も縮小しようと、関わる人を極力少なくされてるの。侍女も二十年前から新しくとることもなくなって少数精鋭って感じね」
「なるほど……ん?」
目の前にいるおっとりお姉さん、年齢は二つか三つ上だろうかと考えていたが、二十年侍女の採用はないという。
「オフィーリアさん、おいくつ?」
「ふふっ」
オフィーリアは笑顔を返事とした。
「こらこら、お姉さんに年齢聞かないの」
浴室にヘスティアがあらわれる。
いかにも入浴する格好、つまり雪を欺くほど白く艶やかな身体を隠すものはない。
「オフィーリア、一緒に入ろ~。背中流しておくれよ」
「もう、ヘスティア様。普通の侍女の仕事をこの娘に教えてって話でしたのに」
「いいよ、いいよ。今日はもうおしまい。お嬢ちゃんもおいで」
「わあ!」
光はのぼせ上がって宿舎に帰ることとなった。
……。
── オリンポス聖域 巫女宿舎
若変水外交により、めでたく味方を増やした光。
関わらない、実力で追い払う、嫌がらせをする、それらが大半であった筈がずいぶん過ごしやすくなった。
だが、未だに悪感情をぶつけてくる輩もいるが少数派である。
その筆頭が少女グラジア。
いや、光はグラジアに直接何かをされたことはない。
ただ、光に未だ嫌がらせをしてくるような人達のリーダー格にいるのがグラジアなのだ。
ヘレナ達と談笑していると、光はグラジアがこちらを見ていることに気づく。
その視線に、光の伊弉冉の浄化前に街に溢れていた嫌な気配を感じた。
───
(あらあら、楽しそうだこと……)
楽しそうに笑う日本から来た新人。
やはり、好きになれそうにない。
グラジアが光を嫌う理由。そもそも出会いの場のタイミングが悪かったと言う他ない。
ある時、グラジアの元に父から小包が届いた。
オリンポスに奉公に来た息子、娘に贈り物が届く事はしばしばあることだった。
衣類や装飾品、菓子など、親元離れて遠い地で頑張る我が子へのプレゼントや差し入れであったり、宮中政治に利用せよとの援助であったり。
この日、グラジアに届いたのは白金のチェーンに大粒のサファイアの首飾り。
その美しさに心躍り、何より愛する父親からのプレゼント、嬉しくない筈がなかった。
翌日、さっそく身につける。
首飾りは、キトンとの相性もよく実によく映えた。
談話室の話題はグラジアの首飾りで持ちきりであった。
褒められて気を良くし、プレゼントしてくれた父親のことが誇らしかった。
そんな時だった。
使用人頭のアレサが新人を連れてきた。
新人自体は不定期だが、それなりにくる。しかし、東洋人がオリンポスに来るのは珍しいことであった。
話題は、新人のことに移っていった。
そして誰かが、新人の首元に紐が掛かっているのを見つけた。
飾り気のないシンプルな紐が服の下まで伸びている。
「それは、ネックレス? ちょっと見せてよ」
誰かが無邪気に尋ねた。
丁度、自分の首飾りの話題で盛り上がっていた所だ。
はしたないとは思ったが自慢したい気持ちもあった。
「私も、是非見てみたいわ」
首飾りにそっと手を添えながら、伝えた。
日本から来たその少女は、見せるか否か逡巡したのち、観念したように服の下に手を差し込んだ。
取りだされたのは翡翠色の湾曲した独特な形の宝石であった。
一瞬、その場が静まり返り、息を呑む声が聞こえるようだった。
華美な装飾があしらわれている訳ではない、しかし、えもいわれぬ迫力があった。
オリンポスにて神聖な代物を、現に見聞きする彼女達だからこそ感じ得た迫力。
その日の話題は東洋の新人がかっさらった。
話題を奪われたグラジアに残ったのは辱めを受けたような心地と、父の愛を否定されたような虚しさであった。
もちろん新人にそんな気は無いことはわかっている。
しかしなぜだか胸の内に湧いた黒い感情をあえて止めようとは思えなかった。
天之光 清水 惺 @Amenoyasukawa
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