水! PART IV!

「どうしてこうなった? もうPART IVだ。このコラムがここで終わってしまったら、ただ汚物を語る場所になってしまうねぇ」

「知らんがな。はよ」


「じゃあパパッと始めてサクッと終わらそう——日本のトイレ事情、じゃなくて、水道事情だ」

「よっ! 待ってました!」


「……日本も最初は屎尿を川に流したり、その辺に捨てたりしていた。川へ繋がる溝を掘って、その上に便所を造っていたという——かわやの語源とも言われているねぇ」

「かーわやー!」


「『たーまやー』みたいに言ってるんじゃないよ、まったく。ちなみに最初に水道らしきモノが登場したのは縄文時代。水道、というよりは水路、かねぇ? まぁヨーロッパの話でも下水溝の事を下水道と呼んでいたんだし、ここでも水道と呼ばせてもらうよ」


「縄文時代って、いつから?」

「一万三千年くらい前」

「早っ! そんな時代から水道があったのか」


「それは違うねぇ。縄文時代は長いんだ。その終わりは二千三百年くらい前。水道が使われたのも終わりの方だとされている。つまり、古代ローマと同じ時期くらいだろう」

「なんで?」


「日本人が水路を使い始めたのは中国から稲作が伝わったからだ。同時に井戸なんかも伝わってるねぇ。稲作は田んぼを使うだろう? その為に沢山の水が必要だったというわけだねぇ」

「なるほど。人間が一箇所に留まる事を選んだ結果、だね?」


「良いねえ。その前の話をちゃんと噛み砕いて比較できている。ちょっとだけやる気が出てきたよ」

「もっと出せば? ……でもさ、その時代の人達は屎尿を川とかその辺に捨ててたんだろ? 汚い水を田んぼに使ってたのか? それとも既に堆肥として利用してたとか」


「良い質問するねぇ。だが残念な事にその時代や、その後、日本全土に稲作が広まった弥生時代にすらも、人糞を堆肥として利用してたという記述はない」

「そうなんだ」


「ただし。単に田んぼよりも川下に屎尿を流していたのかもしれないが、ある程度利用していたと考える人もいるねぇ」

「へえ」


「しかし、文化が発達するにつれて増えた人口により、日本の都でも、あの問題が出てくる」

「あの問題? イッタイナンナンダー!?」


「……日本の暗黒時代とも呼ぶべき奈良時代の終わりから平安時代にかけて、疫病がかなり流行った。天然痘だとかがねぇ。何故だと思う?」

「汚いから!」


「宜しい。そうなんだ。藤原京や平城京は人々の糞尿だらけ。しかもその辺に人の死体が転がっていたそうだねぇ」

「死体が? なんで?」


たいほうりつりょうという律令——まぁ法律だねぇ。それができてから庶民は良民と賎民の身分に区別された」

「死体は賎民の死体?」


「ヒントをあげるよ。良民には口分田という土地が与えられる。でもその代わりに『租庸調』という税の負担がのし掛かった。更に兵役に選ばれた人は食料や武器なども自己負担しなければならないし、国司——まぁ役人だねぇ。そういう人から稲などを借り受けると1.5倍にして返さなければならなかったんだ。つまり、良民は貧しい」

「賎民は?」


「実は良民も賎民もそれぞれ五つずつの身分に分けられるんだが、私奴婢と公奴婢の二つはモノ同然の扱いを受けていた。偉いやつにコキ使われたり、売られたりなんかもしたらしい」

「税は?」


「良いトコに気づいたねぇ? そう、賎民には納税の義務がない。だからわざと戸籍を偽って賎民になろうとした良民もいたんだ。不自由にはなりたくないから奴婢以外の賎民にねぇ」

「そうか。そこら中に転がっている死体は賎民じゃなくて良民なんだ!」


「中には酷い扱いを受けた奴婢も居たと思うけどねぇ。飢饉なんて起こったら流石に食べ物なんて僅かにしか貰えなかっただろうし。ただ、賎民と良民を比較した時、食いっぱぐれやすいのは良民の方だったのさ。彼らはたとえ飢饉が起こったり、不作であったとしても、納税しなければならない。食べる物がなくても誰も助けてくれない。他の良民達も貧しいし、お上からすれば既に資産を分け与えられた民だからだ。『税を納められないというのは甘えで』みたいな感じだったのかもねぇ。そうなったらもう、死ぬしかない」

「うう」


「そして与えられた口分田は死んだら返さなければならない、財産にはならないんだ。更に自分で開墾した土地も一定期間が過ぎれば取り上げられる」

「踏んだり蹴ったりだ」


「そこで墾田永年私財法という法律が生まれた。自分で開墾した土地は永久に持っていて良いという法律。これは良い法律? 悪い法律?」

「もしかして、その開墾した土地にも、税が掛かるの?」


「正解。財産を持つという事は、お上に税を納めなければならない理由になるんだねぇ。だから都は常に死体まみれの糞尿まみれだったというわけさ」

「そういや明確な脱線だよね? 水道はどうなった?」


「あ、そうだった。藤原京や平城京には道路脇の溝を自宅に引き込んで厠として使っていた跡がある。つまり中世ヨーロッパの下水溝と同じものだ」

「自宅の外は糞まみれ?」


「実は平安時代はそうでもない。奈良時代の都は土地の悪さなんかでしょっちゅう都を移転してたんだが、平安京で千年以上もの間、安定した」

「お? 高度な文明?」


「違う違う。平安京の場所、今の京都府京都市には、よく雨が降ったんだ。しょっちゅう雨が降るもんだから、しょっちゅう洪水が起こった。汚いものはみんな雨が流してくれたんだねぇ。しかもすぐに乾くんだ。一瞬の被害はあっても、それが長引く事はない」

「日本は色んな意味で水に恵まれてたんだね?」


「後はそうだねぇ。平安時代には野玄便所という水洗式トイレもあった。お坊さんの聖地、高野山にねぇ」

「どんなトイレ?」


「高野山では綺麗な水が湧く。中国から伝わった豆腐もこの土地で独自の進化を遂げた。水を引き入れやすいんだ。だから建物に水を通せたし、その水は常に流れているから厠の下にそれを通せば清潔な便所の出来上がりってワケだねぇ」

「ふーん。じゃあ日本の水道は高野山で発展した?」


「全然、日本では安土桃山時代——謂わゆる戦国時代だねぇ。正確には室町時代後期だが。それまでずっと、水道らしき水道は造られていない」

「え? どうして?」


「必要ないからさ。鎌倉時代に幕府は屎尿を農作物の堆肥として利用する事を推奨した。これにより糞尿がその辺で垂れ流しになる事もなくなったし、河川も綺麗なままでいられるようになったんだ。水も豊富に湧き出るから、生活に使う水も井戸だけで事足りるしねぇ。水が豊かだと、水道はあまり要らないんだ。ここが重要」

「なるほど、意外」


「しかし戦国時代、北条氏康という大名が小田原城やその城下町に『小田原早川上水』という上水道を使った。それ以前に上水道が成立した事はなかったから、日本最古の上水道と言われているねぇ」

「どんな水道だったの?」


「元々は小田原城の下に水を引く事が目的だったんだが、城下町の各戸にも水を通していたらしい。小田原征伐で豊臣秀吉に北条氏が滅ぼされた後、秀吉に連れられた大名たちがこぞって真似したみたいだねぇ。それほど素晴らしかったという事だろう」

「天下人の秀吉は何か作った?」


「勿論作った。秀吉で有名なのは太閤下水という下水溝だねぇ。大阪城下町の屋敷の裏を通る様に下水を流す溝を掘ったんだ」

「やっぱり人が増えたから作った感じ?」


「それはそうなんだが、どちらかというと区割り、としての役割りが大きい。先に下水溝を引いて町を型取り、後から建物を建てたという順番だねぇ。ちなみに下水溝としても優秀で、自然の高低差を利用してるから水流がかなり早い。汚水を素早く流せるんだ。汚水とはいえ穀物のとぎ汁や、食器や衣類を洗った水だ。屎尿を流していたワケじゃないからそんなに汚くないねぇ」

「フランスやイギリスみたいに尻に火がついてなくても、そういうモノを作るのか。日本って、かなり独特だね」


「江戸時代に入っても下水関係で尻に火がつく事はなかった。たまに洪水が起こって汲み取り式の便所が溢れたりする事もあったから、江戸時代の下水は主に雨水対策だねぇ。屎尿は相変わらず田畑で使われていたし、僅かな生活排水もそんなに汚くないから河川に流しても問題ない。だから、下水はあまり発達しなかったんだねぇ。ちなみに江戸時代には屎尿のリサイクルショップなんてモノもあったそうだ。屎尿を発酵させた堆肥をわざわざ百姓が買いに来る」

「上水道は?」


「上水道は、凄く、発展した。というのも神田方面は浅海でねぇ。井戸を掘っても塩水が湧くんだ。だから徳川家康は家臣に水道を作るのを命じた。各家々の井戸を水道管で繋ぐんだ。それにより十分な給水が行き渡る。更に大きな川から水を引っ張ってきて、その水道をどんどん江戸中に広げていったんだ。江戸も人口は増えたし、水は当時貴重だったという記述もある。だが、それにより困っていた事はなかったそうだ」

「古代ローマと違うね? 国が安定してからも丁寧に運営してる」


「果たしてそうかな? まだ江戸幕府は初期の初期、だぜ?」

「え?」


「なんてねぇ。さて、ちゃっちゃと行こう。YTが日本人だから、日本が一番情報量が多いんだ。どうしても文字数が多くなるからねぇ」

「そうなんだ?」

「もう、終わりにしたい。疲れたからねぇ」

「頑張って」


「日本で水道の近代化が進んだのは明治に入ってからだ。東京でもコレラやチフスなどの疫病が蔓延したんだ。ようやく尻に火がついたねぇ」

「東京で疫病? なんで?」


「開国して海外との交流が行われる様になったのが主な原因だねぇ」

「外国人が病気を持って来た?」


「違うよ。農作物を海外からも買う様になった。そうなると以前よりも国内で作物を生産するメリットが少なくなる。堆肥として使われる屎尿も減っていったんだねぇ。じゃあ余った屎尿は何処に行く?」

「……川?」


「そうだ。元々生活排水を川に捨てたりなんかしてたからねぇ。屎尿もそこに捨てるのは自然な発想だ。そして井戸水からも汚水がしみ出してきた」

「うげぇ」


「だから神田を初めとした幾つかの都市で、汚水排除の為の下水道が造られたんだ。ヨーロッパ式のねぇ。まだ広く普及されたわけではなかったが。同じ理由で横浜の外国人居住区に初めて上水道も造られたよ。綺麗な飲み水を確保する為に。これもまだ広くは普及しなかった」

「どうして?」


「明治に入り日本は急速に近代化が進んだけど、それでも水道工事は大変なんだ。地下を掘って水道管をあらゆる場所に繋げなければならない。一度道路を壊してまた作るなんて、かなり時間と資材と労力が必要だからねぇ。外国から輸入したモノをすぐに普及させられる程の技術力はまだ有してなかった。研究も進んでない。だから一部の主要箇所だけに力を入れた感じかな?」

「大変なのはわかるよ。今までの話を聞いた限り」


「だが大変なだけじゃない。大正時代には日本で初めての下水処理場が造られた。イギリスの濾過技術を流用したカタチだねぇ。既に発達した技術を譲り受けられる、開国の一番のメリットだ。これは他の国にも言えるが、国同士が繋がれば、その場所のリスクや問題をすっ飛ばして文化を発達させる事ができる。アフリカ大陸のマサイ族なんかは観光客が帰った瞬間、スマホやパソコンを使いこなすっていうじゃないか。自分達で生み出さなくともそういう利点が交易にはあるんだねぇ」

「なるほど。習得して使いこなすのは大変だけど、生み出す労力を減らせられるって事か」


「そしてそれは1920年、東京市長に就任した『後藤新平』が1921年に発表した『東京市政要綱』による部分が大きい——というか、全てと言っても過言ではない。八億円計画とも呼ばれたこの都市改造計画はその後の事業の準備としての役割りも果たし、関東大震災後の復興に大きく寄与したと言われているねぇ」


「へえ? でもさ、関東大震災って何年だっけ?」

「1923年だねぇ。その時後藤は東京市長ではなくて、内務大臣だ」


「ちょっとだけ期間が空いたね? 震災前は急速な発展を実現できなかったの?」

「できたにはできた。ただ、その当時の東京は色々あってねぇ。後藤新平の計画は全て実現できたワケではないんだ。震災後の復興でも足を引っ張られたが、縮小された予算の中でできる事をやった。だから発展できたんだ」


「その後藤新平って人、すごいね。他にも彼がした事はないの?」

「うーん、彼が行った画期的な事業はかなり沢山あるからねぇ。色々端折っても、かなり長くなる」


「そうなんだ?」

「彼は元々医者でねぇ。二十四歳の時には愛知県医学校の学校長兼病院長に務めている。岐阜事件で負傷した板垣退助を診察したのも彼だねぇ」


「すごい!」

「1881年、愛知県千鳥ヶ浜に開かれた医療目的の海水浴場も彼の指導で作られた。医者として数多くの実績を残し評価された後藤は1882年、内務省衛生局に入り官僚として行政に従事する事になった。優秀な人材は放ってはおかれない、という事だろうねぇ」


「優秀すぎるよね」

「更に八年後の1890年、後藤はドイツへ留学している。帰国後、博士号を与えられ、1892年には内務省衛生局長に就任した。留学中の研究の成果が認められたカタチだねぇ」


「お? さっき言ってた『開国のメリット』ってヤツ?」

「その通り。それは後の八億円計画に遺憾なく発揮されるんだが、後藤はその前に、、していたんだねぇ」


「練習?」

「後藤はちょっとした御家騒動のせいで一時、失脚した時期もあったんだが、たった数年で官界に復帰している。彼の優秀さを忘れていなかった元上司の推薦でねぇ。そして1898年、台湾総督の補佐役として『民政局長』に就任した。台湾で後藤は経済改革とインフラ整備を強引に進めたが、それは徹底的な調査で現地の状況を知り尽くした上での合理的なモノだった」


「なるほど。それが練習か」

「そうだねぇ。後藤はその時の手法を『ヒラメの目をタイの目にする事はできない』と語っている」


「ヒラメ? タイ? 何の事?」

「比喩だよ比喩。ヒラメの目は左側に二つついてるだろう? タイは他の魚と同じように左右に一つずつだ。タイの方が貴重だからといってヒラメの目をタイと同じにはできないし、やってはいけない。社会の習慣や制度もそれと同じで、相応の理由と必要性から発生したモノ。無理に変更して反発や問題を招くよりも、キチンと現地を知った上で状況に合わせた施政を行うべき、という思想の持ち主なんだ。『生物学の原理に則った手法』としているねぇ」


「生物学に則った、か。ねえ? なんだかこのコラムと似てるね? このコラムも文化や風習が似通うのは収斂進化によるモノ、としてるでしょ?」

「それに気づいてくれるとは、嬉しいねぇ。だから日本を語る上で後藤新平は外せなかった。ただ文字数がヤベー事になるから、日本自体を省きたかったんだけどねぇ」


「ま、良いでしょ。飽きた人はブラウザバックで。俺はやっぱり、日本は語るべきだと思う」

「そうだねぇ。だが後藤新平の話はまだ途中だ。最後までついて来られるかな?」


「大丈夫」

「では続けよう。後藤の功績の中でも特筆すべきは、人材の招集と育成だ。それは台湾の調査事業を進める上でもそうだったし、清国の法制度の研究を指示したのも彼だ。後藤は台湾の開発を進める他に、調査事業で既に貴重な資料を残している。更に開発事業でもそうだ。後藤が招集した人材は皆、台湾にて大きな成果を残している。後藤自身も優秀だったが、適材適所で人材の優秀さを発揮させる能力にも長けていたんだ。天才、とは彼の様な人を言うのかもねぇ。単に才能があるだけじゃなく、秀才としての強みも持っている。努力できる天才だ」

「台湾で何か大きな問題はなかったの?」


「勿論、現地人の反発だ。幾ら後藤らが現地に根差した政策を行おうとしていたとはいえ、台湾の人達から見れば、日本人はいきなり占領してきた他所者だ。それでも強引に押し進めた事により、開発は進んでいった。台湾はどんどん発展していく」

「それの何が問題なの?」


「台湾での抗日運動の理由は、日本が占領した事による不満だけではないんだ。阿片、だねぇ」

「阿片。なんか、他人事には思えないや、」

「ははは」

「今まで見たことがない爽やかな笑い……」


「当時の台湾は中国本土と同じく、阿片の吸引が蔓延していたんだ。それをいきなり辞めろと言われたら、人々は嫌だろう? 薬物の奴隷になった人達的には、ねぇ」

「どう解決したの? 辞めさせようとしたら反発されるのに」


「辞めさせようとしなかったんだ。代わりに馬鹿みたいに高い税率をかけて阿片を購入し難くしたり、阿部の吸引を免許制にしたんだ。買う金がなかったり、免許を取得できなければ阿片は吸えないだろう? 実際、それは非常に効果的で、台湾の阿片問題の解決に、大きな成果をもたらした」

「なるほど」


「ただ、それには黒い噂もある。阿片の利権や裏社会との関係を深めたり、特定の製薬会社と癒着して阿片の専売収入を増やしたり、とかねぇ」

「どっちなんだろう?」


「たぶん両方さ。綺麗事だけでは大きな事業を成す事はできない。ところで近年の日本の煙草税の増加。アレはどういう理由でやってるんだろうねぇ。もしかしたら後藤の阿片政策をモデルにしてるかもしれないねぇ」

「そういう風に発表されない限り、単なる憶測でしかないけどね」


「わかってるじゃないか。よし、サクサク行こう。1906年、南満州鉄道初代総裁にも就いている。後藤は満鉄でも多くの人材を起用しインフラ整備、衛生施設の補充、都市開発を進めていった。既に台湾でのノウハウがあるからねぇ。『生物学的開発』の為の調査事業も進めていった」

「台湾と満州、この二つが後の東京の都市開発における練習、だったんだね?」


「後藤にその気があったかどうかは知らないが、この経験は間違いなく活きていただろうねぇ。ただ後藤は東京市長に就任してからいきなり、八億円計画を構想したわけではない。何事も準備が必要だからねぇ」

「準備?」


「先ほど東京市長の後、後藤は内務大臣に就任したと言ったが、市長に就く直接にも内務大臣に就いている。この時後藤は行政制度の近代化に取り組む中、都市の人口増大、不衛生、スラム、などの都市問題に関心を持ち、都市研究会なる組織を作ったんだ。この時の研究や議論があったからこそ、市長就任後のあの計画を押し進める事ができたんだねぇ」


「都市開発、やっぱり水道、だよね? このコラム的には」

「その通り、なんだが、電気事業や道路なんかのインフラ整備、上下水道や水運の発展、河川の改修や住宅の経営なんかは全て、市民の生活保障の為だねぇ」

「へえ?」


「東京の急速な都市化に政策が追いつかない。それによって打撃を受けたのは貧困層だ。だから特に力を入れたのは社会事業。それも児童保護なんかに大きく貢献している。上水道の塩素殺菌があるだろう? アレは乳幼児の死亡率を下げる為のモノだったんだ」

「人を大切にしていたんだね」


「たださっきも言った通り、八億円計画は一部しか実現できなかった。予算が大きすぎて大きな反発があったからねぇ。結局、後藤は計画を実現できないまま、市長を辞任した」

「そして?」


「関東大震災だ。再び内務大臣に就任した後藤は八億円計画を下敷きにした震災復興政策を速やかに立案したんだが、それも猛反発に遭う。なんせ当時のお金で十三億円もの予算が必要だったから。震災時の火災により焼け野原になった事を踏まえ、消失しない街づくりの為に各地主から少しずつ土地を買い上げようともしたんだが、やはり反対にあった。予算も大幅に削られた中で、それでも後藤は現在の東京の都市骨格を整備したんだ。勿論、上下水道、もねぇ」

「後藤新平って、カッコ良いね」


「そうだねぇ。でもそんなカッコいい後藤は帝都復興計画での政争によって政界から信頼を失い、内閣の他の人達と共に総辞任している。その後は閣僚になることもなく、東京放送局の初代総裁になってるよ。後藤新平については以上」


「これで終わり?」

「いや第二次世界大戦後、速やかな各都市の復興が求められたんだが、もし後藤の都市計画がそのまま通っていたなら、戦時中あった幾つもの問題は解消されていただろうと、言われている」

「ふーん、なんかやるせないね」


「まぁねぇ。そして戦後の復興計画も、中々思う様には進まなかった。戦後の日本は困窮していたし、GHQも『敗戦国に復興は必要ない』みたいなスタンスだったからねぇ。それでも各都市が復興できたのは後藤が作った実績が大きい。復興政策のプランは満州国の計画経済を基にしていたんだねぇ。後藤は戦前には既に死去していたが、各方面で大きな爪痕を残していたんだ」

「やっぱりすげえ」


「そして紆余曲折あって復興した後、人口増加や各都市の急速な工業化により川が汚れ始めた。そこからだねぇ。本格的に下水道や上水道が普及したのは。生活水だけでなく様々な事業で使う水源を確保する為にダムなんかも建造された」


「お? そろそろ終わりそう?」


「ああ、ラストスパートだ。工業化が進めば様々な問題点も出てくる。汚染物質の垂れ流しとか、色々だねぇ。しかし、尻に火がつけばそれが更なる発展を促す。そうやって今日まで日本は発展し続けたんだねぇ——終わり!」


「やっと終わった! クソ長かった!」


「キミが日本の話も聞きたいって言うからだねぇ。ただ聞く側はアレもある、コレもある、アレも語れ、なんて言うけど物凄い量の情報をまとめてるんだ。どんなに端折っても物凄く長くなる」


「良いでしょ? 少なくとも俺が望んだ事を語れたんだから」


「……ウォルフくん、一体キミは何目線なんだ?」


「まぁ良いじゃん。それよりウォーケン先生! 次はどんな話題を語るんですか?」


「それは未定だねぇ。だが『タルミノス』本編に関わる事を語るのがこのコラム。YTが自作を読み直して語りたい事が見つかれば、また俺達はコキ使われる。そういう事だねぇ」


「そうなんだ。じゃあひとまず今日は、おやすみなさーい!」


「……締まりがないねぇ」

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 教えてウォーケン先生! Y.T @waitii

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