水! PART III!

「さて長かったけど、もうすぐ終わる。そういうアレだねぇ」

「あれってナニ?」


「アレはアレさ。それで、だ。中世以降、ヨーロッパではあまり水道は発展しなかった」

「なんで?」


「下水道はあった。しかし前回で述べた様に、古代ローマ程の技術は再現できなかったんだ。下水道の役割りとして捨てられた屎尿を雨水と共に川へと流す、そんな感じさ。ドブ時代に逆行だねぇ。フランスでは屠殺した豚や牛の内臓とかも川に流してたみたいだ。セーヌ川では常にそういうモノが流されていたそうだよ」

「うへえ、汚い」


「技術力の問題だけじゃなく、人々が屎尿を農作物の肥料にするようになったのも関係してる。だから用便はでしていたんだねぇ。家に便所なんてモノはない」

「後から収拾したの?」


「している所もあった。だが農作物の肥料になるのは農村で出たモノの中でも僅かさ。都市部では一応、決められた場所に捨てる事になっていたけど、皆んな面倒くさがってねぇ。窓からばしゃんって感じで捨てていたみたいだ」

「うわ、歩きたくない! 空から糞尿が降って来る街なんて!」


「降り注いだ糞尿は、雨水によってドブに流される——んだけど、結構な頻度で詰まっていたそうだねぇ。ドブが詰まれば糞尿は道に溜まり続ける」

「歩く場所すらないじゃん」


「その通り。だから皆んなハイヒールを履いた——って結構色んな人が言うけど、本当は違う。糞尿を避ける為に発達した、なんてもっともらしい理屈は確かに理にかなっているが、アレは本来、馬に乗る為に開発された靴だ」

「あれ? 話逸れ始めてない?」

「ああすまない。ハイヒールについては気になる人だけ調べてくれ。『ペルシャ、ハイヒール』で検索するとすぐに見つかるハズだ」


「インターネットのない世界の住人が、インターネットの話をしてる……」

「電話みたいな魔道具もある世界観だから、そういうモノもその内作られるかもさ。色んな国々が存在するんだ。軍事力の強化の為にそういう事を考える連中も出てくるかもしれないねぇ」

「だから話が逸れてる」

「逸らしたのはキミだ」

「チッ」


「話を戻そう。つまり中世ヨーロッパは糞尿だらけ。一応、貴族みたいなお金持ちや修道院には個室トイレがあったみたいだが、衛生面というより宗教観のお話だ。人前で排泄するのは恥ずかしい、というモノだねぇ。結局個室のトイレで出た屎尿はドブ川に流される、外に捨てるのと大して変わらない」

「中世ヨーロッパはとにかく汚いって事がわかったよ」


「十三世紀にはペストみたいな疫病がヨーロッパ全土で流行った。誰かがどこかからか持ち込んだモノだとは思うが、衛生環境の悪さもその要因の一つだと思うねぇ。そしてヨーロッパでは更に数百年、汚物の垂れ流し状態が続いた」

「……ところで、上水道はなかったの?」


「貴族の家にはねぇ。だが驚くべき事に、水道の水は噴水に使用されていたんだ。連日連夜開催される晩餐会では皆んなポータブルトイレを使って用を足し、それを噴水の周りに捨てていたという。俺が庭師なら激怒しているねぇ」

「俺も」


「王宮には王族専用の水洗トイレもあったというが、王族以外はやはり、おまるかポータブルトイレ。しかも人数分はない。お金持ちは自分のお城が汚くてどうしようもなくなると、引っ越しして別のお城に移ったらしい」

「……皆んな面倒くさがりなんだね。その時代の人達に『汚い』って認識はなかったのかな?」


「あったようだ。ロンドンやパリでは『道に糞尿を捨てると厳罰』みたいな法律が作られた。でも、あまり機能してはいなかったそうだよ。まさに自分の糞は人任せ。そういう惰性が人々を支配していたんだ。ウォルフくんの言う通り皆、面倒くさがりなんだねぇ」

「汚い事よりも面倒くさい事の方が嫌なのか」


「それでも汚い水を飲むのは嫌だったみたいで、水の代わりにお酒を飲んだりする様になったんだねぇ。その風習は綺麗な水道ができてからも、最近まで続いていたよ」

「病気とかの知識がなくてもやっぱり汚物は飲みたくないよね」


「ところで、汚物垂れ流し状態が数百年続いた、と言ったが、全然何もしてなかったわけではないんだ。フランスでは度々下水道の工事が進められ、上水道を普及しようという動きも度々見られた。だが人口は増え続け、とてもじゃないが追いつかない。人々は下水道にゴミも捨てるし、街も川も汚いままだった」

「そして?」

「十九世紀初頭、大規模な水道工事が始まった。原因はコレラの大流行だ。古くから飲料はお酒で賄われていたものの、それでも汚水の流れるセーヌ川の水を飲んでいた人達も居た。水売りから買えない人達は公共のせんすいなんかも利用したが、汚い街の泉水だ。不衛生である事に変わりはない。だからウルク川からセーヌ川に運河を掘り、パリ中の下水を洗浄し、上水道に役立てようとしたんだねぇ」

「ほうほう」


「計画が完成すると、パリ市内の水の使用量は十倍ほどになり、まだ綺麗とは言えないものの、ようやくマシな環境になったんだねぇ」

「良かった良かった」


「ところで、町中の糞尿に頭を悩ませたのはフランスだけではない」

「ああ、イギリスのロンドンでも法律が作られたんだっけ?」


「そうだねぇ。ロンドンでも人々は川に汚物を捨てたし、ゴミもポイポイ投げ捨てていた」

「中世ヨーロッパってやつは……」


「それを重く見た人達もいた。十六世紀後半にはジョン•ハリントンという人が現在の水洗式トイレの先駆けと呼べるモノを開発したんだ。彼はエリザベス朝の宮廷人でねぇ。彼の自宅を訪れたエリザベス女王はそのトイレを使用し自分の宮殿にも作らせた、とされている」

「おお」


「でも、その水洗式トイレは普及しなかった」

「なんで!?」


「さあ。需要がなかったんだろうねぇ。だがハリントンのトイレを改良したモノを1775年、時計技師のアレクサンダー•カミングスが『ウォータークローゼット』として特許を取った。更に十八世紀末、ジョーゼフ•ブラマーがこれを向上させたモノを大量生産した」

「おお!?」


「それにより人々に徐々に、水洗式トイレが普及していったんだねぇ」

「めでたしめでたし」

「本当に?」

「え?」


「沢山のトイレから流れた汚水はどこへ行くんだい?」

「それは……川?」


「その通り。十分な下水処理システムが導入される前に、トイレが先に普及してしまった。先に言ったフランスのセーヌ川よろしく、ロンドンのテムズ川も汚物やゴミだらけ。勿論飲み水にも使用していたし、イギリスでもコレラが流行った。そしてついに、限界を迎える——大悪臭グレートスティンクだ」

「グレート、スティンク……!」


「それにより、腰が重かった行政も、ようやく動き始める。今までとは根本的に違う大規模な下水道を建造したり、下水の濾過施設なども作った。更にその技術は急激に発展し、二十世紀の初め、アメリカと共同で薬品沈殿法を用いた現代の下水処理施設が生まれたというワケさ」

「尻に火がついた途端に発達するのが人間らしいね」


「ちなみに、日本の下水処理施設もイギリスから輸入したモノだねぇ」

「あ、そうだ! 日本!」


「日本がどうしたのかな?」

「日本の話はないの? だって読者さんは日本人じゃん」


「日本の話もあるけど、面白くないぜ? 日本も初めは汚いし」

「大丈夫、慣れた」


「そうだねぇ……じゃ、次回『水! PART IV』は日本の話でもしますかねぇ?」

「あれ? 乗り気じゃないの?」


「自分で話しててアレだけど、凄く長かっただろう? だから、飽きた」

「う、それはそうだけど……」

「辞めないかい?」


「中途半端な知識で覚えるのは駄目だっていつも俺に言ってるだろ? 最後までやろうよ」

「うーん、そうだねぇ。わかった、最後まで語るよ。飽きたらいつでも読むのを辞めて結構だ。ただ語る、それがここでの俺の役割りだからねぇ」


「と、いうわけで、次回もお楽しみに!」

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