雨と乾燥

真花

雨と乾燥

 窓の外では雨がざあざあと、世界からここを切り分けるみたいに降っている。

 打ち据えられた私は、ひんやりとした床の感覚の上に転がっている。

 あなたは言った。そのときの表情があまりに真剣で、言っているあなたの方が泣きそうだった。

「もう、君とは会えない」

 私よりも私の体が驚いて、しゃっくりが出た。

「どうして?」

「どうしても。そもそも、僕達は会ってはいけなかったんだ。このままだと僕は君を傷付けてしまう。そうなる前に、離れなきゃいけない」

「そんなことはないよ。一度だってあなたのせいで傷付いたことなんてない」

「それはこれまでのことだよ。これからは違う。……だから、もう会えない」

 長い沈黙の間、私は突然のことに混乱する自分と、そうなることを予測していた自分に交互に染まって、いずれ受け入れるしかないと観念する自分になった。

 あなたはすくっと立ち上がると最後の握手を求めて、私はそれに応じた。手を離せばもう二度と交わることがないと分かった。それでも、永遠に握手をすることは出来なかった。水が手のひらからこぼれるように、あなたは行ってしまった。私は家に帰るのだけで精一杯だった。

 雨は勢いを変えることなく降っている。少し寒い。

「どうして?」

 発した言葉が中空に放られて、よどんで消える。まるで部屋の沈黙に滲むように。静けさを雨が強調する。私は一人だし、あなたはもういない。手のひらに残る感覚を握りしめる。どんな言葉を言っても、全て空間に吸い込まれてしまいそう。

 耐え切れなくなって、ラジオをつける。

『――のテーマは、小さな幸せ。ラジオネーム「プラチナキューブ」さん。「私は高校二年生なんですけど、好きな人がいます。先生です。その先生に、呼び出されて、『卒業したら結婚しよう』と言われました。と言う夢を見ました。今日は一日胸がじーんとしていました。ナユタさん、これも小さな幸せですよね? 先生、大好きだよ!」……いやあ、まさに小さな幸せですね。本当だったら大きな幸せになっちゃいます。夢って、あり得なくても、いや、プラチナキューブさんの幸せがあり得ないってことじゃないですよ、感情が動くじゃないですか。そう言う意味では本当なんだと思います。僕は悪夢ばっかり見るんですけど、そっちはそっちで感情が動きますからね。朝起きて、「助かった」って最初に言うことが半分くらいありますから。プラチナキューブさん、小さな幸せ、ありがとうございます。次に行きます――』

 私と同い年の子だ。あっちは小さな幸せ。こっちは大きな不幸せだよ。寝返りを打つ。

『――「小説投稿サイトのカクヨムに小説をアップしているのですけど、今朝、初めて星が付きました。顔も知らない誰かが、私の書いたものを読んで評価してくれたことがすごく嬉しくて、町内を一周走りました」……それは嬉しいですね。僕も自分の作ったものが初めて人に評価されたときは飛び上がって踊りました。きっと素敵な小説を書いているのでしょう。面白いのは知らない誰かからの評価と言うところですよね。僕はSNSとかしないので感覚はあまり分からないのですけど、大道芸をして通行人にお金をもらうような感覚なのでしょうか。だとしたら、知り合いでない分シビアな訳で、それはとても自信にしていいものだと思います。これからも小説、がんばって下さい。――』

 壁にドライフラワー。私はあなたがいなくなっても、花でいられるだろうか。でも、ドライフラワーじゃ嫌だな。花がきれいなのの裏側には、花こそが次の命を生む可能性を秘めているからだということがある。それは乾燥したらついえてしまうものだ。それとも、私はあなたがいないこの世では乾燥してしまった方がいいのかな。

『――「私はシリカゲルを集めているんです。もう箱いっぱいにあって、シリカゲルってすごいんですよ。びしょびしょに濡れた紙をシリカゲルの入った小箱に入れて、振ると、すぐにカピカピになるんです。そのカピカピの紙を取り出した瞬間がたまらなく幸せなんです」……シリカゲルクイーンさん、マニアックです。ええ、これは断言してしまいますよ。マニアック。でも、そう言う世界にしかない楽しみってありますよね。きっと、他のびしょびしょのものもカピカピにして、楽しんでいるんだと思います。僕にもマニアックな趣味があります。これ、まだ誰にも言ったことがなかったんですけど、蹄鉄を集めるのが好きなんです。あの、馬の蹄につけるやつです。特に、硬いものに打ち付けたときの音がたまらない。もう九十二個集めています。――』

 あなたは会わないと言ったら会わないだろう。あの握手が本当に最後だろう。理由が知りたかった。だが、それはもう叶わない。雨は止まることなく降っている。その音と、DJの声が混じる。ドライフラワーと私が繋がる。仰向けになって目を開けるけど、何も映らない。

 雨が私にも一滴、胸の真ん中に降る。つめたい。私の体はここにある。

「どうして?」

 震わせた声が部屋の中を跳躍して、外の雨と中の乾燥を連れて私に戻って来る。

 息が止まる。

 代わりに乾き切っていた目に涙が少しずつ、膨れるように浮かぶ。限界まで膨らんだ涙が顔の横を伝う。

『――では、今日の最後の一通。ラジオネーム「いちじく」さん「今日僕は大事な人と別れました。僕達は禁じられた関係でした。彼女の幸せを願うのなら、当然の判断です。でも、断腸の思いでした。それでも僕はやり切りました。それは小さな幸せではありません。彼女が今後きっと幸せになっていくと言うことが、僕の最後の希望で、小さな幸せになるものだと思います」……重いですね。禁じられた関係って、何でしょうね。先生と生徒ですかね、創作者とファンですかね、シリカゲルは関係なさそうですね。でも、禁じられていたからって別れなきゃいけないのかは僕には分かりません。完徹すると言う手もあると思います。でも、どっちの道を選んだとしても、自分と、相手のことを想って、必死に考えて出した結論なら、それが正解なのではないかと思います。相手の方にも、最初は伝わらなくても、いずれその真意が伝わるんじゃないでしょうか。大事な人を想うことこそが、小さな幸せだということを、伝えて頂いたのだと思います。では今日はこの辺で、お相手はナユタでした――』


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨と乾燥 真花 @kawapsyc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ